弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

退職労働者に対するパソコンのデータ復旧費用相当額の損害賠償請求が棄却された例

1.パソコンデータの消去

 退職するにあたり、職場から貸与されたPCを初期状態に戻してから返却する方は、少なくありません。貸与を受けた時の原状に復して返却しようという感覚なのだと思われます。

 こうした行為の殆どは特に問題視されることはありません。しかし、解雇の効力を争って地位確認を請求したり、残業代を請求したり、ハラスメント慰謝料を請求したりするなど、退職後に法的措置をとると、会社側からデータの消去行為を問題視されることがあります。損害賠償としてデータの復旧費用を払えといったようにです。

 それでは、会社から損害賠償を求められた場合、退職した労働者は、これに応じる必要があるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、こうしたデータ復旧費用相当額の損害賠償請求が棄却された裁判例が掲載されていました。一昨々日、一昨日、昨日と紹介させて頂いている、東京地立川支判令6.2.9労働判例ジャーナル150-26 JYU-KEN事件です。

2.JYU-KEN事件

 本件で被告になったのは、不動産の売買、賃貸、管理及び受託不動産の活用企画業務等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告で不動産営業職として働いていた方です。被告を退職した後、未払の時間外勤務手当の支払い等を求めて提訴したのが本件です。

 これに対し、被告は、退職にあたり業務使用目的で貸与されていたノートパソコン内のデータを全消去して返却したことが債務不履行ないし不法行為にあたるとして、原告に対し、情報復旧費用等の損害賠償を求める反訴を提起しました。

 本日の記事で焦点を当てたいのは、反訴請求についての判断です。

 裁判所は、次のとおり述べて、反訴請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「前記前提事実によれば、被告の就業規則には、故意又は重過失若しくは過失により、パソコンのハードディスクに保存されているデータを消去した場合には、懲戒の対象となる旨定められている。」

「そして、本件において、原告は、退職に伴い、備品の原状回復が必要であると考え、直属の上司である訴外P3その他備品を管理している担当者に特段確認することなく、被告から貸与されていたパソコンのハードディスク内のデータを消去したものであり、原告の上記行為は、少なくとも過失によるものとして、就業規則84条に反するものといわざるを得ない。」

「これに対し、原告は、貸与されていたパソコンのデータを消去せずに返還すべき旨規定した就業規則はなく、被告からデータ消去を禁止する職務命令が発令されたこともなく、貸与を受けていた備品を原状に復して返還したにすぎないから不法行為には該当しない旨主張するが、前記のとおり、被告の就業規則上、故意、重過失又は過失によりパソコンのハードディスクに保存されているデータを消去した場合には懲戒の対象となるのであるから、原告の主張は採ることができない。」

「そこで、原告の上記行為による被告の損害について検討する。」

この点、被告は、当該パソコンのデータを復旧させる費用である57万6940円を損害として主張する。

しかし、被告は、原告が退職した後、既に3年近くが経過してもなお、当該パソコンのデータを復旧しておらず、その理由として、時間を要し、確実に復旧できるか定かではないからとしていること(被告代表者)からすると、今後も、データを復旧する予定はないものと認められる。

したがって、被告にデータ復旧費用としての損害が生じたとは認められない。

「また、被告は、原告の上記消去行為により、契約が2件解除になり、他の顧客に対する確認等の作業のために人件費を要しており、その金額はパソコンのデータ復旧費用を下らないなどとも主張するが、被告が主張する契約の解除や他の顧客に対する確認作業など事実関係の有無のみならず、契約解除に伴う損害や要した人件費について、被告代表者の供述以外に証拠は見当たらず、損害についての立証が不十分であるといわざるを得ない。加えて、原告が、被告を退職するにあたり、複数日にわたって引継ぎを行っていること・・・も併せ考慮すれば、原告のデータ消去行為と被告が主張する損害との間の因果関係についても、明らかとはいい難い。」

したがって、被告の反訴請求は認められない。

3.実際に復旧させていなければ損害は発生していない

 データ復旧費用相当額の反訴請求が(さしたる復旧の必要性もないのに行われた)報復的なものである場合、使用者側が実際の復旧作業に踏み切っていないことが多くみられます。

 そうした事案において、本件は「損害がない」という論理で防御可能であることを示しました。これは同種事案の処理との関係で大いに参考になります。

 ただし、一方で過失による就業規則違反を認めていることからすると、やはりデータは消さないでおいた方が無難だとは言えます。