弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

雇用関係の終了を内容とする誓約書を提出していていも、真意に基づかないとして合意退職の成立が否定された例

1.合意退職の争い方

 労働者と使用者とで退職を合意することを合意退職といいます。

 合意退職は契約であって解雇ではありません。したがって、解雇権の行使を厳しく制限する労働契約法16条の適用を受けることはありません。契約として民法上の意思表示理論の適用を受けます。言い換えると、錯誤(民法95条)、詐欺(民法96条1項)、強迫(民法96条1項)といった意思表示の瑕疵がなければ、その効力を否定することができないのが原則です。

 このような原則を補完する法理として、

① 自由な意思に基づいているとはいえない、

② 退職の意思表示がされたといえるのかを慎重に認定する必要がある、

といた理屈で、合意退職の効力が否定されることがあります。

退職合意に自由な意思の法理の適用が認められた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

退職の意思表示の慎重な認定-口頭での発言は迅速な介入により覆せる可能性がある - 弁護士 師子角允彬のブログ

 近時公刊された判例集に、真意に基づいていないという①の系譜に近い理屈で合意退職の成立を否定した裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令7.5.22労働判例1345-5 M・コレクション事件です。

2.M・コレクション事件

 本件で被告になったのは、シーシャ(水たばこ)バーの運営事業を営む株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、被告の店舗統括責任者として働いていた方です。令和6年3月23日、原告は同年5月15日付けで被告を退職したいと申し出ました。

 しかし、被告は、原告の退職日を同年4月10日とすることにし、同年3月28日、原告に対し「4月10日をもってその雇用関係が終了することを双方が認める」などと書かれた誓約書を示したうえ、署名・捺印を得ました。

 これに対し、原告は、

「(誓約書は)拒否し難い状況で署名、押印せざるを得なかったものであって、・・・自らの意思で退職する旨の意思表示をしたことを意味するものではない」

として、被告による退職扱いは解雇であると主張し、解雇予告手当等の支払を求める訴えを提起しました。

 被告は誓約書の差し入れによる任意退職(合意退職)の成立を主張しましたが、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

・3月28日の面談における同意の有無について

「被告は、原告が3月28日の面談において本件誓約書に署名、押印したことから、原告は4月10日をもって任意退職することに合意したと主張する。これに対し、原告は、当事者尋問において、3月28日の面談について、被告から一方的に退職日を示され、これに反対することはできないと思い、やむを得ず本件誓約書に署名、押印した旨述べている。」

「そこで検討すると、本件誓約書には4月10日をもって原告と被告との間の雇用関係が終了することを双方が認める旨の記載があり、3月28日の面談において原告が本件誓約書に署名、押印したことは前記前提事実のとおりである。」

「しかしながら、原告は元々5月15日限りでの退職を希望していたのであり、退職日が同日から4月10日に変更となった場合、その間の1か月分以上の賃金が支払われず、原告は相応の不利益を被ることになるから、本来、このような変更を受け入れるか否かについては慎重な検討を要したはずである。ところが、原告は、被告が退職日を4月10日と定めたことを3月28日の面談において初めて知らされ、また、上記面談においても退職日が上記のとおり定められた理由や経緯等について特段の説明はなかったにもかかわらず、その場で直ちに本件誓約書に署名、押印し、上記面談はわずか10分程度で終了したというのであるから、原告において被告による退職日の指定を受け入れるか否かについて慎重に検討した上で本件誓約書に署名、押印したとは考え難い。このような3月28日の面談の経緯等は、被告による退職日の指定に反対することはできないと思い、やむを得ず本件誓約書に署名、押印したとする原告の前記供述に沿うものである。」

「そして、原告は、3月28日の面談の翌日には、労働基準監督署に問合せを行って本件が解雇に当たるとの回答を得た上で、被告に対し解雇予告手当の請求をしているところ、このような行動も原告が4月10日をもって退職することに同意していなかったことを示すものであるといえる。その結果、被告においても、退職日について改めて原告と協議する必要を認め、4月3日の面談を設けている。」

「以上からすると、本件誓約書への署名、押印が原告の真意に基づくものであったとは認められないから、これによって原告が4月10日をもって退職することに同意したとはいえない。

3.書面を作成していても辞意・合意退職を否定できた

 本件で特徴的なのは、雇用契約の終了を内容とする書面(誓約書)を差し入れていたにもかかわらず、合意退職の成立が否定されていることです。

 退職の意思表示の効力が否定される事案は、売り言葉に買い言葉で辞意を表明するなど書面化されていない例が多いのですが、本件は書面の作成がなされていたにもかかわらず、退職の意思表示を否定しました。

 文面を作成して示したのが会社側だったことには留意が必要ですが、書面化されていても辞意を争えたケースとして、実務上参考になります。