1.労災と労働時間
労働時間の数は、労災認定が認められるのか否かと密接に関係しています。
例えば、
令和5年9月1日 基発0901第2号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」は、
「極度の長時間労働、例えば数週間にわたる生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長時間労働は、心身の極度の疲弊、消耗を来し、うつ病等の原因となることから、発病直前の1か月におおむね160時間を超える時間外労働を行った場合等には、当該極度の長時間労働に従事したことのみで心理的負荷の総合評価を『強』とする。」
と定めていますし、
令和3年9月14日 基発0914第1号「血管病変等を著しく増悪させる業務による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」は、
「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できることを踏まえて判断すること。」
と定めています。
https://www.mhlw.go.jp/content/001140931.pdf
https://www.mhlw.go.jp/content/001157873.pdf
心理的負荷を生じさせる具体的出来事や具体的業務に抽象的、評価的な項目が目立つ中、労働時間はカウントの問題として明確に算出することができます(事業主が法を順守して労働時間管理をしていればという留保は付きますが)。
このカウントが認定基準の定めを超えていれば労災(業務起因性)が認められる可能性が一気に高まるため、時間外労働の時間数がどのくらいだったのかは、労災事件や労災民訴事件を取り扱う弁護士が先ず注目するポイントとなっています。
この労働者災害補償保険法上の労働時間は、行政解釈上、労災認定の可否を判断するうえでの労働時間は、労働基準法上の労働時間と同義であるとされています(令和3年3月30日 基補発 0330 第1号 労働時間の認定に係る質疑応答・参考事例集の活用について参照)。
しかし、法の趣旨が異なることから、行政解釈と司法判断には若干のズレが生じており、両者は必ずしも同一の概念とはいえません。
昨日ご紹介した、東京地判令6.3.14労働経済判例速報2562-13 国・中央労基署長(順天堂医院)事件は、これを分かり易い形で判示している点でも、参考になります。
2.国・中央労基署長(順天堂医院)事件
本件は労災の遺族補償給付等の不支給処分の取消訴訟です。
被災者は、大学医学部付属医院(本件医院)で看護師として働いていた方です。この方は、リンパ球性心筋炎によって心筋細胞の損傷が起き、同一心房結節などの刺激伝導系が傷害された結果、心筋収縮の調和が乱れる心伝導障害を生じ、不整脈となったことで、心臓機能が停止し、自宅において死亡していることが確認されました。
被災者の両親は、これを業務による死亡と主張し、遺族補償給付や葬祭料を請求しましたが、処分行政庁(労働基準監督署長)は、不支給とする判断を下しました。
これに対し、審査請求、再審査請求を経て、取消訴訟を提起したのが本件です。
本件では、被災者の疾患が対象疾病に該当するのかどうかが争点となり、裁判所は、被災者の疾患は対象疾病には該当しないと判示しました。
そのうえで、更にダメ押しとして「念のため、被災者の死亡の原因となった疾患を『心停止』(対象疾病 括弧内筆者)に準じるものと仮定し」て業務起因性の検討を行っているのですが、今回の記事で注目したいのは、この傍論部分における仮眠時間帯の労働時間性についての判示部分です。
裁判所は、次のとおり述べて、被災者の仮眠時間帯の労働者災害補償保険法上の労働時間性を否定しました。
(裁判所の判断)
「準夜勤では、24時に勤務を終えた後に続けて深夜勤をする場合があるほか、翌日の午前中から始業する日勤(以下、準夜勤の翌日の午前中から日勤を行う勤務形態を『準夜勤に続く日勤』という。)を行うことがあった・・・。」
「準夜勤に続く日勤の場合、準夜勤の勤務を終えてから翌日の日勤が開始するまでの時間(以下『仮眠時間帯』という。)は、当直室にベッドが用意され、就寝したりシャワーを浴びたりして過ごすことができた・・・。」
(中略)
「仮眠時間帯中、緊急の手術(産科の帝王切開や心臓カテーテル検査など)のため突然連絡を受けて業務を行う場合があった・・・。仮眠時間帯を中断して業務を行った場合、タイムカードで記録することとされ、翌日の深夜勤などに変更されるところ、基準日前6か月間に被災者が仮眠時間帯を中断して緊急に業務を行った記録はない・・・。」
「仮眠時間帯においては、就寝準備及び就労準備等のため、睡眠時間は長くても5時間程度であり、時によっては1時間程度しか睡眠がとれない場合もあり、また、環境面からよく眠れないと訴える看護師もいた・・・。」
(中略)
「仮眠時間帯(準夜勤の業務終了から日勤の業務を開始するまでの時間帯)は、本件医院内に滞在し緊急の手術が入った場合に連絡を受けて業務を行うことがあり・・・、連絡があれば業務を行うことが義務付けられていた可能性が高いから、いわゆる手待ち時間として、私法上の労働時間であった可能性が高い。他方、連絡がなければ業務はなく、シャワー浴や就寝をして過ごしていたこと、被災者は、基準日前6か月間に仮眠時間帯に連絡を受けて業務を行ったことはなかったことから・・・、労働であったとしてもその密度は極めて低いといえるため、業務起因性を判断するための業務の負荷を考える上では労働時間に含めないのが相当である。」
3.労働時間の相対性ー私法上の労働時間/労災法上の労働時間
裁判所の判断には、幾つか注目するポイントがあります。
先ず、仮眠時間帯の私法上の労働時間性(簡単に言えば、残業代請求を行うための労働時間性と同じと思って差支えありません)が肯定されているところです。不活動仮眠時間の労働時間性について、最一小判平14.2.28労働判例822-5大星ビル管理事件は、
「実作業への従事がその必要が生じた場合に限られるとしても、その必要が生じることが皆無に等しいなど実質的に上記のような義務付けがされていないと認めることができるような事情も存しないから、本件仮眠時間は全体として労働からの解放が保障されているとはいえず、労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価することができる。」
と判示しており、仮眠時間中に実作業が必要となる頻度が極端に低い場合、不活動仮眠時間の労働時間性は否定されると述べています。
本件では基準日前6か月間に仮眠時間帯に連絡を受けて業務を行ったことはなかったと認定されながらも、裁判所は、
「私法上の労働時間であった可能性が高い」
と判示しました。これは医療職としての職務の特性から、そのような判断に至ったのだろうと思います。寝ても良いからと言われたところで、人の生死がかかった連絡をいつ受けるか分からないと言う状況のもとでは、絶えず緊張を強いられ、休んだ気にならないからです。この判示は、医師や看護師など医療職・医療従事者の方の残業代請求を行う場面で活用できる可能性があります。
もう一つの注目しているのが、
「私法上の労働時間であった可能性が高い」
としつつ、
「業務起因性を判断するための業務の負荷を考える上では労働時間に含めない」
と明確に判示しているところです。
これは私法上の労働時間と労災法上の労働時間とは別だと明言しているに等しい判示です。労働時間の概念の相対性を認めた裁判例は過去にもありましたが、ここまで明確に踏み込んでいるのは、特徴的な判断だと思います。
私自身の主観的感覚ではありますが、労働時間概念の相対性は、古い裁判例では遠慮がちに判示されていました。しかし、両者を別物だとする事案が積み重なるにつれて、これをより明確な形で言い切る裁判例が増えてきているように思います。
労災事件の見通しを考えるにあたっては、こうした裁判所の判断の傾向を押さえておく必要があります。