弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働時間を抑制するための制度を構築する義務-100時間分の固定残業代は安全配慮義務違反?

1.想定労働時間が異様に長い固定残業代

 「時間外労働、休日および深夜労働に対する各割増賃金(残業代)として支払われる、あらかじめ定められた一定の金額」を固定残業代といいます(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕115頁参照)。

 固定残業代には、基本給に組み込まれているものと、手当として支給されているものがあります。いずれにせよ、これが有効であるためには、時間外勤務等の対価としての部分が判別可能であることが必要になります。

 固定残業代については、80時間分、100時間分といったように、異様なほど長い時間外労働が想定されているものがあります。労働基準法36条4項は、原則的な時間外労働の限度時間を1か月あたり45時間と定めています。また、一般に、80時間を超える時間外労働が何か月も続くと、脳血管疾患及び虚血性心疾患等が労災と認められやすくなります。こうしたルールと比較すると、80時間、100時間といった時間外労働を想定した固定残業代を設けることの異様さが分かりやすいのではないかと思います。

脳・心臓疾患の労災補償について|厚生労働省

 この想定労働時間が異様に長い固定残業代について、批判的な目を向ける法専門家は少なくありません。裁判例の中には、想定時間外労働時間数の長さを理由に、固定残業代の効力を否定するものもあります。しかし、これを肯定するものもあり、裁判例の傾向は必ずしも一定していません。

固定残業代における残業時間数の上限について - 弁護士 師子角允彬のブログ

 裁判例が統一されていないことは、想定労働時間が異様に長い固定残業代を是正しない口実になっており、常々問題だと思っていました。

 こうした状況のもと、近時公刊された判例集に、106時間の時間外労働が生じることを想定した固定残業代について、安全配慮義務の不履行だと判示した裁判例が掲載されました。昨日もご紹介した、札幌地判令3.6.25労働判例1253-93 A社ほか事件です。

2.A社ほか事件

 本件は、いわゆる労災民訴の事件です。

 本件で原告になったのは、自殺した労働者(亡太郎)の遺族3名です(妻・原告花子、長男・原告太郎、二男・原告二郎)。

 被告になったのは、暖房設備工事等を業とする株式会社と、その代表取締役です(被告会社、被告乙山)。

 亡太郎は、新築の住宅の配管工事やボイラー、パネル等の取付け作業等に従事していましたが、平成24年12月22日、業務時間中に職場放棄をして、その日以降出社しなくなり、同月中に退職しました。その後、約4か月を経た平成25年4月13日、自殺により死亡しました。

 これについて札幌中央労働基準監督署長から労働者災害補償保険に係る支給決定(遺族補償年金、遺族特別支給金、遺族特別年金)を受けた後、亡太郎が鬱病エピソード(鬱病)又は適応障害を発症して自殺したのは被告会社での加重な業務のためであるなどと主張して、原告らが被告らに損害賠償を請求したのが本件です。

 亡太郎は、基本給16万8000円、106時間分の固定残業代が含まれるものとされていた職務給12万9900円という賃金体系のもと、かなりの長時間労働を行っており、本件では、これが安全配慮義務に違反するのではないのかが問題になりました。

 この論点について、裁判所は、次のとおり判示し、被告らの責任を認めました。

(裁判所の判断)

「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険があることから、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務を負うと解するのが相当である(最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁翰電通事件・労判779号13頁・・・。」

「本件についてこれをみるに、被告会社においては、亡太郎の就労当時、労働者に時間外労働をさせるために労働基準法36条所定の協定を締結する必要があることを認識しながら、これをしないまま、106時間の時間外労働が生じることを想定して、当該時間に相当する固定残業代に係る賃金体系を割増時間外手当と職務給に対応する部分の区別のできない形で採用し・・・、労働者を時間外労働に従事させていたのであって・・・、そもそも労働者の労働時間を抑制するための制度を構築していなかったものである。

「そして、被告会社は、亡太郎から日報の提出を受けたものの、個々の日報記載の拘束時間を確認するにとどまり、拘束時間や時間外労働時間について意味を見いだせないとの理由で集計することをせず・・・、亡太郎の業務の過重性を軽減する措置を講じなかったものである。」

したがって、被告会社はその注意義務を怠ったというべきであり、民法709条に基づく損害賠償責任を負う。

3.想定残業時間が異様に長い固定残業代は安全配慮義務違反

 被告の固定残業代は法の求める有効要件を具備していませんでした。これが具備されていても同じ判断になったのかは不分明です。

 しかし、それを措くとしても、想定残業時間が異様に長い固定残業代について、安全配慮義務違反だと判示された点は、画期的な判断ではないかと思います。本件は、異様な量の時間外労働を想定した固定残業代について、是正を求めて交渉するにあたり活用できる可能性があります。