弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

ハラスメント事案において使用者による債務不存在確認訴訟の活用が否定された例

1.債務不存在確認訴訟の攻撃性

 債務不存在確認訴訟という訴訟類型があります。これは義務者とされている人の側から、権利を主張している人に対し、自分に義務(債務)がないことの確認を求める訴訟をいいます。

 通常、訴訟は権利を主張する側が、義務を履行して欲しい相手方を訴えることで始まります(給付訴訟)。しかし、義務があると言われている側にも、いつまでも紛争が解決しない状態から抜け出すため、義務(債務)が存在しないことの確認を求めて裁判所に出訴することが認められています。

 実務上、この債務不存在確認訴訟には、攻撃的な性格があると言われています。攻撃性があるというのは、主張立証責任の所在と関係します。債務不存在確認訴訟は、主張立証責任の所在を変更させるわけではありません。つまり、通常の給付訴訟であろうが、債務不存在確認訴訟であろうが、権利の存在を根拠付ける事実は権利者の側で主張立証して行く必要があります。

 通常の給付訴訟の場合、権利者は、予め証拠を収集し、どのような事実を主張するのかを吟味検討したうえで、訴訟を提起します。しかし、債務不存在確認訴訟の場合、権利者の側に何時訴訟を提起するのかを主導権があるわけではありません。いきなり義務者の側に訴えられ、準備未了のタイミングであったとしても、否応なく権利の存在を根拠付ける事実の主張立証を強いられることになります。そうしないと、権利の存在が認められないとして、敗訴してしまう(債務不存在確認請求が認容されてしまう)からです。これが債務不存在確認訴訟に攻撃性があると言われる理由です。

 近時公刊された判例集に、使用者側がハラスメント事案で労働者を被告として債務不存在確認訴訟を提起することを否定した裁判例が掲載されていました。横浜地相模原支判令4.2.10労働判例1268-68 ユーコーコミュニティー従業員事件です。攻撃的に提起された債務不存在確認訴訟に対抗するにあたり参考になるため、ご紹介させて頂きます。

2.ユーコーコミュニティー従業員事件

 本件で被告になったのは、原告の従業員の方です。

 原告になったのは、建築リフォーム等を業とする株式会社です。被告は原告の従業員からマタニティハラスメントやパワーハラスメント(パワハラ等)を受けたことを理由に謝罪文等を要求しているが、パワハラ等は存在しないとして、損害賠償債務や謝罪文の交付義務が存在しないことの確認を求めて提訴したのが本件です。

 これに対し、本件の被告は、権利の存在を主張立証するのではなく、原告の訴えは請求が特定されていないから不適法却下されるべきだという争い方をしました。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を容れ、原告の訴えを不適法却下しました。

(裁判所の判断)

「訴訟においては、その審理判断の対象が明確になるよう、請求の特定を要する(民事訴訟法133条2項、民事訴訟規則53条1項)。本件は債務不存在確認請求訴訟であるところ、確認の訴えは権利関係の存否自体が訴訟物であるから、対象となる権利が債権(債務)である場合、原告は、請求の趣旨において、権利の主体、目的物及び権利の種類に加え、その発生原因事実を明記し、他の債務から識別して、その存否が確認しうる程度に特定の上で請求することを要すると解される。

「本件は、原告が、原告の従業員による被告に対するパワハラ等(不法行為)は存在しないとして、原告の被告に対する上記パワハラ等にかかる安全配慮義務違反による債務不履行、使用者責任又は会社法350条に基づく損害賠償債務及び謝罪文の交付義務が存在しないことの確認を求めるという事案である。」

パワハラ等が不法行為に該当するか否かは、行われた日時場所、行為態様や行為者の職業上の地位、年齢、行為者と被害を訴えている者が担当する各職務の内容や性質、両者のそれまでの関係性等を請求原因事実として主張して当該行為を特定し、行為の存否やその違法性の有無等を検討することにより判断されることとなる。

「原告は、『原告の被告に対する別紙発言目録記載の発言を理由とする損害賠償債務が存在しないこと』の確認を求めるが(請求の趣旨1)、別紙発言目録を見るに、発言時期、発言者、発言内容を記載しているようではあるものの、発言時期については、令和元年4月と記載されているのみで、日時の記載はない。全く同じ発言内容であっても、日にち等が異なるという場合、それぞれ別の行為として不法行為(パワハラ等)該当性の判断をすることとなる。また、同目録には、発言者の氏名と発言内容が記載されているのみで、職務内容や地位、行為の態様等は全く不明である。

「以上のとおり、請求の趣旨1については、他の債務から識別して、その存否が確認しうる程度に特定がされていると認めることは困難と言わざるを得ない。

「次に、原告は、『原告の被告に対する平成27年4月から平成30年4月までの間に行われた訴外Aによる優越的な関係を背景とする業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動による損害賠償債務が存在しないこと』の確認を求めるが(請求の趣旨2)、3年にも及ぶ期間を特定するのみで年月日の特定はなく、具体的な言動の特定も、優越的な関係についての具体的な記載もないから、請求の趣旨1にも増して、その存否や不法行為(パワハラ等)該当性をいかに審理判断すればよいのか不明と言わざるを得ない。

「以上のとおり、請求の趣旨2については、他の債務から識別して、その存否が確認しうる程度に特定がされていると認めることは、およそできない。

「さらに、原告は、『原告の被告に対する別紙発言目録記載の発言を理由とする謝罪文を交付する義務が存在しないこと』の確認を求めるが(請求の趣旨3)、上記・・・で述べたとおり、別紙発言目録記載の内容では行為の特定が不十分であり、謝罪文の前提となる行為が不明と言わざるを得ないから、請求の趣旨3についても、他の債務から識別して、その存否が確認しうる程度に特定がされていると認めることはできない。

「なお、原告は、債務不存在確認請求訴訟において審理対象とされた不法行為の存否の特定の程度は、不法行為の存在を主張する被告の主張の具体性との相関関係で決せられるもので、ある権利を主張する者の主張内容が曖昧であれば、これについて債務不存在確認請求という形で審理を求めた場合、特定性の要件は緩和されると主張する。」

「たしかに、債務不存在確認請求の訴えにおいて、権利を主張する者の主張内容によっては、その請求の趣旨の特定を細かく行い難くなること(例えば日時については年月日頃という以上に特定ができない等)はあると思われるが、だからといって、特定の程度が直ちに緩和されるわけではない。本件についてみれば、行為者の職業上の地位、年齢、行為者と被害を訴えている者(被告)が担当する各職務の内容や性質等を原告が特定して主張することは可能と解されるし、行為の日時・場所についても『月』までの特定ではなく『日』(最低でも何日頃)の特定をした上で社内でのことなのか社外でのことなのか等の特定は可能と解されるが、原告は、これらの特定をしないから、その請求は、やはり特定を欠く(他の債務から識別して、その存否が確認しうる程度の特定がない)と言わざるを得ない。」

「以上のとおりであるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の被告に対する本件訴えは、いずれも不適法であるから、いずれも却下することとして、主文のとおり判決する。」

3.行為の特定性が厳格に理解されたことは大きい

 ハラスメントの存否をめぐる損害賠償請求事件で労働者側が主張立証責任を果たして行くためには、権利侵害行為をどのように特定するのかが重要な意味を持ちます。

 もし、使用者側が対象行為を厳密に特定しないまま漠然とハラスメントに基づく損害賠償義務を負わないことの確認を請求できるとなると、労働者側は主張立証の対象が茫漠としたまま、準備不足の状態で主張立証責任を果たすことを求められかねず、審理の冒頭から劣勢の立場に追い込まれかねません。

 本裁判例は、こうした茫漠とした主張により、使用者が攻撃的に債務不存在確認訴訟を使うことを否定したものです。主張としての特定性に欠けるため不適法却下されるべきとの主張は、使用者から債務不存在確認訴訟を提起された時の対応として参考になります。