弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

保育園児を抱える親の配転命令への対抗手段-信義則上の説明義務

1.業務提供誘引販売取引に対する労働法からのアプローチ

 特定商取引法に業務提供誘引販売取引という類型があります。

 これは簡単に言えば、

「『仕事を提供するので収入が得られる』という口実で消費者を誘引し、仕事に必要であるとして、商品等を売って金銭負担を負わせる取引のこと。」

を指します。

http://www.no-trouble.go.jp/what/businessopportunity/

 古くは内職商法と呼ばれていたこともありますが、仕事の提供には、委託契約、請負契約、雇用契約、代理店契約等が広く含まれるとされています。

http://www.no-trouble.go.jp/law/h28.html

http://www.no-trouble.go.jp/pdf/20180625ac09.pdf

 具体的には、

販売されるパソコンとコンピューターソフトを使用して行うホームページ作成の在宅ワーク
販売される着物を着用して展示会で接客を行う仕事
販売される健康寝具を使用した感想を提供するモニター業務
購入したチラシを配布する仕事
ワープロ研修という役務の提供を受けて修得した技能を利用して行うワープロ入力の在宅ワーク

などの形をとって行われます。

 トラブルになり易い取引類型であることから、法定書面の交付義務(特定商取引法55条)、クーリングオフ(特定商取引法58条)、損害賠償額の制限(特定商取引法58条の3)などの規制が設けられています。

 トラブルの典型は、仕事で得られる利益(業務提供利益)が事前に聞いていたのと違うというものです。この場合、契約者は業者との契約を取消すことができます(特定商取引法52条1項4号、特定商取引法58条の2第1項)。

 このような契約類型に対し、労働法的なアプローチが行われた事例が近時の公刊物に掲載されていました。東京地判平31.3.8労働経済判例速報2389-23シロノクリニック事件です。

2.シロノクリニック事件

(1)事案の概要

 本件で原告になったのは、美容皮膚科と「雇用契約確認書」を交わした方です。保育園児を抱える母親でもあります。

 美容皮膚科との間で交わされた「雇用契約確認書」には、

勤務地:会社が指定した場所(シロノクリニック恵比寿本院)

※ 会社が必要と判断する場合には、会社の他の部署への配置転換もしくは他社へ出向を命じることがある

と明記されていました。

 また「雇用契約確認書」には「雇用契約に付随する条件について」という別紙がついていて、ここには

「勤務の開始はX1アートメイクスクールの受講終了後とする」

という文言が記載されていました。

 この条件に従い、原告はアートメイクスクールでの研修の受講を開始し、受講料64万8000円を支払いました。

 研修の終了後、シロノクリニックの人事担当者との間で面談が行われたところ、当初勤務が予定されていた恵比寿本院ではなく、状況が変わったとして横浜院又は池袋院での勤務を勧められました。

 こうした対応を受け、話が違うとして、原告の方が研修費用の返還等を求めて美容皮膚科を営む個人を訴えたのが本件です。

(2)裁判所の判断

 裁判所は、勤務地限定の合意、不当利得返還請求に基づく研修費等の返還請求、就労請求権等の侵害を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求は否定しました。

 しかし、次のように述べて、説明義務違反を理由とする不法行為による損害賠償請求は認めました。

(判決文引用)

「本件雇用契約において、原告の勤務地が恵比寿本院に限定されていたとは認められない。しかし、原告は、本件雇用契約を締結するにあたり、被告に対し、子供を保育園に迎えに行く時間との関係で、転居先に近い恵比寿本院における時短勤務を希望する旨を繰り返し伝えている・・・。被告は、原告との面談を通じて、原告が時短勤務を希望する理由を十分に認識していたのであり・・・、原告が恵比寿本院以外に勤務することになる場合、保育園との関係で原告の勤務に支障が生じることは当然に予想できたはずである。このことに加え、被告は、本件雇用契約の締結にあたり、原告に対し、自らの負担で本件研修を修了することを求めている。」

(中略)

本件研修費は、原告の7か月分以上の賃金に相当するものである。このような場合、原告にとって、長期間にわたる本件雇用契約の継続が重要な関心事であり、そのことは被告の十分に認識できたといえる。このような事情の下においては、被告は、本件雇用契約の締結に先立ち、原告に対し、原告の勤務継続にとって支障となり得る事情について、十分に説明しておくべき信義則上の義務を負うと解するのが相当である。

「被告は、本件雇用契約の締結に先立ち、勤務地についての説明を求める原告に対し、Aクリニックの他の院で人手が足りない時に、恵比寿本院から応援にいってもらうことがあるかもしれないといった説明は行っているが、恵比寿本院の状況によっては、他の院への配置転換の可能性があることや、長期間にわたり他の院に勤務しなければならない可能性があることについての説明は行っていない。また、雇用契約確認書には、配置転換や出向の可能性があることの記載はあるが、一方で、原告の所属や勤務地について恵比寿本院と明示されていることもあり、雇用契約確認書の記載から、一時的ではなく長期間にわたり、恵比寿本院以外に勤務しなければならない可能性のあることが、必ずしも明確になっているとはいえない。そうすると、被告が、本件雇用契約の締結に先立ち、原告に対し、長期間にわたり、恵比寿本院以外に勤務しなければならない可能性があることについて、十分な説明を尽くしたと認めることはできない。したがって、被告は、原告に対する信義則上の説明義務に違反したといえる。」
「原告は、本件雇用契約を締結したことに伴い、本件研修を受講し、その費用として、本件研修費64万8000円及びブローライナー購入費4567円の合計65万2567円を支出している・・・。これらの費用は、原告が本件雇用契約を締結したことにより被った損害といえる。この点、被告は、本件研修には汎用性があり、原告はアートメイクの施術経験者として、今後、好待遇を望むことができるので、損害は生じていない旨主張する。しかし、原告は、現勤務先でアートメイクの業務には従事しておらず・・・、将来アートメイクの業務に携わることが確実であるといった事情も認められない以上、仮に本件研修に汎用性があったとしても、原告に損害が発生していないと解することはできず、この点に関する被告の主張は採用できない。

3.保育の都合+高額の研修費用=高い水準の説明義務

 本件の「雇用契約確認書」には配置転換の可能性があると明記されていました。また、被告は「横浜院や池袋院で面接の機会を設定するなど」原告に働いてもらえるように努力を尽くしており、悪徳商法のようなケースとは一線を画していると思います。

 それなのに、裁判所が業者に対して厳しめの判断をしているのは、保育の都合という社会的な要請を重く見たのと、高額な研修費用が発生していることが影響しているのではないかと思われます。

 近時、保育の都合を考えない配置転換が社会問題として取り沙汰されるようになっています。本件のような判示を見ると、こうした問題意識は、裁判所でもある程度共有されてきているのではないかと感じられます。

 労働者側に一定の技能が身につくものでありながら研修費用を損害として認定したのも、保育園児を抱えて働こうとする親御さんへの配慮の現れではないかと思います。

 この種の契約は、基本的には特定商取引法など消費者系の法律の解釈・適用の問題と考えていたため、労働法的な観点からアプローチする可能性が示されたことは、労働法の持つ新たな可能性を示唆する事例として大変興味深く思われます。