弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

時間外勤務命令がない中で時間外勤務を行っていたことが、自殺にあたっての過失相殺事由にならないとされた例

1.過失相殺

 民法418条は

「債務の不履行又はこれによる損害の発生若しくは拡大に関して債権者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の責任及びその額を定める。」

と規定しています。

 民法722条2項は、

「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」

と規定しています。

 こうした規定に基づいて、権利者側・被害者側の責任を斟酌して損害賠償額を調整することを「過失相殺」といいます。

 民法418条は安全配慮義務違反など債務不履行を理由とする損害賠償請求で、民法722条2項は不法行為に基づく損害賠償請求で適用されています。

 過労自殺に関係して損害賠償を請求すると、しばしば使用者側から過失相殺の主張が行われます。業務量の軽減を使用者側に申し出ていない、業務を減らそうと思えば減らせたはずだ、本人が自分の限界を考えずに好きで仕事に打ち込んでいただけだなど、様々なパターンがあります。

 しかし、自分でどうこうできる精神状態、問題であるならば、そもそも自殺に追い込まれることはないわけで、こうした使用者側の主張には無理があるように思われます。一昨日、昨日とご紹介している、甲府地判令6.10.22労働判例ジャーナル156-18 甲府市事件でも、使用者側の「勝手に残業していた」パターンの過失相殺の主張は排斥されています。

2.甲府市事件

 本件は、いわゆる労災民訴(公務災害民訴)の事案です。

 甲府市職員として勤務していたP4が市役所庁舎から投身自殺したことを受け(令和2年1月17日死去)、その相続人であるP1、P2が、市に対して損害賠償を請求したのが本件です。自殺の原因は、被告が注意義務を尽くさず、P4が長時間勤務を強いられたからだというのが、原告らの主張の骨子です。

 本件においては、超過勤務命令簿に記載された勤務時間とパソコンの起動時間から裏付けられる実際の在庁時間には相当な懸隔がありました。このことを前提に、被告

甲府市側は、以下のような過失相殺の主張をしました。

(被告の主張)

「P4は、時間外勤務の前提となる時間外勤務命令がない中で時間外勤務を行っていた。また、P4は、監督職である係長として、勤務時間を管理すべき立場にあった。さらに、P4は、P6係長やその他の同僚から『一緒に帰ろう。』と声を掛けられても自発的に在庁していた上、その深夜にわたる時間外勤務が発覚した令和元年12月6日、P5課長から、遅くまで残るのであれば事前に申告して欲しいと言われるとともに、同日以降、P5課長から、毎日、前日の帰宅時間を尋ねられていたにもかかわらず、一度も事前に申告をせず、また、P5課長に対し、『大体、午後8時から午後9時である』との実際の退庁時間と異なる時間を帰宅時間として回答していた。これらの事実は、P4の過失に当たるというべきであり、仮に、被告に安全配慮義務違反が認められるとしても、過失相殺がされるべきである。」

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、過失相殺の主張を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、P4が、係長という監督職にあり勤務時間を管理すべき立場にあったにもかかわらず、時間外勤務の前提となる時間外勤務命令がない中で時間外勤務を行っており、また、P6係長から声を掛けられても、自発的に在庁していた上、その深夜にわたる時間外勤務が発覚した際、P5課長から、遅くまで残るのであれば事前に申告して欲しいなどと言われていたにもかかわらず、一度も事前に申告をしないばかりか、実際の退庁時間と異なる時間を退庁時間として回答していたとして、これらの事実は、P4の過失に当たり、過失相殺がされるべきである旨主張し、認定事実、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、P4は、本件当時、係長の立場にあったところ、P4に対し、別表2の『時間数』欄記載の時間外勤務に対応する時間外勤務命令は発せられておらず、P4は、P6係長から『一緒に帰ろう。』などと声を掛けられても自発的に在庁していたことのほか、P4は、その深夜にわたる時間外勤務が発覚した令和元年12月6日、P5課長から、今後、遅くまで残るのであれば、事前にその旨を申告するよう求められ、これについて了承していたにもかかわらず、その旨の申告をせず、同日以降、P5課長から、しばらくの間は、毎日、前日の帰宅時間を尋ねられていたが、これに対して、実際には深夜の時間帯まで在庁している場合であっても、概ね午後8時から午後9時には退庁している旨の回答をしていた事実が認められる。」

しかし、P4が係長の立場にあったことや、P4に対して、時間外勤務命令が発せられていなかったことは、P4の過失ないし落ち度に当たるものとはいえず、これらの事実を斟酌して過失相殺すべきということはできない。

また、証拠・・・によれば、P4は、時間を掛けて丁寧に仕事をする性格で、自らに厳しく妥協しない一面を有していた事実が認められ、P4がP6係長から前記のような声掛けを受けても自発的に在庁していたのは、上記の性格に基づく業務遂行の態様の一環であったということができるところ、上記のP4の性格及びこれに基づく業務遂行の態様が、本件と同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものとはいえず(最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)、P4が上記のように自発的に在庁していた事実を斟酌して過失相殺すべきとはいえない。

「さらに、認定事実及び前記・・・の説示によれば、被告においては、平成31年度当時、管理職以外の職員が所定勤務時間を超えて勤務するときは、超過勤務命令簿に所用時間を記入し、任命権者等から命令を受けなければならないとされていたにもかかわらず、事務効率課では、これに反して、年度当初より、月末にまとめて超過勤務時間を申告する運用が定着していた上、P4のパソコンの稼働時間等の客観的な記録を確認するなどといった正確な時間外勤務時間を把握するための措置は一切講じられておらず、P4の業務の負担は、事務効率課における上記のような勤怠管理の下で、令和元年12月上旬には、一般の労働者を基準として過重なものとなり、その心身の健康状態が悪化し得る程度にまで至っていたのであり、P4の業務の負担が令和元年12月上旬頃までに過重なものとなった要因は、専ら被告にあるというべきであるから、P4が、同月6日以降、P5課長に対し、時間外勤務の事実や、実際の退庁時間を申告していなかった事実を斟酌して過失相殺すべきとはいえない。

「よって、前記・・・認定の事実をもってしても、被告の主張を認めるに足りず、他に、被告の主張を認めるに足りる証拠はない。」

3.労働者の真面目さを利用するだけ利用しておいて過失相殺はないだろう

 おそらく多くの方が、直観的に、

労働者の真面目さを利用するだけ利用しておいて、自殺したら過失相殺というのは、流石に酷いのではないか、

という感覚を持つのではないかと思いますが、裁判所も、過失相殺は否定しました。

 こうした事案で過失相殺を主張することは、市役所で働く職員の士気に良い影響を及ぼすとも思われません。自殺するまで根詰めて働いていた職員の遺族に対し、残業を黙認・利用していた自治体が、責任を追及されるや自殺を自殺者自身の問題だと言い放ち、損害賠償責任の縮減に汲々とする姿勢は、お世辞にも立派とは言えませんし、法律論以前に人道的にも問題があるように思います。個人的には、行政は、本件のような事案で過失相殺を主張することは控えるべきではなかったかと思います。