1.孤立防止義務
以前、
ハラスメントがなくても職場環境廃配慮義務違反(職場環境調整義務違反)が認められるとされた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ
という記事の中で、千葉地判令4.3.29労働経済判例速報2502-3 甲社事件を紹介しました。
この裁判例は、ショーの出演者であった原告との関係で、
「被告は、他の出演者に情報を説明するなどして職場の人間関係を調整し、原告が配役について希望を述べることで職場において孤立することがないようにすべき義務を負っていたということができる。ところが、被告は、この義務に違反し、職場環境を調整することがないまま放置し、それによて、原告は周囲の厳しい目にさらされ、著しい精神的苦痛を被ったと認めることがでいるから、被告はこれによって原告に生じた損害を賠償する義務を負う。」
と判示し、被告の損害賠償責任(債務不履行責任)を認めました。
この事案で裁判所はハラスメントの成立を否定しており、本件は、ハラスメントが成立しなくても、職場環境配慮義務(職場環境調整義務)違反が認められる場合があることを示した事例として注目を浴びました。
画期的な判断が示されて良かったと思っていたのですが、この裁判例は、控訴審で破棄されたようです。近時公刊された判例集に、本件の控訴審裁判例が掲載されていました。東京高判令5.6.28労働経済判例速報2555-3 甲社事件です。
2.甲社事件(控訴審)
本件で被告(控訴人)になったのは、テーマパークの経営・運営、不動産賃貸等を目的とする株式会社です。
原告(被控訴人)になったのは、被告との間で労働契約を締結し、出演者として働いていた方です。上司や同僚からパワーハラスメントや集団的ないじめを受け、これにより精神的苦痛を被ったとして、債務不履行等を理由に損害賠償を請求する訴えを提起しました。
原審がハラスメントの成立を否定しつつ、債務不履行責任(職場環境配慮義務・職場環境調整義務)違反を認め、被告に損害賠償を命じたことを受け、被告側が控訴し、これに応じた原告側が附帯控訴したのが本件です。
パワーハラスメントの成立や集団的ないじめの成立を否定したところまでは原審と同じですが、控訴審は、次のとおり述べて、被告の債務不履行責任を否定しました。
(裁判所の判断)
「被控訴人の主張は、原審の判断を受けて、パワハラ及び集団的ないじめの有無にかかわらず、控訴人には職場における『孤立防止義務』違反があるとの新たな主張を当審において行う趣旨と解する余地もないわけではない。」
「しかし、被控訴人が援用する原判決の『孤立防止義務』の内容は、『職場において孤立することがないようにすべき義務』という抽象的なものにすぎず、その具体的内容が判然としないのであって、『孤立』というのがどのような状態か、これを防止するために控訴人がどのような行為をすべきなのかなど、何ら明らかにはされていない(原判決でも説示されておらず、被控訴人もこれに追加する特段の主張をしていない。)。」
「したがって、かかる抽象的な義務を根拠に、控訴人に義務違反を認め、損害賠償を命じるというのは、相当ではないといわざるを得ない(そもそも、この新たな主張は「孤立防止義務」違反に基づく新たな損害賠償請求を予備的に請求するものとして、訴えの追加的変更に該当するとも解されるところ、民事訴訟法143条1項の要件を満たすかどうかは疑問があるし、仮に訴えの追加的変更に該当しないと解しても、時機に後れた攻撃防御方法の提出(民事訴訟法157条1項)と評価され得るものである。)。」
「以上の点を措き、仮に、被控訴人のいう『孤立防止義務』というのが損害賠償義務を発生させ得る程度に相応に具体的で特定されていると解する余地があるとしても、本件において、控訴人がかかる義務を履行しなければならない程度にまで被控訴人が職場で『孤立』していたと認めることは困難である。」
「この点につき、原審は、『他の出演者の中には、原告(被控訴人)に対する不満を有するものが増えたのであって、原告は職場において孤立していたと認めることができる』と認定しているが・・・、これを裏付ける具体的な事実関係は明らかにされておらず、どのような証拠に基づいて認定したのかも不明である上、仮に被控訴人に対して何らかの不満を有する従業員がいたとしても、そのことから直ちに被控訴人が「孤立」していたというのには飛躍がある。証拠上も、被控訴人が『E-EAR』への相談や産業医との面接、外部の病院の受診の際に、職場で『孤立』しているとの相談をした形跡は見当たらず・・・、かえって、被控訴人は、産業医との面接の際には『(TDLでは)具合の悪いことを知ってくれている出演者が徐々に増えている』と伝えており・・・、原審でも、スーパーバイザーに配役の変更を願い出たのは『同僚らの助言』によるところが大きく、一部の同僚は『同行してくれた』と主張していたところであって・・・、被控訴人の置かれた状況に理解を示す同僚らも相当程度存在し、被控訴人がTDSへの異動に消極的であったことがうかがわれることからしても、被控訴人が職場で『孤立』していたというのには疑問がある。」
「また、被控訴人は、当審において、被控訴人は『■■■■■■■』役での出演について恐怖を抱いており、上司らに対してもその負担を訴え出ていたのに、控訴人は被控訴人の希望及び精神状態を無視・軽視し、■■■■■■■■■での『■■■■■■■』役での出演を続けさせたのであって、この点に『仕事内容調整義務』違反が認められると主張する。」
「しかし、これまで説示したとおり、本訴における被控訴人の請求は、本件各発言によるパワハラ及び集団的ないじめを漫然と放置したことによる安全配慮義務違反、又は、本件各発言によるパワハラ及び集団的ないじめそれ自体を理由とする民法715条1項本文の使用者責任に基づき、損害賠償を請求するものであって、新たに『仕事内容調整義務』違反による損害賠償を請求するものとすれば、上記のとおり民事訴訟法143条1項又は157条1項の問題が生ずる上、この点を措いても、争点・・・において説示したとおり、医師が被控訴人に対して『■■■■■■■』役を演じるのを止めるよう指導した旨の記載は診療録にはなく、『■■■■■■■』役を演じると過呼吸の症状が出ていた旨を「第3ショーグループ」の上司や同僚に積極的に伝えていた事実も認めるに足りない上、■■■■■■■■■自体の配役の変更を申し出た事実も認めるに足りない(■■■■の合間に行われる■■■■■■■■■■■の配役につき、精神的につらいとの申出があったとの限度で認められる。)。むしろ、先に説示したとおり、過呼吸に関する被控訴人の供述ないし陳述は必ずしも一貫しているとはいえない上、被控訴人の上司(C)は、■■■■■■■■■■■の配役だけを変更することは難しいため、精神面での調子が悪いようであれば、思い切って仕事を全部休んで療養に専念した方が被控訴人の将来のために良いのではないかと話したことがうかがわれるのであって、これらの経緯等にも照らすと、控訴人において、被控訴人のいう『仕事内容調整義務』が生じており、その違反があったと認めることは困難である。」
「したがって、被控訴人の上記主張は、いずれにせよ採用できない。」
3.承認されれば画期的だったが・・・
原審が示した孤立防止義務(職場環境配慮義務・職場環境調整義務)という考え方は、被害者保護に資する判断で画期的なものでした。しかし、高裁によって、その考え方は、破棄・否定されてしまいました。
破棄裁判例は実践で使いにくく(引用しても必ず相手方から破棄されているという指摘が入ります)、千葉地裁の判断が残念な結果になってしまったことは留意しておく必要があります。