1.NGT裁判の弁論準備手続
ネット上に、
「NGT裁判、次回4月8日にも和解成立へ…双方が『積極的に検討』」
という記事が掲載されています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200327-00000076-dal-ent
記事には、和解を進めている理由として、
「今回の訴訟でAKS側は当初、『公開法廷の中で、事実を白日の下にさらす』と宣言していたが、結果としてほぼ公開されないままでの和解となる見込み。これについて遠藤弁護士は『今までの準備書面のやりとりで、被告の主張は出尽くしている。確たる客観的な証拠は出てきてないが、証人尋問をやったからといって出てくるかはわからないし、なるべく争いごとは長く続けるべきではないという考え方もある』と理由を語った。」
「加えて『真実発見の見地からは、(山口以外の)他のメンバーが本件には関与していないという、身の潔白が証明できた』と説明。山口への暴行事件に関わったとして警察から事情を聞かれたメンバーもいたことなどから、『メンバーには精神的ショック大きかったし、再出発できないかもというのがあったので…。そこは裁判の意義の一つで、一定の効果はあったのかなと思う』と話した。」
と書かれています。
2.本当に一定の効果はあったのか?
AKS側の主張は敗戦の弁に近い印象を受けます。
証人尋問(おそらく被告らの当事者尋問のことを言っているのだと思います)を実施したからといって被告らが真実を語るとは限らないことは、当初から予測できていたことです。そもそも、山口氏の協力を取り付けられないまま訴訟提起した時点で、AKS側には被告らの主張の信用性を吟味・検討する方法はなかったはずです。裁判が被告らの言いっ放しになることは、想定の範囲内の出来事でしかありません。
また、本件は統計上「その他の損害賠償」という項目で括られている損害賠償請求事件に該当すると思われますが、その平均審理期間は11.2か月です(「地方裁判所における 民事第一審訴訟事件の概況及び実情」12頁参照)。
https://www.courts.go.jp/toukei_siryou/siryo/hokoku_08_hokokusyo/index.html
https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file4/hokoku_08_02minji.pdf
本件の提訴は昨年4月26日です。そこから第1回口頭弁論(昨年7月10日)までが結構長いことを考えると、弁護士的な感覚では、それほど長く争っているという印象は受けません。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190528-00000125-kyodonews-soci
本件で判決を言い渡すために残された作業は人証調べだけです。法廷の空き具合や尋問調書(尋問の文字起こしのことです)の作成までの時間にもよりますが、判決までにそれほど時間のかかる手続段階ではないと思います(主張と書証が出尽くした後の普通の流れは、人証調べ→判決 か 人証調べ→最終準備書面の提出→判決 のいずれかで、途中で和解協議が入らない場合、実質審理が行われる期日は1~2回です。判決言い渡し期日は、文字通り判決が言い渡されるだけで、何か具体的なやりとりをするわけではありません)。
「真実発見の見地からは、(山口以外の)他のメンバーが本件には関与していないという、身の潔白が証明できた」というのも、単純に原告も被告も他のメンバーが関与したという主張をしなかっただけで、何かの事実を勝ち取ったというのとは少し意味合いが違っているように思われます。それに、原告も被告も他のメンバーが関与したとは主張していなのだから、この点を獲得目標にするのであれば、尋問を実施した方がより成果が明確になるはずです。
更に言えば、元々、訴訟の目的は「このような事態に陥った原因を究明し、再発防止につなげたい」ということであり、他のメンバーの潔白の証明に焦点があるとは言っていなかったようにも思います。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190710-00000095-kyodonews-soci
以上の理由から、原告が掲げる和解を決意した理由は、あまり実質的であるようには見えません。
おそらくは原告にそれほど好ましくない心証が裁判所から開示され、このまま公開法廷での人証調べ(非公開の弁論準備手続では証人尋問はできません。当事者尋問も同じです。)や判決を言い渡されるよりは、現時点で和解をしてしまった方が、まだダメージが少ないと判断したのではないかと思います。
https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_minzi/minzi_01_02_02/index.html
3.裁判の経過が教えてくれること
民事裁判の経過が逐一報道されて行くことはあまりないと思います。
民事訴訟法自体が技術的で読みにくいこともあり、一般の方が民事裁判の実体を知る機会はそれほどなかったのではないかと思います。
この裁判の顛末は、次の二つのことを、一般の方に分かりやすく実証してくれたように思っています。
一つは、訴訟戦略のない裁判は、大抵うまく行かないということです。真実はこうだという確信や具体的な立証計画が持てないまま、何となく訴訟を提起したところで、期待通りに物事が進むことはありません。創作の世界では「真実を知るために・・・」という言葉が語られることがありますが、そういう感覚で現実の民事訴訟を提起すると、火傷することが多いように思われます。訴訟提起時はいいにしても、終わらせるのに苦労します。自分で裁判を起こす時、弁護士に裁判の依頼を考える時の参考になればと思います。
もう一つは、事件報道に接するには冷静な目が必要なことです。裁判や法律のことに限って言えば、メディアにはあまり専門性はないと思っています。明らかに法律や裁判のことを分かっていないと思われる記者が書いた記事は少なくありません。プライバシーへの意識が希薄な記事、事件の当事者の人生に与える影響を顧みない記事も多いと思います。これを機に、事件報道の実体がどのようなものか、今後どうあるべきかの議論が深まれば、この裁判にも一定の意味があったと言えるかも知れません。