弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

心停止だけれども労災の対象疾病に該当しないとされた例

1.脳・心臓疾患の労災補償

 令和3年9月14日 基発0914第1号「血管病変等を著しく増悪させる業務による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(令和5年10月18日改正)は、脳・心臓疾患の労災補償について、次のとおり規定しています。

業務による明らかな過重負荷が加わることによって、血管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し、脳・心臓疾患が発症する場合があり、そのような経過をたどり発症した脳・心臓疾患は、その発症に当たって業務が相対的に有力な原因であると判断し、業務に起因する疾病として取り扱う。」

脳・心臓疾患の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/001157873.pdf

 要するに、

業務による明らかな荷重負荷

脳・心臓疾患の発症、

過重負荷と脳・心臓疾患との間の因果関係

がある場合、当該脳・心臓疾患は、労災の対象になります。

 しかし、ここでいう脳・心臓疾患には、次のとおり限定が付されています。

「本認定基準は、次に掲げる脳・心臓疾患を対象疾病として取り扱う。

1 脳血管疾患

(1)脳内出血(脳出血)

(2)くも膜下出血

(3)脳梗塞

(4)高血圧性脳症

2 虚血性心疾患等

(1)心筋梗塞

(2)狭心症

(3)心停止(心臓性突然死を含む。)

(4)重篤な心不全

(5)大動脈解離」

 要するに、脳・心臓疾患であれば、無条件に労災の対象となるわけではなく、労災給付を求めるためには、当該脳・心臓疾患が対象疾病に該当している必要があります。

 しかし、近時公刊された判例集に、心停止でありながら、対象疾患には該当しないと判示された裁判例が掲載されていました。東京地判令6.3.14労働経済判例速報2562-13 国・中央労基署長(順天堂医院)事件です。

2.国・中央労基署長(順天堂医院)事件

 本件は労災の遺族補償給付等の不支給処分の取消訴訟です。

 被災者は、大学医学部付属医院(本件医院)で看護師として働いていた方です。この方は、リンパ球性心筋炎によって心筋細胞の損傷が起き、同一心房結節などの刺激伝導系が傷害された結果、心筋収縮の調和が乱れる心伝導障害を生じ、不整脈となったことで、心臓機能が停止し、自宅において死亡していることが確認されました。

 被災者の両親は、これを業務による死亡と主張し、遺族補償給付や葬祭料を請求しましたが、処分行政庁(労働基準監督署長)は、不支給とする判断を下しました。

 これに対し、審査請求、再審査請求を経て、取消訴訟を提起したのが本件です。

 本件では、被災者の疾患が対象疾病に該当するのかどうかが争点となり、裁判所は、次のとおり述べて、被災者の疾患は対象疾病には該当しないと判示しました。結論としても、原告の請求を棄却しています。

(裁判所の判断)

「被災者は、死亡の8~5日前頃に心筋炎の原因となったウイルスに感染し、死亡の2日前に倦怠感、息苦しさ及び心外膜炎によると考えられる動悸・胸痛といった初発症状を生じ、同日に動悸のため3点式心電図をとったものの異常は発見できず、医療機関を受診することなく、死亡の1日前には、動悸を鎮める売薬を服薬したのみで、翌日午前の待ち合わせの約束を変更・キャンセルすることもなく、ベッド上で亡くなったものである。そして、その死亡の機序は、リンパ球性心筋炎において起きる心筋細胞の傷害によって心臓の刺激伝導系が傷害され、致死性不整脈を生じ、心臓機能が停止(心停止)したことによる。」

「そして、急性心筋炎のガイドラインにおいては、急性心筋炎のため無症状で経過し突然死で発見される場合があること、不整脈では心室頻拍や心室細動、心静止の出現は致死的であること・・・が紹介されているが、どのような症例において、このような危険で致死的な不整脈を生じるのかは明らかにされていない・・・。被災者のようにリンパ球性心筋炎によっ刺激伝導系が傷害された場合、電気的不均衡、心伝導障害により致死的不整脈が生じることは説明ができるが・・・、どのような症例で、どのような不整脈が生じるのかは明らかにされていない・・・。」

「したがって、被災者において、リンパ球性心筋炎による刺激伝導系の傷害によって、初期症状の発現からわずか2日後に致死的不整脈が生じたことについて、業務の過重負荷が関与したと認めるべき医学的知見は存在せず、この点について業務との関連性は否定されるというべきである。」

「また、被災者に起きた致死性不整脈による心停止は、リンパ球性心筋炎による心筋の傷害が刺激伝導系において発生したことによるものであるところ、被災者におけるこの経過は、感染から数日以内、初発症状から2日後といったごく短期間で起きた現象であって、業務の過重負荷が関与する暇はなかったものであるから、被災者においてリンパ球性心筋炎による致死性不整脈が感染から間もなく早期に生じたことについて、業務との関連性を認めることができない。」

「そして、脳・心認定基準は、脳・心臓疾患には発症の基礎となる血管病変等が長い年月の営みの中で徐々に形成、進行するものがあるところ、これが業務の過重負荷によって自然的経過を超えて増悪することがあることから、そのような脳・心臓疾患を対象として、業務起因性の判断を行うために設けられたものである・・・。したがって、被災者のように、初発症状の発言から2日後に心伝導障害を生じ致死性不整脈により心停止し死亡するといった経過の急性心筋炎による致死性不整脈は、脳・心認定基準の適用の前提を欠くというべきである。」

(中略)

「したがって、脳・心認定基準、令和3年報告書及び平成13年報告書のいずれからいっても、被災者のように、初発症状の発言から2日後に心伝導障害が生じて致死性不整脈により死亡するといった急激な経過をたどる急性心筋炎による致死性不整脈については、脳・心認定基準の『心停止(心臓性突然死を含む。)」には該当しないというべきである。

3.対象疾病と疾患名が一致しているだけではダメなことがある

 以上のとおり、裁判所は、被災者の心停止は、労災の対象疾患としての「心停止(心臓性突然死を含む」には該当しないと判示しました。

 対象疾患の要件については、名称さえ合致していれば、後は業務による明らかな荷重負荷が認められるか否かの問題だと即断してしまいがちです。

 しかし、名称が合致していていも、沿革や趣旨に照らし、対象疾病には該当しないと判断されることがあります。裁判所の判断は、脳・心臓疾患に関する労災事件の見通しを考えるうえで参考になります。