1.自殺者の言動
自殺に至る人の言動は様々です。
辛さを吐露したり、自殺を示唆したりして、本当に自殺してしまう人がいます(よく、自殺を口にする人は死なないという話がありますが俗説です。自殺に言及する人が本当に自殺してしまうことは普通にあります)。
その一方で、死の直前までポジティブな言動をとっている例もあります。この場合、傍から見ていると、負荷がかかっているようではあっても、困難な仕事に果敢に挑戦している姿と区別することが容易ではありません。結果、自殺を阻止できなかったという事案は、決して少なくありません。
それでは、本人が「大丈夫です」などとポジティブな言動をとって、休職を申し出るなどの対応をとっていなかった場合、そのことは本人の「過失」として評価されるのでしょうか?
なぜ、被害者(自殺者)の過失が問題になるのかというと、法律には「過失相殺」というルールがあるからです。
例えば、民法418条は、
「債務の不履行又はこれによる損害の発生若しくは拡大に関して債権者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の責任及びその額を定める。」
と規定しています。自殺事案で労働者に過失があることは、安全配慮義務の履行を求める「債権者」の「過失」として、損害賠償額を減らされる理由になります。死亡事案では総損害額が数千万円規模に及ぶことが珍しくないため、何割かの過失相殺を受けるだけでも、賠償額は大きく異なってきます。
昨日ご紹介した、神戸地判令6.5.16労働判例ジャーナル154-56 神戸市事件は、この自殺事案における過失相殺との関係でも、意義のある判断を示しています。
2.神戸市事件
本件で原告になったのは、神戸市職員(被災職員)の相続人らです。被災職員が飛び降り自殺をしたのは過重な公務によるものであり、安全配慮義務が認められるなどと主張し、神戸市を訴えたのが本件です。
被災職員の方は、教育委員会事務局で調整担当係長で、神戸市立小学校における職員間ハラスメント事案に関する業務も担っていました。
被災職員の体調がすぐれない様子であることは、ある程度勤務先も認識していたようで、声掛けをしたり、産業員を受診したりすることを勧めてはいました。
これに対し、被災職員は「考えてみます」「大丈夫です」などと反応していました
具体的には、以下のような事実が認定されています。
(裁判所の事実認定)
「被災職員の上司であるb部長及びc課長は、令和2年1月30日、被災職員の顔色が悪く体調が優れない様子であると感じ、b部長は、被災職員に対し、早く帰るように声をかけた。」
「d課長は、同月31日、被災職員に対し、昨日は体調が悪そうであったことから早く帰って通院する方が良いのではないかなどと勧めた。被災職員は、同日、内科を受診し、半年前から眠れなくなった、仕事のことを考えると眠れないなどと訴え、睡眠薬を処方された。」
「被災職員は、同年2月2日、以前の部署の上司に対し、仕事がつらく、毎日ではないが睡眠薬を飲んでいること、心配は不要であることなどを記載したメッセージを送信した。同上司は、被災職員に対し、産業医を受診することを勧め、被災職員から、考えてみますとの返信を受けた。」
「被災職員は、同日、c課長に対し、『だいぶ前からですが仕事がきになり寝られなかったりすることがよくあります。睡眠薬を飲むこともあります。明け方近くまでねられずに飲めば朝方もくらくらしてよくわからなくなったりすることもあります』などと記載したメールを送信した。c課長は、『無理しないでください。とりあえず明日は休めば?日曜日の夕方はつらいので、明日の朝判断したらいいよ。なんとなくそうなんじゃないかなと思っていました。ずっと走り続けたもんね』、『一人で抱え込まず、適当に怠けてください。また私でよければ遠慮なく相談してください』などと返信した。」
「被災職員は、同月3日、職場に出勤し、以前の部署の上司から『無理したらあかんで』などと声をかけられ、笑顔で応じた。また、被災職員は、c課長やd課長から、『大丈夫か』などと確認されると『大丈夫です』などと答えた。d課長は、同月4日にも体調を確認したが、被災職員は同様の回答をした。」
「被災職員は、同月5日、d課長に対し、睡眠薬を飲んでいる旨を告げた。d課長は、『仕事上の悩みがあるなら教えてほしい』、『専門的な医療機関で受診すればどうか』などと勧めたが、被災職員は『大丈夫です』などと回答した。」
「d課長は、同月6日、b部長に対し、被災職員からの聴取内容を報告し、b部長から『無理をさせず、慎重に様子を見るように』との指示を受けた。d課長は、同日、教育長に対し、被災職員からの聴取内容を報告し、教育長から同様の指示がされた。」
「d課長は、同日、被災職員に対し、睡眠薬をどこで処方してもらったかを質問し、被災職員から耳鼻科であるとの回答がされたことから、『心療内科等の専門機関で診てもらった方がいいのではないか』などと勧めた。」
「被災職員は、同月7日午後6時13分、自身の私用メールアドレスに、週明けの月曜日である同月10日の朝礼のための文案を送信した後、帰宅した。」
「被災職員は、同月■日、『でも、もう自信がナイ。教育委員さんからの強い要求、不満がどんどん強まり、板挟み!どんどん色んなことが起きて、部下もこれ以上倒れさせられないと強がったけれども。力不足だ。前から眠れなくなって、睡眠薬も飲んだけど、朝近くに飲むとよく分からないまま会社にいる。入庁以来、色々あったけど、特に今年度はありすぎだ。そして、これから、再び、あの10月のようなこと、そして大量の懸案の処分がなされる。もう乗り越えられない。総合教育会議でも、委員会会議でも、公開の場で教育委員さんにはおしかりを受けた。議事録の通りだ。2月の委員会会議では、前代未聞の、委員発議だ。ふがいない。こんな自分では、教委に迷惑をかけるだけだ』、『ダメだダメだ。これじゃあ死のうとしてるみたいだ。死んではいけない。生きる。寝られないけど今日は酒の力を借りて寝る。そして明日も生きるぞ。絶対自分では死なない。踏み留まるぞ!』などと記載したメモ・・・を残した上で自宅を出た。」
「原告■は、同日午前4時頃に目を覚ましたところ、被災職員がいないことや上記メモに気づき、警察に捜索願を出した。」
「被災職員は、同日午後6時頃、兵庫県■の高架橋側道から飛び降り、頭蓋骨骨折・脳挫傷等により死亡した。」
一連の経過を見ると、何度も医療機関の受診を勧奨するなど、割と職場が被災職員のことを気にかけていた様子がうかがわれます。
しかし、裁判所は、自殺を被災者の自己責任とは考えず、被告側の過失を肯定したうえ、次のとおり述べて、過失相殺も否定しました。
(裁判所の判断)
「被告は、被災職員が、係長として自らの裁量によって勤務時間を調整することができる立場にあったこと、メンタルヘルス相談制度も利用せず、上司から専門医の受診を勧められても受診しなかったこと等を指摘して、過失相殺又はその類推適用がされるべきであると主張する。」
「しかし、本件における被災職員の負荷の強さや、そのような状況でされた睡眠薬を飲んでいる旨の申告を踏まえると、被告の指摘する諸点を考慮しても、被告において産業医の診察を受けさせるなどの措置をとるべきであったのであって、被告の指摘する諸点を被災職員の過失として過失相殺又はその類推適用をすべきとまではいえない。」
「したがって、被告の主張は採用できない。」
3.過失零は画期的な判断だと思われる
本件の場合、職場の対応が酷かったのかと言われると、それは少し違うような気がします。被災者のことは、組織として気にかけていたようですし、本人が医療機関を受診して休みたいと言えば、それを押して無理に働かせるようなことはしなかったのではないかとも思います。そう考えると、損害の公平な分担という観点から、幾ばくかの過失相殺がなされてもおかしくはなさそうです。
しかし、裁判所は、過失相殺を否定しました。1~2割の僅少な過失相殺も認めず、過失相殺をしないという判断を示しました。これは、被害者保護(遺族救済)という観点からは、画期的なことです。
自殺者は鬱病などの精神疾患に罹患していることが多く、正常な判断ができないことが多々あります。そうした特異な精神状態のもとでの発言(大丈夫です)や行動(専門医を受診しない、休職を申し出ない)を、本人の責任(過失)ではないと評価したことは、自殺に至る過程を理解した適切な判断だと思います。
自殺事案に取り組むにあたり、裁判所の判断は、実務上参考になります。