弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

「自由な意思」論の拡張-一側面では利益・他の側面では不利益となる労働条件の変更への適用可能性

1.「自由な意思」論

 合意の効力は、勘違いをしていた、騙された、脅かされたなどの事情がない限り、否定されないのが原則です。

 しかし、労働法の領域では、勘違い、騙された、脅かされたといった事情がなかったとしても、

「労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」

とは認められない場合、合意の効力を否定できることがあります(以下「『自由な意思』論」といいます)。

 この「自由な意思」論は当初は賃金債権の放棄や相殺合意の局面に限られていましたが(最二小判昭48.1.19民集27-1-27 シンガー・ソーイング・メシーン事件、最二小判平2.11.26民集44-8-1085 日新製鋼事件等参照)、

その後、徐々に広がりを見せ、退職金の支給基準を不利益に変更する合意にも適用があることが明らかになった後(最二小判平28.2.19民集70-2-123 山梨県民信用組合事件)、

その適用領域は更に増加・拡大する傾向を見せています(第二東京弁護士会労働問題検討委員会『働き方改革関連法 その他重要改正のポイント』〔労働開発研究会、第1版、令2〕363頁参照)。

 この「自由な意思」論に関連し、近時公刊された判例集に、興味深い裁判例が掲載されていました。東京高判平31.3.14労働判例1218-49 コーダ・ジャパン事件です。

2.コーダ・ジャパン事件

 この事件は、大雑把に言うと、被告会社を解雇された労働者が、地位確認と解雇無効を前提とした未払賃金、そして、残業代等の支払を求めた事件です。

 興味深いのは、必ずしも不利益な労働条件変更というわけではない合意にまで、「自由な意思」論の適用が拡張されていることです。

 本件で被告になったのは、トラック運送を多な事業とする会社です。

 原告になったのは、被告会社でトラック運転手として勤務していた方です。

 原告の方は平成23年1月に被告会社に採用されました。 

 被告の就業規則上、賃金は、基本給・諸手当・割増賃金で構成されると規定されていました。

 しかし、採用面接が行われた平成22年12月22日、原告の方は、賃金について、被告役員から

「賃金は売上から高速道路代を除いた残額の30パーセントで、27万円は最低保障の完全歩合制」

という説明を受けていました。

 本件では残業代の基礎賃金の金額に関わる関係で、原告の賃金が、月給制なのか、それとも、完全歩合制なのかが争われました。

 ここで問題となったのが、月給制と完全歩合制とでは一概に有利・不利を判定できないことです。月給制は時間外勤務手当の計算との関係では労働者側に有利ですが、完全歩合制も月給制を上回る収入が得られる点において労働者にメリットがあります。

 原審横浜地判平28.9.29労働判例1218-67は、

「原告は、基本給の支払われる月給制が、出来高払制と比較して、時間外割増手当の計算において有利であることを根拠に、出来高払制は被告の就業規則の労働条件を下回ると主張するが、たとえ時間外割増賃金の計算において不利だとしても、出来高払制は、総合して月給制を上回る可能性のある制度であって、原告の指摘する上記の点のみから出来高払い制の方が不利であるとは到底いえない。」

と完全歩合制(出来高払制)の合意の効力を認めました。

 しかし、東京高裁は次の通り述べて、本件を「自由な意思」論の問題として整理しtうえ、原告の賃金は月給制だと判示しました。

(裁判所の判断)

本件歩合制合意は、一審被告の労働者に対して労働契約に基づき就労後に適用されるべき本件就業規則に定められた労働条件について、これと異なる労働条件を内容とするものであって、実質的に本件就業規則に定められた労働条件の変更に当たるといえるから、一審原告の入社時における本件歩合制合意の成否については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけではなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきであると解するのが相当である(最高裁平成25年(受)第2595号同28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁参照)。」
「これを本件についてみると、大型トラックの運転手の給与条件を他のトラックの運転手とは異なる歩合制とすることについては、基本的に業務内容が大きく異なるものとはいえず、一審原告において、大型トラックの運転手には本件就業規則で定められた月額の固定給制という給与条件を適用しないこととする合理的な根拠ないし必要性があったことをうかがわせる事情は認められない。」
「また、本件入社経緯においては、[B]は、給与条件について、本件歩合制合意によるとし、月額最低27万円を保障するとの説明をしたものの、割増賃金の支給の有無及びその計算方法については、説明はされていないのであり、他の大型トラックの運転手の運行状況を示され、『月25日くらい働けば大体40万円前後になる』との説明があったとしても、どのような勤務状況を前提としてどのような給与が支給されるのかについて、十分な情報提供や具体的な説明があったとはいえず、本件就業規則に従って賃金が支給される場合についての説明もなく、これと比較して、どのような点で有利であり、どのような点で不利であるかを一審原告が理解したものとはいい難い。」
(中略)
「一審原告の給与条件について、入社後には、本件歩合制合意によって計算される賃金を下回る給与が支払われ、他の運転手との均衡から減額がされ、一審原告は、帰庫後の事務作業や配車業務という歩合制が適合しない業務も担当するようになり、また、割増賃金の算定の面でも、本件就業規則による割増賃金よりも不利なものというべきであるが、一審被告においては、入社後のこのような事情について、入社前の時点であっても一審原告に説明することが可能な部分はあったと思われるのに、本件入社経緯においては、このような事情があり得ることについて何ら説明していないのであり、このような点からも、一審原告に対し、本件歩合制合意をすることの効果について、十分な情報提供や説明がされたものとは認められない。」
以上の事情によれば、本件入社経緯において、一審原告は、給与条件については本件歩合制合意によるとの説明を受け、以前勤務していた会社におけるよりも有利な条件であると判断して、一審被告との間で労働契約を締結したものではあるものの、割増賃金の支給の有無及びその計算方法についての説明がされず、本件就業規則に従って賃金が支給される場合との比較についての説明もなく、本件就業規則に対する変更に当たる本件歩合制合意を受け入れることによりもたらされる不利益の内容及び程度について十分な情報提供や説明を受けたものともいえないのであり、本件入社経緯において、一審原告がその自由な意思に基づいて本件歩合制合意を受け入れたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するものとはいえない。したがって、前記エにおいて説示したところに照らし、一審原告と一審被告との間で締結された労働契約において、本件就業規則に定められた労働条件を変更する内容の本件歩合制合意が成立したものとは認められない。

3.被告会社の完全歩合制の運用は、採用時の説明よりも不利なものであったが・・・

 被告会社は、他の運転手との均衡を図るという法的根拠の薄弱な理由で、採用時の説明(本件歩合制合意)のとおりに計算した金額から一定額を減らした額を賃金として原告に支給するなど、かなり杜撰な労務管理を行っていました。

 こうした杜撰な運用のもとでは、当初説明されていた完全歩合制の労働者にとって有利な側面が、著しく減殺されているといえます。

 そのため、月給制と、本件の杜撰な運用のもとにおける完全歩合制とを比較した場合、これを労働者にとって一側面では利益・他の側面では不利益というカテゴリーで括ることができるかには、なお留保が必要です。

 しかし、地裁が一側面では利益・他の側面では不利益の問題として整理した問題に対し、「自由な意思」論を適用して合意の効力を否定したという点は、実務的に大きな意味を持っているように思われます。

 なぜなら、昨今の労働条件や制度の改変は、単純な労働条件の不利益変更の問題としては理解されないように、どんどん複雑になってきているからです。制度の改変がパッケージになっていて、一面においては労働者に不利だけれども、他の面においては労働者に有利に変わっているといった例は少なくありません。

 一側面では利益・他の側面では不利益となる労働条件の変更に「自由な意思」論の適用可能性を示した東京高裁の本裁判例は、労働条件の変更合意の効力を事後的に争う労働者にとって、有力な材料となる可能性を持つものだと思います。