1.退職金不支給条項がない場合の退職金不支給
懲戒解雇など一定の事由がある場合に、就業規則等で退職金を不支給・減額支給とする条項が置かれることがあります。これを退職金不支給・減額条項といいます。
こうした退職金不支給・減額条項がない場合に、権利濫用等の一般法理を用いて退職金を支給しないことができるのかという論点があります。
この問題について、東京地裁労働部の裁判官らが執筆した文献には、
「退職金不支給条項に該当する事実がないために労働者に退職金請求権が発生すると解される場合であっても,当該退職金請求権の行使が権利の濫用に当たる場合には,請求が認められないときがある。」
(中略)
「就業規則等の退職金不支給・減額条項に該当する事由が存在したとしても,その適用が認められるためには勤続の功を抹消又は減殺するほどの著しい背信性が要求されるという考え方が一般的であることからすれば・・・,一般条項である権利濫用の抗弁が成立するには,少なくとも同程度の背信性が要求されることになるのは当然であろう。このことを超えて,退職金不支給条項がある場合よりも高度の背信性が要求されるか否かについては,この点を明らかにした裁判例には接していないが,退職金不支給条項がないという事実それ自体が当該退職金の功労報償的性格が弱い(その結果,賃金の後払的性格が強い)と判断する方向に働く事情であることから,退職金の支払を拒否するためのハードルは,退職金不支給条項がある事案よりも高いといえる場合が多いのではないかと思われる。」
と記述しています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕600-601頁参照)。
要するに、
退職金不支給・減額条項がなかったとしても、退職金請求が否定される場合はある、
ただ、不支給が認められるハードルは、退職金不支給条項がない場合と同等か、それ以上になる、
ということです。
近時公刊された判例集に、退職金不支給条項によらない退職金の不支給が否定された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、大阪地判令7.9.26労働判例ジャーナル166-32医療法人社団以和会事件です。
2.医療法人社団以和会事件
この事件で被告になったのは、C病院(本件病院)を運営する医療法人です。
原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、本件病院において看護師等として勤務していた方です。被告を退職した後、退職金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。
本件の被告は、退職金を支払わない理由として、次のような主張をしました。
(被告の主張)
「原告は、本件育児休業期間中、被告に無断で副業をし、その労働時間は月140時間程度に及んでいた。原告は、ハローワークに対する育児休業給付の申請手続を被告にさせていたから、育児休業給付を不正受給していたことになる。」
「原告の上記行為は、本件就業規則の『第8節 懲戒』3条の懲戒解雇事由(3)~(6)及び(9)に該当するし、少なくとも、同節2条の懲戒解雇及び諭旨退職以外の懲戒に係る懲戒事由(1)、(3)、(8)及び(9)に該当する。」
これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥し、原告の請求を認めました。
(裁判所の判断)
「退職金請求について、不支給条項に該当する事実がない場合であっても、勤続の功を抹消又は減殺する程度にまで著しく信義に反する行為があったと認められるときは、退職金請求の全部又は一部が権利の濫用に当たる場合があると解するのが相当である。」
「被告は、原告が被告に無断で本件休業期間中に月140時間程度に及び副業をし、育児休業給付の不正受給をしたから、退職金請求は権利濫用に当たると主張する。」
「この点、原告が本件休業期間中に被告に無断でアルバイトをしたことは当事者間に争いがない。そして、原告の就労時間が被告の主張する月140時間程度に及んでいたことを認めるに足りる証拠はないものの、原告の上記行為は本件就業規則の『第8節 懲戒』3条(6)の懲戒解雇事由に該当するものであるし、育児休業給付金の不支給事由又は減額事由・・・に該当する可能性があることは否定できない。」
「他方で、弁論の全趣旨によれば、被告は、令和3年12月頃には原告のアルバイトを認識していたと認められるところ、その後、被告が原告に対して懲戒処分をしたことはうかがわれないし、証拠・・・によれば、被告は、令和4年3月5日頃、原告に対し、奨学金189万円の返還を求めるとともに、退職金を差し引いて支払うことも可能である旨を伝えたことが認められるから、被告においても、原告の上記行為について、さしたる支障は生じておらず、重大なものと評価していなかったと推認できる。」
「したがって、原告の上記行為は、懲戒解雇事由に該当するものの、その程度が原告の勤続の功を抹消又は減殺する程度にまで著しく信義に反するものであったとまでは認められない。」
「その他、原告の退職金請求が権利濫用に当たることを根拠づける事情は見当たらない。」
3.主観的な認識だけで比較的簡単に権利濫用性が否定されている
本件の特徴は、
アルバイトを認識しながら懲戒処分をせずに放置していた、
退職金を差し引いて奨学金を返せと要求した、
という被告側の主観的認識をもとに、
さしたる支障は生じていない、
重大なものとは評価していなかった、
として権利濫用性を否定しているところです。
行為の客観面はあまり重視された形跡がありません。裁判では調査嘱託(民事訴訟法186条)という証拠収集方法が認められており、アルバイト先が判明していたのであれば、月の労働時間を明確に認定することが可能であったはずですが、そうした行為がされたようにも思えません(調査嘱託が行われてアルバイト先から明確に労働時間が回答されていれば、それに基づいた事実認定をするのが普通で、「月140時間程度に及んでいたことを認めるに足りる証拠はない」などと持って回ったような言い方はしないように思います)。
比較的簡単に権利濫用性が排斥されている点、やはり退職金不支給・減額条項がない場合の不支給のハードルはかなり高めに設定されているのかも知れません。
裁判所の判断は、退職金不支給条項によらない退職金請求の可否を考えるにあたり、実務上参考になります。