弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

契約書の交付に関する否定的な言動がハラスメントとされた例

1.契約書が作成されない問題

 企業とフリーラスとの間での契約のように、当事者間の力関係に格差がある場合、敢えて契約書が作られないことがあります。契約書が作られないのは、大抵、力の強い側、企業側の意向でそうなります。

 なぜ、力の強い側が契約書を作りたがらないのかというと、契約条件が不明確なままであった方が都合がいいからです。契約条件が不明確であれば、トラブルが生じても、力の強さに物を言わせて、様々な作業負担やリスクを力の弱い方に押し付けることができるからです。こうした会社は、契約締結時には「信頼関係を大事にしているから契約書は交わさない」(なぜ、信頼関係を大事にすることが契約書の不作成につながるのかは分かりませんが)などと言いますが、トラブルが生じたり、契約を終了させようとしたりすると態度を豹変させて様々な不利益を押し付けようとしてきます。

 こうした問題が生じないよう、使用者には、労働契約の締結にあたり、労働者に対し、労働条件を書面等で交付することが義務付けられています(労働基準法15条、労働基準法施行規則5条参照)。また、労働契約の内容は、できる限り書面により確認するものとされています(労働契約法4条2項)。

 しかし、このような規制があるにもかかわらず、契約書の作成や交付に否定的な態度をとる使用者は少なくありません。

 それでは、こうした契約書の作成や交付に対する否定的言動が、ハラスメント(不法行為)を構成することはないのでしょうか?

 昨日ご紹介した、大阪地判例4.7.15労働判例ジャーナル129-56 WASH LIFEほか1社事件は、この問題を考えるにあたっても参考になる判断を示しています。

2.WASH LIFEほか1社事件

 本件で被告になったのは、

洗浄剤の製造・販売等を目的とする株式会社(被告WASHLIFE)、

被告WASHLIFEの100%子会社で、ピラティススタジオ等の経営等を目的とする令和元年10月1日に設立された株式会社(被告PERFETTA)、

被告WASHLIFE及び被告PERFETTAの代表取締役(被告B)

の三名です。

 原告になったのは、昭和43年生まれの女性であり、神戸市内において、筋力トレーニング、エクセサイズ等を目的とする「ピラティス・スタジオ sorama」を経営していた方です。

 原告の方は、

原告が被告WASHLIFEにスタジオの経営業務を委託する、

被告WASHLIFEは受託業務を行うため、被告PERFETTAを設立し、被告PERDETTAがスタジオの運営を行う、

原告はPERFETTAの従業員として雇用され、毎月一定額の給料の支払いを受ける、

という枠組みのもとで働いていました。

 本件で原告が掲げた請求は多項目に渡りますが、その中の一つに、ハラスメントを理由とする被告Bに対する損害賠償請求がありました。

 このハラスメントを理由とする損害賠償請求の可否について、裁判所は、次のとおり述べて、原告の請求を一部認容しました。

(裁判所の判断)

「原告と被告WASHLIFEが本件契約を締結していること、原告と被告PERFETTAが雇用契約を締結していることからすれば、被告WASHLIFE及び被告PERFETTAの代表取締役である被告Bが、原告に対し、ピラティス・スタジオの運営に関して指示を行ったり、不明な点があれば説明を求めたり、原告の業務遂行に不十分な点があれば、注意・指導すること自体は必要な行為であるということができる。」

「そこで、被告Bの原告に対する言動を見ていくと、被告Bは、原告に対して、『指示に従えるか』とのLINEを送信し、原告が『私で今答えられませんので、少しお待ち頂けますか』と返信したのに対し、法的措置を取る、裁判に移行する、態度を改めないなら裁判になっても絶対に和解しないなどとするLINEを送信した上、返信が遅かったなどとして始末書を作成させているが・・・、原告が被告Bの指示に従わなかったというような事情もうかがわれないにもかかわらず、唐突に上記のようなLINEを送信し、原告の対応が気にいらないとして、法的措置をとるなど強硬な文言のLINEを送信することは、その文言に照らしても、業務遂行上、必要なものであったということはできず、また、始末書の作成を必要とするようなものであったということもできない。なお、このことは、Cが被告Bに対して恋愛感情を抱いており、仮に、原告がそのことに関して、被告Bが主張するような言動をしていたとしても左右されるものではない。」

「また、被告Bは、原告がスタッフに係る契約書の交付を求めたことに対し、契約書の交付を求めることはけんかをするということであり、そうであれば営業を停止する旨の発言をしているところ・・・、使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して、労働条件を明示しなければならず、賃金等については書面で明示しなければならないこと(労基法15条1項)、使用者は、労働条件及び労働契約の内容について労働者の理解を深めるようにし、労働契約の内容についてできる限り書面により確認するものとされていること(労働契約法4条)などからすれば、スタッフに契約書の交付をすることは当然のことである。それにもかかわらず、被告Bは、上記のとおり、スタッフに係る契約書の交付を求めた原告に対し、上記のような発言を行ったものである。

「さらに、被告Bは、Fが退職したことは原告のミスである、原告がほかの従業員とも問題がある、被告Bが問題があると言っているのだから認めろなどと発言しているが・・・、Fが退職するに至った原因が原告にあることや、原告が従業員との関係において問題を抱えていたことをうかがわせる事情は認められず、また、原告がチケットの返金に関して相談したことについても始末書を作成させているが、ピラティス・スタジオにおいてチケットの返金をしないと明確に定めていたことを客観的に裏付ける証拠はなく、その点を措くとしても、業務遂行について疑問が生じたときに相談すること自体は従業員として適切な行動であるといえるが(なお、同じ事項について以前にも相談していたというような事情があれば注意・指導の対象となることもあり得るが、本件において、そのような事情はうかがわれない。)、被告Bは、上記のような言動を行ったものである。」

「加えて、被告Bは、ミーティングにおいて、利益が少ないことについて、原告を訴える、悪質なやり方をしていることになる、嫌がらせをしているってことやからなどと述べた上で、本件契約書に従えば原告の給料がなくなるなどと述べているが・・・、原告は、飽くまで被告PERFETTAに雇用された立場であったのだから、ピラティス・スタジオが利益が出るように運営するのは被告PERFETTAの責任であって(なお、原告が意図的に不適切な業務遂行をしていたことを裏付ける証拠もない。)、利益が上がらないからといって原告の給料が支払われないことになるものではない。」

「そして、被告Bは、原告が売上げをごまかしているなどとした上、300万円の出資を求めているが・・・、原告が売上げをごまかしていたことを裏付ける証拠はなく、また、原告が出資に応じなければならない理由も必要性もない。」

以上に加えて、原告と会話をする際に、被告Bが声を荒げたり、何かをたたくなどしていることなどをも併せ考慮すれば、被告Bの言動は、原告を威迫するものといわざるを得ず、本件に現れた一切の事情を総合考慮すれば、被告Bの一連の言動は、社会通念上、契約当事者間における業務遂行の在り方に関する注意・指導の範囲や、紛争に関する交渉として許容される限度を超えており、その程度は、不当なものというにとどまらず、違法なものといわざるを得ない。

したがって、被告Bの行為は、原告に対する違法なパワーハラスメントに該当するものであったと認められる。

「そして、被告Bの言動の内容、経緯など本件に現れた一切の事情を総合考慮すれば、被告Bの不法行為により原告が被った精神的苦痛を慰謝するための慰謝料は50万円とすることが相当であり、これと相当因果関係にある弁護士費用は5万円とすることが相当である。」

3.フリーランス新法との関係

 現状、企業とフリーランスとの契約について、一般的な形で書面の交付義務を定めている法令はありません。しかし、契約条件が不明確であることに起因するトラブルがあまりにも多いことから、フリーランス新法では、業務委託の際にも書面の交付義務を定めるという方向性が示されています。

「フリーランスに係る取引適正化のための法制度の方向性」に関する意見募集の結果について|e-Govパブリック・コメント

https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000241038

 書面の交付が義務化されれば、労働契約の場合と同じように、敢えて契約書を作成せず契約条件を不明確にすることを不法行為として捕捉できるようになるかもしれません。今後の立法、裁判例の動向が注目されます。