1.人事院の給与勧告
人事院は、労働基本権制約の代償措置として、職員に対し、社会一般の情勢に適応した適正な給与を確保する機能を有するものであり、国家公務員の給与水準を民間企業従業員の給与水準と均衡させること(民間準拠)を基本に勧告を行っています。
https://www.jinji.go.jp/kyuuyo/
これを給与勧告といいます。
この給与勧告は、国家公務員と民間の4月分の給与(月例給)を調査した上で、得られた較差を埋めることを基本にしています。
そのため、較差が確認される時期と、調査を経て実際に人事院勧告が出される時期との間には、一定のタイムラグが生じます。
https://www.jinji.go.jp/kankoku/r1/pdf/1point.pdf
例えば、令和元年の人事院勧告が出たのは、令和元年8月7日です。
https://www.jinji.go.jp/kankoku/r1/r1_top.html
勧告が出て、国会が給与法の改正を決議するまでとなると、更にタイムラグは大きくなります。
そのため、人事院勧告では、月例給の引き上げを勧告する場合、4月時点まで遡及して実施する必要が指摘されます。
https://www.jinji.go.jp/kankoku/r1/pdf/1houkoku_kyuuyo_honbun.pdf
人事院勧告は国家公務員の給与だけではなく、地方公務員の給与水準にも事実上の影響力を有しており、人事院勧告を踏まえ、給与条例を改正している地方自治体は少なくありません。
2.条例による給与の遡及適用と時間外勤務手当等の精算
それでは、地方条例で給与が遡及的に増額された場合、時間外勤務手当等の精算は必要にならないのでしょうか?
例えば、月給20万円の人の給料が、遡及的に25万円に上げられたとします。この場合、地方自治体は、月給20万円をもとに計算されていた時間単価を、月給25万円をもとに計算した時間単価に置き換えたうえ、不足する残業代を遡及的に支給しなければならないのでしょうか?
あまり考えられたことのない問題ですが、この論点を扱った裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。高知地判令2.3.13労働判例ジャーナル100-38 高幡消防組合事件です。
3.高幡消防組合事件
本件で被告になったのは、高幡消防組合です。これは地方自治法284条の2に根拠のある一部事務組合という地方公共団体です。
原告になったのは、被告に雇用されている消防士です。
本件では給与条例の公布・施行日が平成28年12月22日であったところ、その効力が平成28年4月1日に遡及するような建付けになっていました。
より具体的に言うと、この条例は、
「改正後の須崎市一般職員の給与に関する条例・・・の規定は、平成28年4月1日から、(中略)適用する」(附則1条2項)、
「改正後の給与条例の規定を適用する場合においては、第1条の規定による改正前の須崎市一般職員の給与に関する条例の規定に基づいて支給された給与(中略)は、改正後の給与条例の規定による給与((中略)、時間外勤務手当、休日勤務手当及び夜間勤務手当を除く。)の内払とみなす」(附則2条)
という構造を持っていました。
意味の取りにくい規定振りになってはいますが、要するに、時間外勤務手当、休日勤務手当及び夜間勤務手当等を、遡及精算の対象から除外したかのような体裁になっています。
しかし、理屈の上では、較差是正の趣旨で給料が遡って増額されるのであれば、時間外勤務手当等の金額も遡って是正されなければおかしいはずです。これを条例で是正の対象外とすることが、時間外勤務手当等の支払を義務付ける労働基準法37条に抵触しないのかが問題になりました。
裁判所は、次のとおり述べて、条例で時間外勤務手当等を遡及的な精算の対象から除外することは、労働基準法37条に違反しないと判示しました。
(裁判所の判断)
「本件改正条例について、『各財政指標が厳しい数値を示している中で、第9次須崎市行政改革大綱に基づき、健全な財政運営を行うための全庁的な取り組みを進めており、人事院勧告による給料表の遡及改定があった場合の時間外手当等の取扱いについては、地方財務実務提要の解釈を参考としており、時間外手当等を除く給与に限定している。また、給料改定等にあたっては、職員団体との交渉を経て、議会への付議、議決を得ている。』と須崎市を代表して同副市長が回答している・・・。」
「同回答によれば、須崎市の職員に関しては、時間外手当等を除く給与に限定して遡及させることとしており、議会もその前提で議決しているというのであるから、立法者意思が時間外手当等を遡及させないとしていることが確認できる。」
(中略)
「立法者意思を尊重して、同附則1条2項と2条を総合的かつ合理的に解釈し、時間外勤務手当、休日勤務手当及び夜間勤務手当については遡及しないものとした規定であると解する(文言上疑義が生じないように一層の工夫をすることが望まれる。)
「 そして、労基法37条との関係では、実際に時間外労働が行われた時期において、その時点で確定している賃金を基礎として、割増賃金を支払うことを定めたものであり、時間外勤務手当を遡及しないと条例で定めることを禁止する規定とまではいえないものと解される。」
4.法律と条令との関係
憲法上、地方公共団体は、法律の範囲内で条例を制定することができるとされています(憲法94条)。
これを受けて、地方自治法は、普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて・・・、条例を制定することができると規定しています(地方自治法14条)。
つまり、地方自治体は法律の趣旨に反する条例を制定することはできません。
本件は法律(労働基準法37条)の趣旨を、実際に時間外労働が行われた時期において、その時点で確定している賃金を基礎に割増賃金を支払うことを定めたに留まるとして、時間外勤務手当等を遡及的に精算しないことは、法の趣旨に反しないと解釈したものです。
それで労働基本権制約の代償として機能しているといえるのか、若干の疑問はありますが、給与の遡及と労働基準法37条との関係性について、本件のような判示をした裁判例があることは、覚えておいて良いことではないかと思われます。