1.時間外勤務手当等(残業代)計算のための資料の持ち出し
時間外勤務手当等(残業代)を正確に計算するためには、タイムカードや業務日報等の資料が必要になります。相談者や依頼者に、こうした資料の写しを持ってきて欲しいというと、そのようなことをしても大丈夫なのかと心配する方がいます。
厳密な意味で法的な問題が生じないようにするためには、多角的な検討が必要なこともあります。しかし、懸念しているのが、証拠能力が否定されないかということであれば、あまり心配は要りません。民事裁判においては、余程逸脱した態様で入手した証拠でもない限り、証拠能力が否定されることはないからです。
近時公刊された判例集にも、使用者の明示的な承諾を得ないまま持ち出した日報のコピーに証拠能力が認められた裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、宇都宮地判令2.6.5労働判例1253-138 エイシントラスト元代表取締役事件です。
2.エイシントラスト元代表取締役事件
本件で被告になったのは、エイシントラスト株式会社(トラスト社)の代表取締役であった方です。
原告になったのは、トラスト社の従業員として雇用され、トラック運転手として稼働していた方です。トラスト社を被告として割増賃金請求訴訟を提起し、請求認容判決を得たものの、同社がこれを支払わないため、被告に対し、会社法429条1項を根拠に未払割増賃金相当額の損害賠償の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。
本件の原告は、労働時間を立証するため、運転日報のコピーを持ち出し、これを証拠として提出しました。
これに対し、被告は、
「原告は、トラスト社のコンピューターから管理者の許可なく不正に本件運転日報の情報にアクセスし、プリントアウトしたものであると考えられるが、これは窃盗行為として違法であり、このような違法手段で入手した本件運転日報を証拠として採用することは正義に反し、許されない。」
と主張しました。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、運転日報のコピーの証拠能力を認めました。
(裁判所の判断)
「民事訴訟法には証拠能力についての規定はないが、証拠が著しく反社会的な手段によって収集されたものである等、信義則上これを証拠として採用することが許されないとするに足りる特段の事情がある場合には、違法収集証拠として証拠能力が否定され得ると解するのが相当である(東京高裁昭和52年7月15日判決・判時867号60頁、神戸地裁昭和59年5月18日判決・判時1135号140頁翰関西電力事件・労判433号43頁-編注肝等参照)。」
「本件において、被告は、本件運転日報は違法な手段で入手されたものであり、これを証拠として採用することは正義に反し、許されないと主張する。」
「しかし、前記認定事実⑽のとおり、原告が本件運転日報をコピーするに当たり、Aらや他の従業員から特段注意されたり、禁止されたりすることはなかったことが認められる。」
「また、本件運転日報は、原告がトラックに乗務した毎日の出庫・入庫日時、走行距離、走行時間、停止時間、走行速度、移動場所などを記録したものであって、原告の乗務状況を客観的に記録した書面であり、原告がこれを閲覧・保存したとしても、それだけでは直ちに会社に特段の影響を与えるものではないし、仮にこれが第三者に漏洩することがあったとしても、これにより会社が大きな損害を被る可能性が高いものともいえない。」
「実際に、本件運転日報には、乗務の態様について5段階程度で評価し、運転者に対してコメントを加えている欄があることが認められ、運転手が自らの乗務の改善のために閲覧することを前提としているとも考えられ、トラスト社において、本件運転日報のデータや印刷物が厳重に管理されていた形跡もない。」
「さらに、トラスト社において割増賃金が支払われておれ(ママ)ず、原告としては、その労務管理に疑問を抱くこともやむを得ない状況であったこと、トラックの運転手という業務の性質上、運転日報によらなければ、後日その労働時間を証明することは困難
であること等をも考慮すれば、原告が、勤務時間中に本件運転日報を業務上の必要なくコピーしたものであるとしても、著しく反社会的な手段を用いて証拠を収集したものであるとまで認めることはできず、他に、本件運転日報を証拠として採用することが信義則に反して許されないとする特段の事情を認めるに足りる的確な証拠はない。」
「そうすると、被告の主張を採用することはできず、本件運転日報の証拠能力は否定されない。」
3.問題になること自体少ないが・・・
労働時間に関する資料は隠し通せるものではありません。使用者側で出さないでおこうとしたとしても、重大な証拠であるため、文書提出命令(民事訴訟法221条以下参照)を申立てれば、タイムカードや日報は法廷に顕出されることになります。
また、上述のとおり、民事訴訟における証拠の証拠能力が否定される場面は、極めて限定的に理解されています。
加えて、コピーの持ち出しが禁止されるとなると、証拠保全という不意打ち的な手続の増加が懸念されます。裁判所におしかけられて、事業所内の労働時間立証に関連する書類を写真撮影されることの負担は、労働者がこっそりとコピーを持ち出した場合の比ではありません。
そのため、コピーの入手経路が裁判所において大々的に議論されることは、実務上、それほど多いわけではありません。
このような理由から、近時では、コピーを持ち出すことの是非が論点として提示されること自体が一昔前よりも減っているように思われす。
とはいえ、論点として、問題提起されることは、決してないわけではありません・。本裁判例は、そうした場合に活用すできる裁判例群に一例を加えるものとして位置付けられます。