弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

カスハラ対策の義務化を前に~「顧客や取引先から対応が困難な注文や要求等を受けた」類型で心理的負荷が「強」とされ自殺に業務起因性があるとされた例

1.顧客や取引先からの対応が困難な注文や要求

 平成11年9月14日 基発第545号「精神障害による自殺の取扱いについて」は、

業務上の精神障害によって、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたと認められる場合には、結果の発生を意図した故意には該当しない。」

と規定しています。これは業務上の精神障害によって自殺した場合を、労災の不支給事由である

「労働者が、故意に負傷、疾病、障害若しくは死亡又はその直接の原因となつた事故を生じさせたとき」(労働者災害補償保険法12条の2第1項)

から除外するものです。言い換えると、業務上の精神障害によって自殺した場合、それは労災の対象になります。

 精神障害が「業務上の精神障害」に該当するのか否かについては、

令和5年9月1日 基発0901第2号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」

という基準に基づいて判断されます。

 この認定基準は、

対象疾病を発病していること(第一要件)、

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること(第二要件)、

業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと(第三要件)、

の三つの要件が満たされる場合、対象疾病を業務上の疾病として取り扱うとしています。

 この認定基準は、行政に留まらず、多くの裁判所でも業務起因性の判断枠組として採用されています。

 第二要件との関係で同基準は「具体的出来事」毎に心理的負荷の強弱を規定した別表を設けています。別表には様々な出来事の類型が定められていますが、その中の一つに、

「顧客や取引先から対応が困難な注文や要求等を受けた」

という類型があります。顧客や取引先からの対応が困難な注文や要求等のすべてがカスタマーハラスメント(カスハラ)に該当するわけではありませんが、

カスハラ⇒精神障害⇒自殺

という流れが辿られた事案は、これに基づいて業務起因性の有無が判断されることになります。

 カスハラに関しては、今年、労働施策総合推進法の改正により、対応の義務化が図られました(令和7年6月11日公布 未施行)。

https://www.mhlw.go.jp/content/001502757.pdf

 社会的な関心が高まっているところ、近時公刊された判例集に、

「顧客や取引先から対応が困難な注文や要求等を受けた」

類型で自殺の業務起因性が認められた裁判例が掲載されていました。横浜地判令7.3.12労働判例ジャーナル162-48 国・平塚労基署長事件です。

2.国・平塚労基署長事件

 本件は労災の不支給決定に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、自殺した労働者Dの妻です。

 Dはトラック運送当を目的とする株式会社(本件会社)に入社し、自殺当時、配車業務に従事していた方です。F営業所内で自殺して死亡(平成30年1月23日)したことから、原告は処分行政庁に対して遺族補償年金や葬祭料の給付を請求しました。

 これに対し、不支給処分(本件処分)が下されたことから、審査請求⇒再審査請求を経て取消訴訟の提起に至りました。

 この事件で原告は様々な「具体的出来事」を主張しましたが、本件では「顧客や取引先から対応が困難な注文や要求等を受けた」類型で「強」にヒットし、裁判所は原告の請求を認めました。

 裁判所の判断は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

「平成30年1月22日から23日にかけて大雪が降り、その影響で本件会社のトラックの運行に支障が生じ、顧客から、トラックの所在や運行状況についての報告を求める電話が多数かかってきたため、亡Dは、G次長、J所長らとともにこれに対応していた。顧客からの問合せに対応するためには、当時運行していた60台から80台ほどのトラックの所在等を把握する必要があり、そのためには、トラックの乗務員に電話で連絡をする必要があるところ、トラックの乗務員は運転中には電話に出ることができないため、改めて電話をかけなおすか、乗務員が電話をかけられる状態になったときにかけ直してくるのを待つしかないところ、顧客からも多数の問合せがある中で、多数の乗務員に連絡を取って、トラックの所在等を把握することは困難であった。そのことからすれば、この大雪の際の顧客対応は、認定基準別表1の番号9の『顧客や取引先から対応が困難な注文や要求等を受けた』場合に当たるというべきである。」

「大雪による配送の遅延は、天災によるものであるから、それによって直ちに本件会社が顧客に対し債務不履行等の責任を負ったり、配車担当の亡Dが本件会社に対し何らかの責任を負ったりするものではないと解される。そうであるとしても、顧客としては、大雪で配送が遅れている荷物が現在どこにあるのか、到着の見込みはいつであるのかに大きな関心があるのは当然である。顧客の中には、1時間おきにトラックの所在等を報告するよう求める者がいたが、そのことも、顧客がトラックの所在等に大きな関心があることを示すものといえる。したがって、本件会社にとって、トラックの所在等を的確に報告することは、顧客との関係上重要な業務であったといえる。」

顧客としては、トラックの所在等に大きな関心がある以上、それについて適時、的確な報告がされない場合には、本件会社で顧客対応をしている亡Dらに対し、強い口調で報告を求めることがあったものと認められる。トラックの所在等を的確に把握することが困難な状況において、それを適時、的確に報告するよう求められたことは、亡Dらにとって、強い心理的負荷をもたらすものと認められる。この時の対応について、配車業務の経験が豊富なG次長やJ所長が、それぞれの経験の中でも相当に大変な出来事だったと述べていること・・・は、そのことを裏付けるものであり、配車業務の経験が浅い亡Dが受けた心理的負荷は相当強いものであったと認められる。」

「また、亡Dは、電話対応だけでなく、同時に、乗務員に電話してトラックの位置を把握し、G次長やJ所長が受けた電話の情報を聞き取って、これらを踏まえて、1時間ごとのトラックの位置等を記載した一覧表を作成するよう指示されていた。この作業は、顧客にトラックの所在等を報告する前提となるものであるが、上記アのとおり、顧客からも多数の電話がかかってくる中で、運行中のトラックの所在等を把握することは困難であり、実際に、亡Dが作成していた一覧表は、少なくない部分が空白のままであった。そして、一覧表が空白であると、顧客に適時、的確にトラックの所在等を報告することができないから、G次長及びJ所長は、亡Dに対し、一覧表を優先して作成するよう注意していたと認められる。以上によれば、亡Dにとって、一覧表の作成は、困難な作業を適時、的確に行うよう求められたもので、これをするよう指示されたことによる心理的負荷も強いものであったと認められる。」

「顧客対応は、亡Dに加えて他の社員も行っていたが、同月22日午後11時頃R職長が退勤してから、翌23日午前6時頃R職長が出勤するまでは、亡DとG次長及びJ所長の3名で対応していた。G次長とJ所長は、電話対応をしたほか、J所長において、一部の顧客に対しトラックの所在等をメールで報告していたが、一覧表の作成は亡Dが一人で担当しており、G次長及びJ所長は、電話対応等で手いっぱいだったこともあり、一覧表が適時、的確に作成されないことを注意することはあっても、その作成に協力したり、作成のやり方を指導したりすることはなかったものである。」

「大雪は同月22日の深夜まで続き、横浜市でも20cm近くの積雪になったことから、交通への影響は同月23日にも及んでおり、亡Dは、G次長及びJ所長とともに、ほとんど休むことなく、夜通し顧客対応や一覧表の作成に当たっており、疲労が蓄積する中でこのような作業を続けたことによる心理的負荷も相当大きかったというべきである。同日の朝出勤したPは、亡Dの様子を見て、自分の席の横でぼうっとしているように見えたと証言するが(証人P)、これは、強い心理的負荷を受けて疲弊した亡Dの様子を裏付けるものということができる。」

「Pは、同日、亡Dに対し、『トラックの状況などをきちんと把握しておかないと配車担当として責任を取らされるぞ。』と言った・・・。Pは、当時再雇用で就労していたものであり、亡Dに対し何らかの責任を課する権限を有していないのであるから、亡Dに何らかの責任を負わせる意図があったわけではなく、亡Dがトラックの所在等を的確に把握している様子がうかがわれなかったことから、その把握を的確に行う必要があることを指摘する趣旨で発言したものと認められる。」

「亡Dは、同日午前10時36分に、妻である原告に対し、『もう死にたいです。全部俺のせいにされそうです。』というメッセージを送信している・・・。このメッセージの送信と、Pの上記発言の前後関係は明らかではないが、いずれにしても、亡Dとしては、顧客に適時、的確な報告をすることができなかった原因は、自分がトラックの所在等を的確に把握することができなかったためであると自責の念があったところ、Pの上記発言を受けて、その思いを強くした可能性は否定できない。」

「以上のとおり、同月22日から翌23日にかけての大雪に関する顧客対応は、トラックの所在等を的確に把握するという困難な作業を伴うものであり、顧客からも強い口調で報告の要求があったこと、亡Dは、報告の前提となる一覧表の作成をするよう指示されたが、トラックの所在を的確に把握することができないため、その作業を的確に行うことができず、そのことを注意されるなどしていたこと、顧客対応は夜通し続き、同月23日の朝には、亡Dは疲弊した状態にあったことなどの事情が認められるのであり、これらを総合して考慮すれば、この顧客対応による亡Dの心理的負荷の強度は『強』であると評価するのが相当である。

3.カスハラ対策の義務化

 改正法で定義されているカスハラ(顧客等言動)とは、

職場において行われる顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者・・・の言動であって、

その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたもの

をいいます。

 本件の顧客らの言動がカスハラとまで評価できるものであったのかは分かりません。

 しかし、大雪という配送業者側に責任のない事情で生じた問題について、1時間おきに連絡したり、強い口調で報告を求めたりすることは、文言によっては法的に問題があるものと判断されてもおかしくはないように思われます。

 改正法が施行されれば、顧客等の言動から労働者をきちんと保護していなかった事業者に対し、労災民訴(損害賠償請求)を行える可能性が高まるのではないかと思います。

 カスハラ対策の義務化を前に、裁判所の判断は、実務上参考になります。