弁護士 師子角允彬のブログ

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未払賃金につき十分な説明を受けたと書かれた精算条項付の書面を差し入れていても、残業代請求が可能とされた例

1.清算条項

 清算条項とは、

「〇と〇は、本合意書に定めるほか、何らの債権債務もないことを、相互に確認する」

という趣旨の約定を言います。

 会社を退職するにあたっては、清算条項付きの書面の差し入れを求められる例が少なからず見受けられます。これは主に退職した労働者から残業代請求を受けることを阻止するために行われます。

 しかし、残業代が発生しているのかどうかといった基本的な情報も付与されない中、形式的に清算条項付きの書面が差し入れられていることを理由に賃金債権の放棄を認め、違法行為(割増賃金の不払)をした会社を救済することは、直観的に正義・公平に反しているように思われます。

 そのためか、清算条項付書面の差し入れに残業代請求を放棄する趣旨を読み込むにあたっては、事前に何等かの情報提供や説明を要することを示唆する裁判例が一定数出されています。

清算条項付き退職合意書によっても、残業代が清算されないとされた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

残業代が発生していることの説明を受けずに退職した労働者の方へ-認識なき残業代請求権の放棄は無効 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 こうした裁判例の出現を意識しているのか、使用者の中には、清算条項付きの書面に、

「会社から十分な説明を受けました。」

という趣旨の文言を入れている会社も散見されます。

 しかし、「説明を受けました」とする文言を形式的に書面に滑り込ませておくことに、どれだけの意味があるのかは疑問です。こうした疑問を持っていたところ、近時公刊された判例集に、説明文言付きの清算条項の効力を否定した裁判例が掲載されてました。東京地判令4.1.21労働判例ジャーナル123-16 メイホーアティーボ事件です。

2.メイホーアティーボ事件

 本件の被告になったのは、土木・建築事業等を営む株式会社です。

 原告になったのは、被告の元従業員であった方です。退職した後、被告に対して残業代(未払時間外勤務手当等)を請求する訴えを提起したのが本件です。

 しかし、原告は被告を退職するにあたり、

「被告から、未払賃金につき十分な説明を受け、タイムカードないし業務月報などの客観的資料を精査し、自らの自由意思により、

〔1〕平成29年8月1日から令和元年7月31日までの期間における未払残業手当等の未受領賃金が存在しないこと、

〔2〕未受領賃金の有無につき、円満に解決したことを被告及び原告双方が確認、今後、方法名義の如何を問わず、一切異議を述べないこと」を確認する旨の「賃金債権不存在の確認書」

と題する書面を差し入れてきまた(本件確認書)

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、本件確認書の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件確認書による和解の成否を検討する前提として、前記1ないし3における説示を踏まえて、労働基準法37条及び本件各雇用契約所定の割増賃金額を算出する。」

「原告の平成30年1月1日から令和2年3月26日までの期間における時間外労働時間は、別表1『労働時間一覧表』記載のとおりであり、基礎賃金額は、前記2において説示したとおりである。」

「そうすると、労働基準法37条の定める割増賃金額は、別表3『割増賃金仮計算表』の『賃金月度(支払期日)』欄記載の各月において、『増賃金合計額』欄の上段に記載された金額(別表4『認容額計算表」の「〔2〕別表3上の割増賃金合計額」欄は、これらの各金額を転記したものである。・・・から、別表3の『法内残業(1.00)』欄の下段に記載された金額(本件各雇用契約よって定まる単価及び割増率(前記前提事実(2)イ(イ))と異なる単価及び割増率を前提に計算された結果であり、別表4の「〔3〕別表3上の割増賃金(法内残業)額」欄は、これらの各金額を転記したものである。)を控除した残額となる。また、本件各雇用契約に基づく法内残業に対する割増賃金額は、別表4の『賃金月度』欄記載の各月において、『〔1〕割増賃金(法内残業)額』欄記載の額となる。
 そうすると、被告が原告に対して支払うべき割増賃金額は、別表4の『賃金月度』欄記載の各月において、『〔4〕割増賃金合計額」欄に記載の額となる一方で、各月において、被告から原告に対して支払われた額は、「〔5〕既払額」欄記載の額に過ぎず、いずれの月においても、被告が原告に対して賃金の全額を支払っていなかったことになる。

被告は、本件確認書の内容で、確定効を有する和解契約が締結されたと主張する。しかし、本件における被告の主張の内容のほか、前記・・・のとおり、本件各雇用契約の契約期間を通じて、被告が原告に対して賃金の全額を支払っていなかったことからすれば、仮に、本件確認書の作成に先立って、被告が原告に対してタイムカードないし業務月報を提示していたとしても、被告から、原告に対し、本件確認書を作成した際、原告が現に未払の賃金請求権を有していることを説明したとは認められず、原告においても、未払の賃金請求権を有しているとの認識はなかったと認められる。そうすると、本件確認書に表示された原告の意思を合理的に解釈すれば、前記・・・のとおり算定される割増賃金の未払部分を放棄するものとは解されず、また、その当時、原告と被告との間に紛争が存したとも認められないから、本件確認書により、被告が主張する内容の和解が成立したとは認められない。

3.説明を受けたと書かされていたとしても直ちに請求が不可能いなるわれはない

 上述のとおり、裁判所は、説明の事実を認めず、未払残業代が清算されることを否定しました。説明の欠如が清算条項の効力を否定するという発想は労働法に特有のもとで、知っていないと思いつくのは困難です。

 不本意に書面を差し入れてしまい、残業代を請求することができなくなってしまったと諦めてしまっている方がおられましたら、一度、弁護士のもとに相談に行ってみると良いと思います。もちろん、当事務所でご相談をお受けすることも可能です。