弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労務管理を素人任せにしていた代表取締役に未払割増賃金額に相当する損害賠償義務が認められた例

1.代表取締役に対する割増賃金(残業代)請求

 割増賃金(残業代)の支払義務を負うのは、飽くまでも労働契約の当事者である会社です。しかし、無資力である(強制執行の対象財産がない)などの理由から、裁判所で割増賃金の支払を命じる判決を言い渡してもらっても、十分に回収できない場合があります。こうした場合、労働者側としては、経営者(取締役)個人に責任追及することができないかを検討することになります。

 会社法429条1項は、

「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 ここでいう「役員等」というのは「取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人」の総称を指します(会社法423条1項)。

 取締役は「法令・・・を遵守し、株式会社のため忠実にその職務を行わなければならない。」とされています(会社法355条)。

 労働基準法などの法令を遵守することは取締役としての基本的な職務の一つです。したがって、会社の無資力等により損害が発生していると認められる場合、労働者が会社法429条1項に基づいて、割増賃金に相当する額の損害賠償を請求することは、理論上、全くおかしなことではありません。実際、損害賠償請求を認める裁判例は、公刊物に掲載されている限りでも、多数確認されています。

 しかし、会社法429条1項に基づく損害賠償請求が認められるためには、単に取締役が法令違反を看過したというだけでは足りず、そのことに「悪意又は重大な過失」が認められなければなりません。

 それでは、「悪意又は重大な過失」が認められるのは、どういった場合なのでしょうか? 

 会社経営を行うにあたっては、複数の取締役が任務を分掌していることが少なくありません。このような場合、労務管理を他の取締役に任せていたことを理由に、免責を主張することは許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。宇都宮地判令2.6.5労働判例1253-138 エイシントラスト元代表取締役事件です。

2.エイシントラスト元代表取締役事件

 本件で被告になったのは、エイシントラスト株式会社(トラスト社)の代表取締役であった方です。

 原告になったのは、トラスト社の従業員として雇用され、トラック運転手として稼働していた方です。トラスト社を被告として割増賃金請求訴訟を提起し、請求認容判決を得たものの、同社がこれを支払わないため、被告に対し、会社法429条1項を根拠に未払割増賃金相当額の損害賠償の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。

 これに対し、被告は、

「トラスト社の設立にあたり出資はしたが、同社の経営は、代表取締役のA及び取締役のBに任せていた。」

などと主張し、損害賠償責任を負わないと反論しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。結論としても原告の請求を認容しています。

(裁判所の判断)

「会社の役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う(会社法429条1項)。」

「そして、会社の従業員に対する賃金の支払義務は、一次的には当該会社自身が負うべきことは当然であるが、会社は基本的に従業員を労働させることによって利益をあげており、従業員は会社の重大な存立基盤である上、従業員の側からみても、会社から適法に賃金の支払がされることは、その生活を維持するために最も重要な事項であって、違法な賃金の不払には罰則が定められていること(労働基準法119条等)も踏まえれば、会社によって賃金支払義務が履行されず、その不履行が役員の悪意又は重大な過失によるものであって、かつ、従業員が会社に対する賃金支払請求権を有するとしても、なお従業員に損害が生じているものと認められる場合には、当該会社の役員は、会社をして従業員に対し適法な賃金の支払をさせる任務を怠ったものとして、会社法429条1項に基づき、従業員に生じた損害を賠償する責任を負うものと解すべきである。」

「本件において、前記認定事実・・・のとおり、被告は、①C社の代表取締役であったところ、関東の顧客の依頼に応えるために全額出資して同業を営むトラスト社を設立し、自ら代表取締役に就任したこと、②C社の従業員であったAらをトラスト社の取締役に就任させ、通常業務を一任したこと、③トラスト社の代表印はAらに管理させていたが、同社の銀行口座は自ら管理し、同口座から人件費の支出をしていたこと、④トラスト社の代表取締役在任中、役員報酬として月十数万円程度を受け取っていたことに加え、⑤トラスト社の業務のほとんどはC社の下請けであったこと、⑥トラスト社の使用していたトラックはC社の所有であったことが認められる。」

「そして、トラスト社のようなトラックによる運送事業を営む会社において、その運転手の労務管理は経営上重要度の高い事項であり、かつ、必ずしも容易なものではないと考えられるところ、Aらは同業のC社の従業員であったとはいえ、運送会社の経営や労務管理を行った経験があったとは認められないのであるから、上記・・・の各事情の下では、被告には、Aらに対して運転手の労務管理についてC社のノウハウを具体的に伝えて指導する等し、また、トラスト社の業務開始後少なくとも当面の間は、自ら行うか又は専門家に依頼するなどして、給与規程の内容、従業員の稼働状況及び給与の支払状況を確認し、従業員に対し適法な賃金の支払がなされているかどうかを確かめる義務があったというべきである。

「ところが、被告は、前記認定事実のとおり、トラスト社の給与規程の内容や、いわゆる36協定の有無について把握しておらず、法令の遵守について、口頭で法令を守るようにAらに指示することはあったが、具体的な就業規則、給与規程の作成を指示することはせず、従業員の稼働状況や給与の支払状況について確かめておらず、原告から未払賃金の請求を受けた後も、被告代理人弁護士を通じて、トラスト社の代表取締役を辞任した旨の通知を送った後は、原告の稼働状況等を調査し未払賃金の有無を確認することもしなかったのであって、これは、上記・・・の義務を怠ったものと評価せざるをえず、少なくとも重大な過失により自らの代表取締役としての任務を怠り、Aらがトラスト社をして原告に対し労働基準法に定められた割増賃金を支払わせる義務を怠るのを看過したものであって、会社法429条1項に基づき、これにより原告に生じた損害を賠償すべき責任を負うと解するのが相当である(最高裁大法廷昭和44年11月26日判決・民集23巻11号2150頁参照)。

これに対し、被告は、トラスト社の経営はAらに任せており、C社の代表取締役としての業務に忙殺されていた被告が労務管理をするのは不可能であったと主張する。しかし、前記・・・で示した各事情に照らせば、被告は、名目上の代表取締役では到底なく、むしろAらを指導すべきことが期待される立場にあり、実際に指導力を行使することも十分可能であったといえる。被告が遠隔地に居住し、C社の代表取締役を兼務していた事実や、その他被告が主張する各事情は、上記認定を左右するに足りるものではない。

「したがって、被告の主張を採用することはできない。」

3.安易な素人任せは許されない

 本件の裁判所は、未経験の者に労務管理を委ねるだけでは、悪意や重過失まで否定されるわけではないとの判断を示しました。

 実質的な経営者が、役員としての責任を免れるため、身代わりになるような人物を適当な役職に就かせることは、実務上、しばしば目にすることがあります。そうした職務分掌を否定した点は、同種事案の処理にあたり参考になるように思われます。