弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

和解の実体について(NGT裁判を題材に)

1.AKS側の対応の理解

 先の記事で、AKS側の対応が「敗戦の弁に近い印象を受ける。」と書きました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/03/27/222736

 新潟日報の次の記事からも、そのことは推測可能だと思います。

「訴訟でAKS側は、2018年12月に元メンバーの山口真帆さんが暴行を受けたなどとして、男性2人に賠償を求めている。争点の一つとなった山口さんへの暴行の有無について、AKS側代理人は『難しい部分で、まだ交渉の途中。暴行はあったとみているが、和解案で一概に「あった」と表現することがいいとは思っていない』とし、明記しない可能性も示唆した。」

https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20200328533877.html

2.和解の基準・和解の実体

 和解をするにあたっては、それまでの審理で積み重ねられてきた裁判所の心証が基準になります。

 原告の言い分に理由がある事案では原告寄りの和解案が議論されますし、逆に被告の言い分に理由のある事案では被告寄りの和解案が議論されます。

 和解するかどうかの意思決定は、議論されている内容で和解をした場合と、判決を取得した場合を比較して、どちらが有利なのかを考えて行います。

 その際に拠り所になるのが、裁判所から開示される暫定的心証です。

 裁判官は尋問に至るまでの間に種々の証拠を吟味検討しています。

 尋問は裁判所が新たに心証形成する手続というよりも、それまでに形成された暫定的心証を確認する手続に近いです。

 東京弁護士会のLIBRAという会報の2011年5月号に「民事裁判における効果的な人証尋問」という特集が組まれています。

 ここでの基調講演で当時の東京地裁の民事第5部の部総括判事が次の通り語っています。

「争点整理手続を経て集中証拠調べを行いますので,裁判官は,争点整理手続の中でさまざまな書証や陳述書を既に見ております。その過程で裁判官は事件について暫定的な心証を持っているのが通常です。裁判官は,その暫定的な心証を 集中証拠調べの中で吟味することが多いわけです。」(14頁参照)

https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2011_05/p02-19.pdf

 実務上、尋問前に裁判所から示された暫定的心証が、尋問後に変更されることはあまりありません。そのため、尋問前の心証開示で、原告も被告も、このまま手続が判決に流れて行った場合に、どのような結論になるのかはある程度予想できます。だから当事者は和解に応じるのです。結論がどちらに転ぶか分からないというブラックボックスの中ではどちらも自分が勝てると思っているので、歩み寄りの動機がありません。訴訟提起時は見通しが不明確なので合意に至らなくても、審理を継続する中で裁判所の考え方が分かり、争いを続けた場合との思考実験が可能になるから和解・互譲で訴訟が終了するという現象が起きるのです。

 上述のような意味において、和解というのは足して2で割るような手続ではありません。請求権の存否・内容に関する裁判所の暫定的な心証が前提になるという意味においては勝敗のある手続です(勝訴的和解・敗訴的和解という言葉があるのはこのためです)。

3.和解に至らないケース

 和解に至らないケースは、勝訴的な当事者が歩み寄らない場合と、敗訴的な当事者が歩み寄らない場合の二パターンがあります。

 暫定的心証が勝訴的なものであったとしても、尋問は素人(依頼人など)を法廷で喋らせることになるため、常に不確定要素がつきまといます。また、一審で勝っても、二審の裁判官が一審の裁判官と同様の心証を抱くとは限りません。時間的なメリットや、敗訴当事者の任意の履行が期待できることもさることながら、そこまでに獲得した成果(暫定的心証)を形にするため、勝訴的な心証開示を受けた当事者が和解することは珍しいことではありません。

 勝訴的な心証を開示された当事者が和解に応じないのは、判決を得ること自体に価値を置いている事案や、リスクはあってもリターンの最大化を目指して踏み込んで行く事案です。

 他方、敗訴的な心証を開示された当事者が歩み寄る理由は分かりやすいと思います。敗訴によるダメージを回避するためです。敗訴的な当事者が歩み寄りを拒否するのは、暫定的心証の背後にある裁判所の論理を分析して控訴すれば逆転できる可能性があるという判断に至った場合か、逆転の可能性に賭けなければならない場合だとか、上訴による訴訟の引き延ばしに一定の利益がある場合に限られてくるのではないかと思います。

4.AKS側の代理人の発言の弁護士的な理解の仕方

 AKS側は、当初、訴訟の目的を、

「このような事態に陥った原因を究明し、再発防止につなげたい」

ことであると定義していました。

 文字通りに受け取るのであれば、裁判所の判断を得ること自体に価値を置いて始めた訴訟だと言っても問題ないだろうと思います。

 裁判所の示した暫定的心証、真実がAKS側にとって都合の良いものであった場合、AKS側に和解する動機はありません。和解を検討するということ自体、当初設定された目標との関係でイレギュラーが生じていることが推測されます。

 断定はできませんが、暴行の事実を明記するかどうかが議論になっているというのは、裁判所からこのままでは暴行の事実の認定自体が微妙になるという心証を開示されたからではないかと思います(裁判では弁論に顕出されたものしか心証形成の材料にはならないので、山口氏の協力がなければ、客観的真実という意味での暴行がどうだろうが、こういう結果になるのは、当たり前と言えば当たり前です。)。暴行の事実に関する暫定的心証がAKS側の主張と一致しているのであれば、裁判所の判断が予測される中で、被告側が暴行の件を条項化したいとするAKS側の提案を強硬に突っぱねることは考えられにくいように思われます(そうした態度をとって、AKS側が和解の席を蹴れば、判決でAKS側の主張に沿う事実が、より明瞭な形で認定・公表されてしまうだけなので争っても意味がないという趣旨です)。

 裁判所の暫定的心証は芳しくない、真相解明を掲げてここまで引っ張った以上、無限定な秘密保持条項で和解内容の一切を秘匿することはやりにくく、何等かの例外(AKS側から公開してよい範囲・内容)を設定したい、しかし、被告は原告主張の暴行の態様を争っており、暴行の件を和解条項化することや具体的文言に反対している、このような八方塞がりの中で出てきたのが、例の、
「難しい部分で、まだ交渉の途中。暴行はあったとみているが、和解案で一概に『あった』と表現することがいいとは思っていない」

という発言ではないかと思います。

 おそらくAKS側が考えてきた・考えているのは、

① 秘密保持条項に例外を設けず、一切合切情報を表に出さないという形で和解することの方がましなのか、

② 公開してよい情報の内容・範囲、公開時の文言について、被告が歩み寄れるレベルまで譲歩して、不十分ながらも情報をコントロールして行くことを目指して行くか、

であり、こうした葛藤を口にすることができないから、

「暴行はあったとみているが、和解案で一概に『あった』と表現することがいいとは思っていない。」(なぜ、いいと思っていないのかは言わない)

という、一般の方が聞いて、分かりにくい発言になっているのではないかと思います。