弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

通勤手当の不正取得を理由とする普通解雇が否定された例

1.金銭的不正行為を理由とする解雇

 労働契約法16条は、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

と規定しています。客観的合理的理由、社会通念上の相当性の有無は、厳格に審査されるため、そう簡単に解雇権の行使が有効になることはありません。

 しかし、比較的緩やかに解雇の効力が認められる場合も、ないわけではありません。その一つが、金銭的な不正行為を理由とする場合です。

 金銭的な不正行為、特に横領や着服に裁判所は厳しい姿勢をとっています。例えば、東京地判平23・5・25労働経済判例速報2114-13は、バスの乗務員が運賃1100円を着服したことなどを理由に懲戒免職処分を受けた事案で、

「本件懲戒免職処分の処分理由とされた事実をいずれも認めることができるところ、このうち、運賃1100円の不正領得という事実がバスの乗務員として極めて悪質な行為であり、職務上許されないものであることはいうまでもなく、その額の多寡にかかわらず、これが懲戒免職に値する行為であることは明らかである。したがって、その他の処分理由事実について懲戒免職処分事由としての相当性を問うまでもなく、被告東京都交通局長が、本件において懲戒免職処分を選択したことは相当であり、裁量権の逸脱ないし濫用はないというべきである。」

と判示しています。

 上述の裁判例でも示されているとおり、金銭的な不正行為に対しては、少額でも解雇を有効とする例が少なくありません。

 このように金銭的な不正行為を理由とする解雇を争うことは基本的には困難です。

 しかし、近時公刊された判例集に、通勤手当の不正取得の事実を認めながらも、普通解雇の効力を否定した裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている、大阪地判令4.12.5労働判例ジャーナル131-1 近鉄住宅管理事件です。

2.近鉄住宅管理事件

 本件で被告になったのは、分譲マンション、賃貸マンションの管理等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、マンション(本件マンション)の管理員として働いていた方です。

 本件の被告は、本件マンションの住民から新型コロナウイルスが流行しているにもかかわらずマスクをしていないと苦情が届いていることを告げたうえ、原告に対し、他のマンションの清掃業務への配置転換の話をするとともに、本件マンションに立ち入らないように告げました。この配転転換は、管理員として週5日勤務・給与月額16万3000円であったものを、清掃員として週3~5日勤務、給与月額6万円にするというものでした。

 その後、被告は、

原告から電話で退職することにしたという連絡を受けたこと(合意退職の成立)、

新型コロナウイルス対策の不履行と通勤手当の不正受給を理由に原告を解雇したこと

を理由に原告を退職したものと扱いました。

 これに対し、原告は、合意退職の不成立や解雇の無効を主張して、地位確認や賃金の支払等を求める訴えを提起しました(ただし、係争中に定年に達したため、地位確認請求は取り下げています)。

 裁判所は合意退職の成立、新型コロナウイルス対策の不履行(マスク不着用)を理由とする解雇の効力を否定したうえ、次のとおり述べて、通勤手当の不正受給も解雇理由にはならないと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告で勤務を開始した当初は肩書地に居住していたものの、令和2年9月中旬頃、肩書地とは別のマンションに転居しており、通勤経路に変動が生じている・・・。そうすると、原告は、被告に対し、転居の事実(通勤経路の変更)を申告しなければならなかったのであって、申告をせずに従前どおりの通勤手当を受給したことは不正受給となる。」

「しかし、

原告は、当初から実態と異なる通勤経路を申告していたものではなく、勤務期間の途中で転居をしたことで通勤経路が変更になったものであること、

原告が、殊更に転居の事実を秘して、差額の受給を受けることを意図していたことをうかがわせる証拠はないこと

通勤手当の差額は1か月当たり3000円未満(1か月定期券で比較すると2770円)であること・・・、

原告の不正受給の合計額も3万円弱にとどまっていること、

原告が令和3年6月2日の面談において、令和2年9月11日まで遡って通勤手当を清算することを承諾しており(乙1別紙3-1)、本件訴訟においても、具体的な金額の請求がなされればすぐに支払う意思を示していたこと・・・

などからすれば(なお、E課長も原告が翌月以降の賃金から控除してほしい旨を述べていたことを認めている・・・。)、通勤手当に関する原告の行動が規律違反(パートタイマー就業規程45条14号)に当たるとはいえるものの、同事情をもって、原告を解雇することが社会通念上相当であるとまではいうことができない。」

3.意図がなければ争えることもある

 着服横領で解雇の効力を覆せる事案は、あまりありません。本件が金銭の不正取得を理由とする解雇でありながら、その効力を否定できたのは、おそらく着服横領のケースとは異なり、意図的に不正取得したものではなかったという事実が効いているのではないかと思われます。

 金銭的な不正行為を理由とする解雇が争いにくい紛争類型であることは否定できませんが、本件のように故意的・意図的でない事案では、争える余地もなくはありません。

 本件は手当の不正取得・不正受給を理由とする解雇でありながら、その効力が否定された事例として参考になります。