弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

外形上雇用契約が存在していても、雇用契約が存在しないとされた例

1.雇用契約が存在するかのような外観が作られるケース

 家族経営の法人や会社では、身内を役員や従業員にして、役員報酬や賃金の名目で金銭を支給している例が、しばしば見受けられます。

 また、代表者等社内の有力者が、交際相手等を従業員にして、賃金の名目で交際の対価を渡しているような例も少なくありません。

 このように様々な理由、背景事情のもと、就労実体がないにもかかわらず、雇用契約(労働契約)が結ばれているかのような外観のもと、賃金の名目で会社から特定の個人への金銭の流れを確認できる場合があります。

 こうした不明朗な金銭の流れは、キーパーソンの死亡や、キーパーソンとの人間関係の悪化等によって顕在化し、雇用契約(労働契約)の存否をめぐる紛争に発展しがちです。このブログでも、以前、形だけ労働契約書があっても、労働者ではないと判断された事案をご紹介させて頂いています。

形だけ労働契約書があっても労働者ではないとされた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 近時公刊された判例集にも、契約書が存在しながら、使用者の了解を得ずに作成されたものであったとして、雇用契約(労働契約)の整理が否定された裁判例が掲載されていました。大阪地判令5.3.27 労働判例ジャーナル138-44 辻美容室事件です。

2.辻美容室事件

 本件で被告(反訴原告)になったのは、前代表者である亡Cが創業した美容室の経営等を業とする株式会社です。現在の代表者は亡Cの長女であるDとされています。

 原告(反訴被告)になったのは、亡Cの二女Eの二男」です。

 原告が被告に対して雇用契約上の権利を有する地位に在ることを求めたとろ、被告は賃金名目で支払がなされているのは不当利得であるなどと述べ、逆に原告に対して過去に支出した賃金を返せという反訴を提起しました。

 この事案で、裁判所は次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

・本件契約書に押印された被告の印影はEが押印したものであること

「押印の経緯についてみると、本件契約書に押印された被告の印鑑をEが保管していたことは当事者間に争いがないところ(なお、同印鑑は返還されておらず、Eが所持したままである・・・)、そうであれば、Eが、本件契約書に被告の印鑑を押印する機会があったということができる。そして、Eが本件契約書に被告の印鑑を押印したこと自体は、原告及びEが自認している・・・。」

「そうすると、本件契約書に被告の印鑑が押印されているとしても、直ちに、真正に成立したことになるものではない。」

・本件契約書の内容が不合理であること

「本件契約書の内容を見ると、

〔1〕定年、自己都合退職のときは、『基本賃金×勤続年数×10又は12』という計算式で算出することとされ(なお、基本賃金が45万円を下回ったときは45万円として計算することともされている。)、

〔2〕定年、自己都合退職以外の事由による退職・解雇のときは、5400万円(ただし、上記計算式で算出した金額の方が多額となるときは、算出した金額に1000万円を加算することとされている。)とされている・・・)。」

「しかし、被告の規模・経営状況・・・に照らせば、上記〔2〕の5400万円という金額が不相当に高額であることは明らかである。」

「また、上記〔1〕の場合について、原告が本件契約書における契約開始日である令和3年3月20日から60歳の定年までの約23年間勤務した場合を想定すると、基本賃金に変動がなかったとしても45万×24(1年未満の端数は切上げとされている)×12(定年の場合の係数)となり、退職金の金額は1億2960万円となるが、かかる金額が不相当に高額であることはいうまでもなく、このことは、被告の退職手当規程・・・に基づいて定年まで勤務した場合の退職金を計算すると45万×3.8(勤続23年の係数)+45万×0.06(勤続端数月の係数。なお、退職手当規程8条には「小数第2位を切上げ」とあるが、小数第2位を切り上げると1年間勤続した場合と同じ係数となるから、『小数第3位を切上げ』の誤記と解した。)=約173万7000円となることと対比すれば、より強くいえる。」

「さらに、特約事項をみると、『いかなる理由があろうと給与の不支給、減額並びに退職金の不支給、減額等はせず、上記契約内容の通り支払うこととする。』、「退職金の支払い(ママ)については、他のすべての債権に優先して支払う。ただし、甲(被告を表す)の資産に不足が生じた場合においては、退職日における甲の代表取締役がその支払い(ママ)債務を請け負い支払うこととする。」という条項が設けられているところ(前提事実(4))、かかる条項を前提とすると、被告の資産では原告の退職金を賄えない場合には、被告代表者であるDが退職金債務を負担することとなるが(本件契約書の作成日付とされている令和2年3月8日時点の代表者は亡Cであるが、同人が、同日時点で95歳であったことに照らせば、同人が退職金債務を負担することは想定できない。)、そのような内容が不自然・不合理であることはいうまでもない。
 加えて、本件契約書の特約事項には、「乙(原告を表す)については業務形態を加味し、副業を許可する。」、「甲は乙に対して損害賠償請求および懲戒はおこなわ(ママ)ない。」という条項も設けられているところ(前提事実(4))、かかる条項は、雇用契約書において一般的に設けられる条項とはいえず(勤務形態によっては、副業を許可することはあり得るが、本件契約書における勤務形態は1日8時間、週5日の勤務を内容とするものであり、副業を行えば労働時間に関する労働基準法の制限を超過することとなる。)、特に、後者の条項については、労働者に異常に有利な条項というほかない。
 そして、本件契約書の作成日付は令和2年3月8日であるが、研修開始は令和3年1月1日からとされており(前提事実(4))、かかる記載を前提とすれば、契約締結から勤務開始まで約10か月という空白期間が生じることとなってしまうが、そのような空白期間を設ける合理的な理由は見当たらない(原告は適応障害で休職中であり、積水樹脂に復職することはできないが、ほかの会社では勤務することができる状態であったというところ(原告本人24、25頁)、原告の病状がそのような状態であったことあるいは医師がそのような診断をしたことを裏付ける証拠はないが、その点をさておき、積水樹脂に復職しないことが確定してから雇用契約を締結すれば足りる。)。
 そのほか、本件契約書によれば、原告の賃金は月額45万円であり、賞与も支給されることとなっていたところ(甲3)、Dの令和元年度の役員報酬が585万円であったこと(甲9の2)に照らせば、原告の待遇は実質的な被告代表者として現場を取り仕切っているDに匹敵する待遇(賞与の額によっては、同額あるいは上回る可能性もある。)となるが、原告が美容室の経営に携わった経験を有していたり、美容室の経営に有用な何らかの資格を有しているという事情もうかがわれないことに照らせば、そのような待遇とすることは容易に想定し難い。」

「以上からすれば、本件契約書の内容は、社会通念に照らし、およそ合理的なものとはいえない。」

(中略)

・原告が被告の業務に従事した形跡がうかがわれないこと

原告が被告と雇用契約を締結したのであれば、当然のことながら、原告が被告の業務に従事しているはずであるところ、原告は、被告の経理業務や人事業務を行っていた旨主張する。

しかし、仮に、原告がそれらの業務を行っていたのであれば、原告が美容室を訪れることが容易に想定され、特に、被告ではパート従業員に対する賃金の支払が現金交付であったこと・・・からすれば、経理担当の原告としては、美容室を訪れることが必要不可欠であるが、美容室を訪れて交付したことがないことは原告も自認している・・・。なお、原告は、Eが立ち寄ることが容易であったから賃金の支払はEが行っていた旨主張・供述するが、原告の主張を前提とすれば、原告はEの後継として採用されたというのであるから、原告が賃金の支払を行うことが必要かつ相当であるから、原告の主張は不自然・不合理である。

「また、原告は、被告の取引銀行及び支店名を把握できていないが(原告本人26頁)、原告が実際に被告の経理業務に従事していたのであれば、そのような事態は到底想定し難い。」

「さらに、令和3年6月21日の原告とDとのLINEのやり取り(認定事実(5))を見ても、原告が被告の業務に従事しているとの認識を有していることを看取することはできない。」

「そして、ほかに、原告が被告の業務に従事していたことを的確かつ客観的に裏付ける証拠もない。」

(中略)

「以上を総合考慮すれば、本件契約書は、Eが被告の了解を得ずに作成したものであり、被告名義部分の捺印は、Eが被告の了解を得ずにこれを押捺したものと認めることができるから、前記1の事実上の推定は破られ、本件契約書が真正に成立したものとは認められない。そして、これまでに説示してきた事情に照らせば、原告及びEの供述を採用することはできず、ほかに、原告と被告との間で雇用契約が締結されたことを認めるに足りる証拠もない。」

そうすると、原告と被告との間で雇用契約が締結されたと認めることはできず、雇用契約が存在しない以上、被告が、原告に対して賃金を支払う理由はないことになるから、被告が原告に対して賃金として支払った金員は不当利得となる。

3.反訴まで認容された例

 本件の特徴は、被告による反訴請求が認められている点です。

 稼働実体の立証に懸念がある中、労働者であることの確認を求めて法定措置をとることが、藪蛇に繋がりかねないことがうかがわれます。

 このような裁判例もあるため、人間関係が絡む労働契約の成否が争われる事案で弁護士が見通しを立てるにあたっては、稼働実体を確認しておくことが重要です。