1.メンタルヘルス対策制度を利用しなかったことと過失相殺
以前、
「若手を潰さないために-残業を命令していなくても若手が夜遅くまで残っていたら要注意」
という記事を書きました。
https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/09/15/003043
この記事の中で、町立中学校教諭が過重労働に起因する精神疾患の影響で自殺したことを受けて、その両親が若狭町と福井県を相手取って安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求をした事件(福井地判令元.7.10労働判例ジャーナル90-2 福井県・若狭町(町立中学校教員)事件)をご紹介させて頂きました。
同じ事件が近時公刊された他の判例雑誌(労働判例1216-21)にも掲載されていました。この事件は、先の記事で紹介した安全配慮義務違反に関する判断だけではなく、過失相殺についても興味深い判断を示しています。
具体的に言うと、本件は、過失相殺の判断において、メンタルヘルス対策制度を利用しなかったことを、どのように評価するのかを判示した点においても、重要な裁判例であると考えています。
本記事では、過失相殺に焦点を当てて、改めてこの裁判例をご紹介させて頂きます。
過失相殺というのは、
「債務の不履行に関して債権者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の責任及びその額を定める。」(民法418条)、
「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」(民法722条2項)
といった規定を根拠とする取扱いで、加害者に全ての損害の賠償を命じることが公平でない場合に、被害者にも損害の一定割合を負担させる仕組みを言います。
本件では、長時間労働に起因する精神障害の影響下で自殺した場合、職場のメンタルヘルス対策制度をきちんと利用していなかったことが被害者の落ち度(過失)になるのか、損害賠償額を減じる理由になるのかが問題になりました。
2.裁判所の判断
本件における中学校教諭の自殺までの間の時間外勤務の状況は次のとおりと認定されています。
平成26年 4月1日~平成26年 5月 1日 158時間17分
平成26年 5月2日~平成26年 5月31日 128時間11分
平成26年 6月1日~平成26年 6月30日 157時間41分
平成26年 7月1日~平成26年 7月31日 119時間 6分
平成26年 8月1日~平成26年 8月31日 53時間55分
平成26年 9月1日~平成26年 9月30日 169時間10分
平成26年10月1日~平成26年10月 5日 32時間55分
平成26年10月◯日(死亡)
こうした勤務状況のもと、裁判所は、
「亡一郎(自殺した中学校教諭 括弧内筆者)は、平成26年6月頃に業務を理由とする何等かの精神疾患を発症したところ、その後も亡一郎は同年8月を除き100時間を超える業務に従事していたこと、業務以外の心理的負荷が亡一郎の自殺を誘発したこと等をうかがわせる事情はないことから、亡一郎の自殺は業務により発症した精神疾患に基づくものであったと認めるのが相当である。」
と判示しました。
ただ、教員の多忙化に対して福井県教育委員会も全く対応していなかったわけではなく、職員の福利厚生のため、メンタルヘルス相談窓口を設置して、無料相談を実施していました。若狭町も、こころの悩み相談室を設け、月2、3回程度相談を受け付ける体制をとっていました。
亡一郎は初任者研修で教職員のメンタルヘルスというカリキュラムを受講してはいましたが、上記のメンタルヘルスの相談体制を利用することはありませんでした。
本件では、これが過失相殺事由として評価することができるのかが問題になりました。
裁判所は、次のとおり述べて、過失相殺を否定しました。
「被告らが設けていたメンタルヘルス対策制度は、一般的なものにとどまる上、亡一郎の勤務状況に鑑みれば、本人からの積極的な利用が期待できたともいえないから、同制度を利用しなかったことに過失があるとは認められない。」
(中略)
「よって、被告らの主張(過失相殺 括弧内筆者)は採用できない。」
3.忙しすぎて利用できないような制度では意味がない
「亡一郎の勤務状況に鑑みれば、本人からの積極的な利用が期待できたともいえないから」というのは、要するに、忙しすぎて利用できないような制度は、本人が利用しなかったとしても責めることはできないという趣旨だと思われます。
死亡事案では総損害額が数千万規模に上ることが珍しくないため、1~2割の過失相殺が認められるだけでも、数百万~一千万以上の金額が動きます。
そのため、しばしば過失相殺が熾烈に争われ、これが更に被害者や遺族を苦しめる原因となっています。
本裁判例の判示は、メンタルヘルス対策制度は忙しすぎて利用できないような仕組みでは困る、絵にかいた餅のような仕組みを設けただけで賠償額を減額することはしないとの意思を示したものとして、同種事案の参考になるとともに、メンタルヘルス対策を進めるうえでも参考になるものだと思われます。