1.過失相殺
民法723条2項は、
「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」
と規定しています。
被害者の過失を考慮して損害賠償の額を定めることを、講学上、「過失相殺」といいます。判決の中では、「〇割の過失相殺をすることが相当である」といったように判示され、損害賠償額の減算が行われています。
過労死事件では、過失相殺との関係で、しばしば死亡した労働者が仕事を抱え込みすぎていたことが問題になります。具体的に言うと、使用者側から、
上司に業務軽減を求めなかったり、部下に業務を任せたりしなかった労働者の側にも損害を分担すべき理由があるのではないか、
といった主張がなされます。
それでは、このような使用者側の言い分は、過失相殺事由として考慮されるのでしょうか?
この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。名古屋地判令4.8.26労働判例ジャーナル130-30 MARUWA事件です。
2.MARUWA事件
本件で被告になったのは、エレクトロニクス用・産業用エラミックス及び電子部品の開発・製造・販売等を業とする株式会社です。
原告になったのは、被告の従業員で解離性大動脈瘤により死亡した方(亡P5)の遺族です(妻・原告P1、長男・原告P2、長女・原稿P3)。亡P5が死亡したのは、被告における長時間労働及び過重な業務によるとして、安全配慮義務違反を理由に損害賠償を請求する訴えを提起しました。
被告は亡P5の死亡と業務との因果関係を争うとともに、
「総務室長には秘書担当や庶務担当の部下がいたから、仮に亡P5の仕事が過重になっていたのであれば、早朝の植木の水やりや苔の世話を含め、過重になっていた業務を部下に任せることができたし、そうすべきであった。亡P5は、総務室長として総務室を統括する立場にあったから、自らを含めた総務室に所属する者の勤務状況、従業員の不足等を被告代表取締役に申告するなどして、業務軽減のための措置をとるように求めることは亡P5の職責であり、これが不可能であったという事情はない。」
などと主張し、過失相殺の適用を求めました。
しかし、裁判所は、亡P5の死亡と業務との因果関係や、被告の安全配慮義務違反を認めたうえ、次のとおり述べて、過失相殺の適用も否定しました。
(裁判所の判断)
「被告は、
〔1〕亡P5は、総務室長として総務室を統括する立場にあったから、自らを含めた総務室に所属する者の勤務状況などを被告代表取締役に申告するなどして業務軽減のための措置をとる職責があり、自らの業務が過重になっていたのであれば、部下に対し業務を任せることも可能であった、
〔2〕亡P5は、健康診断において軽度の血液脂質異常を指摘され精密検査を受けるように、平成25年の健康診断では胃腫瘍が疑われ胃内視鏡検査を受けるようにそれぞれ指導がなされ、死亡する47日前には胸を押さえるしぐさをして兄から病院に行くように言われていたにもかかわらず、一度も病院で検査を受けることはなく、喫煙、運動、食生活等の生活習慣の見直しもしなかった
ことから、亡P5に過失があったと主張する。」
「しかしながら、使用者は、雇用する労働者に対し、従事する業務を定めることができ、労働者は、使用者から定められた業務を軽減するように求めることが容易ではないといえるから、労働者が自ら関わる業務について業務が過重になっていた場合に申告することが業務上義務付けられていたとか、使用者に対し、自らが関わる業務量について誤った認識を与えたといった事情がない限り、使用者に対し業務軽減を求めなかったことについて、労働者に過失があったと認めるのは相当とはいえない。本件において、総務室長であった亡P5は、総務室の勤務状況を把握すべき立場にあったといえるが、使用者や上司である被告代表取締役や管理本部長に対し、過重業務になっていた場合に業務の軽減を求めることを業務上義務付けられていたと認めることはできない。また、部下を含む他の従業員もそれぞれ担当業務があることから、無条件に部下に仕事を割り振ることはできないのであり、本件において、亡P5が部下に対し自らの業務を任せ、業務を軽減させることができたことを認めるに足りる証拠はないから、亡P5が部下に対し業務を任せなかったからといって、亡P5に過失があったということはできない。」
「また、亡P5の軽度の血液脂質異常は疾病と評価されるものではなく、胃腫瘍は解離性大動脈瘤の発症要因となるものではないこと、亡P5が病院を受診したとしても、解離性大動脈瘤の発症を防ぐことができたか明らかではないことからすれば,亡P5が病院を受診しなかったことを過失と評価することはできない。」
「したがって、本件において過失相殺を適用し、又は素因減額として過失相殺の規定を類推適用することはできない。」
3.それができる職場なら死亡には至らない
過労死事件が発生した後になって、
死ぬほどの業務量を抱えていたのであれば、上司に業務軽減を求めるなり、部下や同僚に仕事を割り振るなりすればよかったのではないか、
と主張する使用者は少なくありません。
しかし、それが簡単にできるようであれば過労死事件は起きません。周囲に助けを求めることができないほど追い詰められるところに過労死事件の本質があります。
裁判所が過失相殺を否定したのは、過労死事件の本質を踏まえた的確な判断だと思います。
本裁判例は使用者側の典型的な主張に反駁する根拠となるもので、今後、参照頻度の高い裁判例になって行くのでははないかと思われます。