弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

在籍出向の規定を欠く会社との間では、出向することが記載されている雇用契約書の取り交わしに応じなくても問題ないとされた例

1.出向

 最二小判平15.4.18労働判例847-14 新日本製鐵(日鐵運輸第2)事件は、労働者の同意を前提としない出向命令の可否について、

「(1)本件各出向命令は、被上告人が八幡製鐵所の構内輸送業務のうち鉄道輸送部門の一定の業務を協力会社である株式会社日鐵運輸(以下『日鐵運輸』という。)に業務委託することに伴い、委託される業務に従事していた上告人らにいわゆる在籍出向を命ずるものであること、(2)上告人らの入社時及び本件各出向命令発令時の被上告人の就業規則には、『会社は従業員に対し業務上の必要によって社外勤務をさせることがある。』という規定があること、(3)上告人らに適用される労働協約にも社外勤務条項として同旨の規定があり、労働協約である社外勤務協定において、社外勤務の定義、出向期間、出向中の社員の地位、賃金、退職金、各種の出向手当、昇格・昇給等の査定その他処遇等に関して出向労働者の利益に配慮した詳細な規定が設けられていること、という事情がある。」

「以上のような事情の下においては、被上告人は、上告人らに対し、その個別的同意なしに、被上告人の従業員としての地位を維持しながら出向先である日鐵運輸においてその指揮監督の下に労務を提供することを命ずる本件各出向命令を発令することかできるというべきである。」

と判示しています。

 つまり、出向命令を有効に行うためには、

就業規則上に根拠規定があることなどの事情があるか、

個別的同意があるか、

いずれかの場合であることが必要になります。

 近時公刊された判例集に、「事情」がないにもかかわらず、労働者から出向に関する個別的同意を取ろうとして失敗した事例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、横浜地判令5.12.12労働判例ジャーナル144-16学校法人M幼稚園事件です。

2.学校法人M幼稚園事件

 本件で被告になったのは、認定こども園である幼稚園(本件幼稚園)を運営する学校法人です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、本件幼稚園で、

主任として勤務していた方(原告P1)、

教諭として預かり保育のリーダー等の園務を担当していた方(原告P2)

の二名です。被告から解雇されたことを受け、その無効を主張し、労働契約上の地位の確認等を請求したのが本件です。

 被告から多数の解雇理由が主張されたこともあり、本件の争点は多岐にわたりますが、その中の一つに雇用契約書の取り交わしの拒否がありました。

 具体的に言うと、被告は、解雇理由の一つとして、

「原告P1は、令和4年、各職員において通例となっている年度ごとの雇用契約書の締結をせず、雇用契約の変更に合意しなかったことにより、被告との間の雇用の信頼関係を破綻させ、園内の秩序を乱した」

ことを主張しました。

 ただ、被告代表者が押印を求めた雇用契約書は、

「令和4年4月1日頃、原告らに対し、就業の場所を出向園、就業日及び労働時間を出向先の園に準ずる、という内容」

の明確性に欠けたものでした。

 裁判所は、被告が主張する上記解雇理由について、次のとおり述べて、信頼関係を破壊したり、秩序を乱したりするものではないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告P1解雇事由〔1〕につき、通例となっている年度ごとの雇用契約書の締結をせず労働契約の変更に合意しなかったことにより、雇用の信頼関係を破綻させ、園内の秩序を乱した旨主張する。しかし、原告P1と被告との間の労働契約は、期限の定めのない労働契約であるところ・・・、当該年度ごとの労働契約の内容に変更がある場合に、労働者が労働契約の変更に常に応じなければならないような義務はない。また、原告P1が締結を拒否した雇用契約書には、原告P1が出向することが記載されていたところ、出向先、就業日、就業時間及び休憩時間は明らかにされていない上、被告代表者が原告P1に対して雇用契約書への押印を求めたという令和4年4月1日頃時点において、被告の就業規則に、在籍出向に関する有効な規定がおかれていたと認めることはできない。そのため、原告P1が当該労働契約の変更に応じないことが雇用の信頼関係を破壊するものとも、園内の秩序を乱すものとも認められない。

3.根拠なき要請に応じる義務はない

 就業規則の規定などの事情がない場合、一方的な出向命令は下せません。下されたとしても、労働者は個別的合意をしないことができます。個別的合意をしないと懲戒処分を受けるというのでは、合意の意味がありません。したがって、個別的同意をしなかったとしても、それを理由に懲戒処分を受けることはありません。

 出向を強要され、断ると懲戒処分を受ける例は、残念ながら少なくありません。こうした扱いを受けた方は、懲戒処分の効力を争うことができないか、一度、弁護士の下に相談に行っても良いのではないかと思います。