弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

障害者虐待防止法上の通報を理由とする不利益取扱いの禁止の射程

1.通報を理由とする不利益取扱いの禁止

 障害者虐待防止法16条4項は、

「障害者福祉施設従事者等は、第一項の規定による通報をしたことを理由として、解雇その他不利益な取扱いを受けない。」

と規定しています。

 ここでいう第一項の規定による通報とは

「障害者福祉施設従事者等による障害者虐待を受けたと思われる障害者を発見した者は、速やかに、これを市町村に通報しなければならない。」

という規定に基づく通報をいいます。

 こうした規定があるため、障害者福祉施設で働く人は、自施設で生じた障害者虐待を市町村に通報したとしても、解雇等の不利益取扱いを受けることはありません。

2.しかし、実際はどうか・・・

 しかし、虐待通報の場面に限らず、大抵の事業者は、外部機関に不祥事を通報した従業員に対し、苛烈な姿勢をとります。ただ、そうした姿勢がとられる時でも、通常、通報行為をしたこと自体が解雇等の不利益な処分の理由になることはありません。障害者虐待防止法16条4項のような不利益取扱いの禁止規定と抵触するからです。大体の事案では、通報とは異なる理由をに基づいて、不利益な取扱いを行います。

 そのため、実際の紛争では、通報以外の理由が不利益処分を科することを正当化する理由になるのかが争われることになり、通報を理由とする不利益取扱いの禁止規定の解釈が問題になることは殆どありません。

 こうした背景事情があるため、障害者虐待防止法16条4項の解釈をめぐる紛争実例は意外と少なく、この条項が具体的にどのような場面を念頭に不利益取扱いの禁止を規定しているのかは、それほど明確に分かっているわけではありません。

 昨日ご紹介した神戸地判令2.12.3労働判例ジャーナル108-40 社会福祉法人むぎのめ事件は、障害者虐待防止法16条4項の射程について判示した数少ない裁判例という意味でも、注目に値します。

3.社会福祉法人むぎのめ事件

 本件で被告になったのは、障害者福祉施設(本件施設)を運営する社会福祉法人(被告法人)や、その理事長(被告P2)です。

 原告になったのは、本件施設で被告の正職員として働いていた女性です。

 原告入職当時、本件施設では、羊毛フェルト手芸作業(ニードル作業)が実施されていました。ニードル作業とは、フェルト作業専用の針(ニードル)を羊毛フェルトに突き刺し、整形して行くことをいいます。

 本件施設では、少なくとも平成28年7月10日までの間、ニードルは、本件施設の利用者ごとに準備するのではなく、利用者間で共用されていました。

 この状態を見た原告の方は、

ニードル使用時に誤って指を刺すリスクがあること、

その際、出血を伴うこともあること、

ニードルを使用することにより、ニードルに付着した血液を通じて各種の感染症が蔓延するリスクがあること

などをに思いをめぐらせ、、ニードルの管理方法を変更したうえ、ニードル作業関係者に対して血液感染のリスクを伝えるほか、血液検査を実施すべきだと考えました。

 こうした考えに基づいて、被告法人や、市(市生活支援課)、県(伊丹事務所)に働きかけをしていったところ、

「問題のない通所者の作業に関し、3回にわたり伊丹事務所に、本人の独断で、行政から指導するよう詰問、恫喝口調で電話を行い、同事務所に迷惑をかけた」ことや、

「通所者の氏名を記入した文書を、本人の独断で同事務所に送付した」こと

などを理由に解雇されてしまいました。

 本件では、こうした理由による解雇が、障害者虐待防止法16条4項に違反しないのかが争われました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、被告法人による解雇は、障害者虐待防止法16条4項に違反しないと判示しました(ただし、障害者虐待防止法16条4項違反は認められないとしても、結論として解雇は無効だと判示しています)。

(裁判所の判断)

「上記・・・の認定事実及び弁論の全趣旨によれば、

〔1〕本件施設は、障害者福祉施設であること、

〔2〕本件施設では、施設利用者にニードル作業を行わせることがあったこと、

〔3〕ニードル作業に関して施設利用者から苦情が寄せられたことはなく、事故の報告もないこと、

〔4〕本件施設では、遅くとも7月28日までに、ニードルの個人管理が事実上徹底されたことが認められる。」

「そうすると、原告が、7月29日に被告市に、8月8日に被告県にそれぞれ情報提供したことが防止法16条1項の通報に該当するとしても、その時点では、本件施設の施設利用者である障害者がニードル作業により感染する危険性はなくなっているのであるから、本件施設でニードル作業を行うことが障害者虐待になるものとは解されない。

「原告は、被告法人は、施設利用者を劣悪な環境に置いたのであるから、施設利用者に必要な情報提供をして血液検査を受けさせる義務があるのにこれを怠ったもので、このことが障害者虐待に当たる旨主張する。」

「しかし、上記認定のニードル作業の実施状況に加えて、ニードル作業関係者の中に、感染症に感染していた疑いのある者がいたことを認めるに足りる証拠がないことを併せ考慮すると、被告法人が原告の主張する義務を負うものとは解されず、上記原告の主張は、採用することができない。」

したがって、本件解雇が防止法16条4項の解雇禁止に違反する旨の原告の主張は、前提を欠くものであって採用することができない。

4.危険性が消失していない中での通報しか保護されないのか?

 上述のとおり、裁判所は、通報時点で既に危険性が消失していたことを根拠として、原告の障害者虐待防止法16条4項違反の主張を排斥しました。

 しかし、障害者虐待防止法16条1項は、通報の対象を、

「障害者虐待を受けたと思われる障害者を発見した」

ことであると規定しています。文言上、危険性が現存していることが通報の要件とされているわけではありません。実質的にも、危険性さえなくなれば、行政として情報を把握しておく必要がなくなるというわけでもないだろうと思います。裁判所の判断は、障害者虐待防止法16条4項で保護される対象が過度に狭くなる点で、その妥当性には疑問があります。

 とはいえ、障害者虐待防止法16条4項の解釈について、本件のような判断を示した裁判例があることは、数少ない司法判断として留意しておく必要があります。