弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

セクシュアルハラスメントで勤務弁護士を自死に追いやった経営者の所属法人が、自死の原因が業務遅滞にもあるとして過失相殺を主張することの可否

1.過失相殺

 民法722条2項は、

「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」

と規定しています。

 この規定を根拠に、ハラスメントをして人を自死に追いやった経営者が、自死には他の原因も競合しているとして、損害賠償額の減額を求めることができるのかという論点があります。

 なぜ、これが議論の対象になるのかというと、人が自死に至るまでの間には、様々な葛藤や経過があるからです。

 典型的なのが、仕事のストレスが雪達磨式に膨らんでいくことです。ハラスメントを受ける⇒職場に行くのが億劫になったり、萎縮したりして業務が遅滞する⇒業務の遅滞が心理的な負担としてのしかかってくるなどとようにです。このような経過のもと、ある時に限界を迎えて自死に至るわけですが、こうした事案で、ハラスメントをした側が「業務の遅滞からくるストレスは自分の責任ではない」として、減責を主張することは許されるのでしょうか? できないとしても、経営者と連座して責任を問われる法人まで、個人に引き摺られて減責を主張できなくなるのでしょうか?

 先日来紹介している大分地判令5.4.21労働判例ジャーナル141-32 弁護士法人S法律事務所事件は、この問題を考えるにあたっても、参考になる判断を示します。

2.弁護士法人S法律事務所事件

 本件で被告になったのは、

主たる事務所を大分県中津市に置く弁護士法人(被告事務所)と、

被告事務所の代表社員弁護士であった元弁護士(被告P4 昭和29年生の男性、妻帯者)

です。

 原告になったのは、昭和61年生まれの女性であるP3の両親です(原告P1、原告P2)。

 P3は平成25年3月に法科大学院を卒業し、同年9月に司法試験に合格した弁護士です。平成26年12月に司法修習を終了し、弁護士登録を行い、同月19日から平成30年8月27日に縊死するまで、被告事務所において勤務していました。

 本件の原告らは、P3が自死したのは被告P4から意に反する性的行為等を受けたからであるとして、被告事務所と被告P4に対し損害賠償を求める訴えを提起しました。

 この事件で被告事務所は、

「仮に被告P4の行為と本件自死との間に相当因果関係が認められるとしても、P3が業務処理上の問題を抱えていたことが本件自死に寄与していたものといわざるを得ない。よって、過失相殺(民法722条2項)の規定の適用又は類推適用を求める。」

と述べて、過失相殺の適用ないし類推適用を主張しました。

 しかし、裁判所は、意に反する性的行為等のセクハラを認めたうえ、次のとおり述べて、過失相殺の適用等を否定しました。

(裁判所の判断)

被害者に対する加害行為と被害者の罹患していた疾患とが共に原因となって損害が発生した場合において、当該疾患の態様、程度などに照らし、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して、被害者の当該疾患を斟酌することができるものと解するのが相当である(最高裁昭和63年(オ)第1094号平成4年6月25日第一小法廷判決・民集46巻4号400頁参照)が、P3が、本件各不法行為の以前に、何らかの疾患を罹患していたことをうかがわせる証拠ないし事情は存しない。」

「また、加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害が加害行為のみによって通常発生する程度、範囲を超えるものであって、かつ、その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与しているときは、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の事情を斟酌できるものと解するのが相当である(最高裁昭和59年(オ)第33号同63年4月21日第一小法廷判決・民集42巻4号243頁)が、P3の心因的要因が存在したことをうかがわせるに足りる証拠は存しないし、本件各不法行為の内容に照らせば、P3の自死に伴う損害が、同行為のみによって通常発生する程度、範囲を超えるものとも認め難い。」

「そして、本件各不法行為がなされたことについて、P3に過失があることを裏付ける証拠ないし事情は存しない(そもそも、本件各不法行為の結果P3を本件自死に追いやった被告P4が、本件自死の原因がP3の業務遅滞にあるなどとし、その点をとらまえて過失相殺の主張をすることは、正義又は損害の公平の分担の理念にもとるものであり、到底採用し難い。)。」

「したがって、被告らの主張には理由がない。」

4.過失相殺の主張は否定された

 以上のとおり、裁判所は、被告による過失相殺の主張を否定しました。

 冒頭で述べたとおり、ハラスメントは様々なストレス因を二次的、三次的に生じされます。本件の裁判所は、元はと言えば被告P4のハラスメントが原因だろうと過失相殺を否定するものであるように思われます。この理屈が通用するのであれば、過失相殺に係る主張は、相当程度、排斥して行ける可能性があります。

 裁判所は逸失利益の算定においても、

「P3は、東京大学を卒業後、中央大学法科大学院に入学し、同大学院を卒業した年に司法試験に合格し、平成26年12月に弁護士となった。P3は、弁護士になってからは、記録上確認できる範囲の平成28年7月以降平成29年10月に至るまで、弁護士会の委員会や会議等にも相当回数参加し、平成27年から平成30年にかけては、大分地方裁判所及び福岡高等裁判所に係属していた給費制訴訟の弁護団の原告として意見陳述を始めとする訴訟活動をして、中心的な役割を果たすなどしていた。これらを踏まえると、P3は、生涯において、弁護士の平均賃金を得ることができていた蓋然性が高かったものといえる(前記のとおり、P3の業務遅滞は本件各不法行為を原因とするものであるから、そのような業務遅滞があったからといって弁護士の平均賃金を得られる蓋然性が否定されることはない。)。」

と述べ、ハラスメントを受けがことにより業務遅滞を生じさせたからといって、そのことは逸失利益を計算する基礎にならないと判示しています。

 起点が加害者にある以上、その責任は全て起点となったハラスメントの行為者に帰責させるという考えが基盤にあるように思われます。

 いずれも汎用性のある論理であり、過失相殺や逸失利益の算定方法に関しては、引き続き、裁判例の動向を注視して行きたいと思います。