1.労使紛争と名誉毀損
労使紛争の場面で、一方当事者が第三者に対して自分の正当性を説明して回っていることがあります。
紛争に勝つには裁判所の理解を得ることが重要です。裁判外の第三者の理解を得たところで、訴訟の勝敗には何の関係もありません。また、人は必ずしも客観的事実を正確に認識できているとは限りません。説明が事実に反していた場合、他方当事者から名誉毀損で訴えられ、足元を掬われるリスクもあります。そのため、裁判所外にまで紛争を拡大することは、個人的には推奨していません。
しかし、相手方から先に第三者への働きかけが行われれば、誤解を避けるため、こちら側からも説明をしたくなるのが、人の性というものです。
それでは、このように対抗言論的に繰り広げられる言動について、名誉毀損の成立要件が緩和されることはないのでしょうか? これは、相手方から先に口を出された時にも、厳格な違法性阻却要件(最一小判昭41.6.23民集20-5-1118 公共の利害に関する事実、公益目的、真実・真実相当性)のもとでしか反論が許されないのかという問題です。
この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている、東京地判令3.4.27労働判例ジャーナル114-26 寶清寺事件です。
2.寶清寺事件
本件で被告になったのは、日蓮宗の宗教法人(被告寺)と、その代表役員・住職の方(被告b)です。
原告になったのは、被告bの二女dと婚姻し、名前を変えた方です。副住職として扱われ、基本給や賞与の支給を受けていました。
原告とdは、平成30年12月頃、離婚について話し合い、同月18日に別居に至りました。その後、被告寺は、この日、平成31年2月末日付で契約を終了させる合意が成立したとして、原告の退職処理を行うとともに、退職の事実を檀家向けの媒体でる新聞に記載しました。
こうした扱いに対し、原告が、
被告寺に対して、地位確認等を、
被告寺及び被告bに対して、名誉毀損、違法な退職勧奨、及び、パワーハラスメントを理由とする損害賠償金の支払いを、
請求したのが本件です。
名誉毀損の論点との関係で、原告は、
「被告bは、日頃から被告寺に関わりがあるが特に守秘義務を負っていない人物(仙寿院のi住職、大法寺のj住職、h、日蓮宗の関係者2名、被告寺の取引先1名、日蓮宗東京西部の関係者、明観寺のk)対し、『原告がdへのDVを行った。』、『原告が被告寺のお金を横領した。』、『原告がmを強姦した。』『原告には以上の非違行為があって原告を退寺させる。』との発言を行い、原告の名誉を毀損した。これは、社会的に伝播する可能性が十分にあるから、不特定多数の者に対し、原告の名誉を毀損したものと評価すべきである。」
と主張しました。
これに対し、被告らは、
「被告bは、第三者に対し、『原告が、訴外dに対して、DVを行った。』、『原告が被告寺のお金を横領した。』旨の発言はしたが、『原告がmを強姦した』旨の発言はしていない。」
「原告が、これらの第三者に対して既に退寺しないことを画策して働きかけを行っており、誤解を解くために必要な範囲で説明を行ったにすぎない。」
と反論しました。
普通に考えれば、「DVを行った」「お金を横領した」という事実の摘示は名誉毀損に該当し、違法性阻却事由がない限り、不法行為責任を免れそうにないように思われます。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、名誉毀損の成立を否定しました。
(裁判所の判断)
「原告は、被告bが、日頃から被告寺に関わりがあるが特に守秘義務を負っていない人物に対し、『原告がdへのDVを行った。』、『原告が被告寺のお金を横領した。』、『原告がmを強姦した。』『原告には以上の非違行為があって原告を退寺させる。』との発言を行い、原告の名誉を毀損したと主張する。」
「しかし、被告bが上記発言をした相手方として特定するのは、仙寿院のi住職、大法寺のj住職、h、明観寺のkの4名のみであり、他の者については特定することすらできない。そして、証拠・・・によれば、仙寿院のi住職、大法寺のj住職、明観寺のkについては、既に原告が原告の言い分を伝えた後に、被告寺の主張を述べたものであることが認められるから、これらの者においては、原告と被告寺との間に紛争が生じているという印象は持っても、これをもって直ちに原告の社会的評価が低下するとはいえない。そして、被告bが、hに対し、原告が法礼金を横領したと述べたことを認めるに足りる証拠はない。」
「したがって、原告の前記主張を採用することはできない。」
3.限定された範囲での対抗言論は許容される?
上記の判断は、使用者側の反論を受け入れたものです。
しかし、同様の法理は、労使の立場を入れ替えた場合にも妥当するはずであり、本裁判例は、使用者側の宣伝行為に対し、労働者側が言論によって対抗しようとした場合にも引用することが可能だと思います。
対抗言論である限り、名誉毀損への該当性(社会的評価の低下)が否定されるのだとすると、先に裁判所外で第三者を巻き込んだ方が、立場としては弱くなります。こうしたことを踏まえると、第三者に紛争の経緯を説明することに関しては、
原則として、しない方がいい、
ただし、相手方が先に仕掛けてきたら、誤解を解く限度での説明は可能、
といった考え方が基本になるのではないかと思われます。