弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

残業を許可しないことがハラスメント(安全配慮義務違反)とされた例

1.残業させてもらえない問題

 典型的な労働問題の一つに長時間の残業があることは、一般の方にも良く知られていいるのではないかと思います。しかし、残業に関する問題は、長時間労働だけではありません。あまり知られていないかも知れませんが、残業をさせてもらえないという問題も古くから存在します。人員も賃金も低く抑えられている企業で働く人の中には、残業代によって家計を維持している人も少なくありません。こうした人にとっては、残業させてもらえないことが切実な問題になることがあります。

 それでは、残業をさせてもらえない/残業を申請しても不許可とされてしまう労働者は、使用者に対し、何等かの法的責任を追及することはできないのでしょうか? 

 確かに、残業就労の拒否の違法性を認定した裁判例はなくはありません。例えば、東京地判昭51.9.30労働判例261-26 トウガク事件は、

「労働者が所定の労働時間を超えて労働すること(残業就労)は、労働強化として労働者に不利益である反面、賃金面において経済的利益でもあることは明らかである。従つて、当該職場において残業が恒常的に行なわれ、労働者においてもこれによる賃金を経済的利益として期待しているような場合に、当該労働者が残業就労の意思を有するのに、使用者が、反組合的意図のもとに、特定労働者に限り他と差別して残業就労を拒否することは、当該労働者に対する不利益取扱いとなることはもちろん、場合により当該労働者の所属する組合に対する支配介入にもなる」

と判示し、時限スト参加者に対する残業就労拒否の不当労働行為への該当性を認めています。

 しかし、残業は飽くまでも使用者から命じられる義務であって、させてもらうことに権利性があるという理解は一般的ではありません。そのため、労働組合との関係で不当労働行為を主張することができる場合はともかく、残業させてもらえないこと/残業申請が不許可とされることを個別労働紛争の枠組みで争うことは、極めて困難であると理解されてきました。

 このような状況の中、使用者が残業を許可しなかったことを安全配慮義務に違反すると判示した裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、広島地判令3.8.30労働判例ジャーナル118-38 広島精研工業事件です。

2.広島精研工業事件

 本件で被告になったのは、自動車部品のプレス加工、溶接加工、塗装、組立、射出形成等を事業内容とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結していた方です。平成22年1月1日付けで行われた課長職(製造3課長)から平社員への降格の効力を争い、支給されなくなった役付手当(月額6万円)の支払いなどを求めて提訴したのが本件です。

 本件のメインテーマは降格の可否ですが、原告の方は、これとは別に、パワーハラスメント等により精神的苦痛を受けたと主張して、安全配慮義務違反に基づく損害賠償も請求しました。

 原告の方は、パワーハラスメントとして幾つかの行為を主張しましたが、その中の一つに「残業をさせなくなったこと」がありました。

 具体的に言うと、原告の方は、

「他の従業員は残業をしているのに原告にだけ一切残業を認めないのは,業務上の合理性なく仕事を与えない『過小な要求』である。」

と主張しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、残業させなかったことの違法性を認めました。

(裁判所の判断)

「被告においては、平成24年8月から残業規制がされることとなり、残業をするには上司の許可が必要となったところ、原告以外の多くの従業員については、その後も残業が必要な場合には許可がされていたのに対し、原告が残業の必要があるとして上司に許可を求めても、他の従業員に当該業務を担当させるなどして原告の残業は許可されず、このことは、Cが社長を退任した後の令和元年9月まで継続したことが認められる。」

「証人Dによれば、原告の残業を許可しなかったのは、原告の作業効率や勤務成績が悪かったためであるというのであるが、平成21年までは課長の職にもあった原告の作業効率等が他の従業員と比べて殊更に悪かったことを裏付ける的確な証拠はない。また、原告の体調が残業に耐えられないような状況にあったこともうかがわれない。」

もとより、労働者が使用者に対して残業をさせるよう求める権利があるということはできず、被告が原告の残業を許可しなかったこと自体が直ちに違法であるということはできないが、被告は、他の従業員に対しては必要に応じ残業を許可しながら、原告に対しては同様の状況にあっても合理的な理由なく許可をしなかったものといわざるを得ず、このことは、不合理な差別的取扱いにより原告に精神的苦痛を与えるものであったというべきである。

(中略)

「以上のとおり、被告は、原告に対し、違法に本件降格をして経済的な不利益を与えるなどしている上、合理的な理由なく残業を許可しなかったり、約4か月半にわたり仕事を与えなかったりする不当な取扱いをし、さらに、社長であるCからの厳しい叱責により原告をうつ状態に陥らせて自宅療養を余儀なくさせたもので、これらにより原告には継続的に精神的苦痛が生じているというべきであるから、このことについて、被告には、原告に対する安全配慮義務違反があるというべきである。

3.実務上問題になる場面を広範にカバーする

 本裁判例は、残業に権利性を認めたわけではなく、飽くまでも差別との関係で残業を許可しないことをハラスメント(安全配慮義務違反)に該当すると判断したものにすぎません。

 しかし、残業をさせてもらえない/残業を申請しても不許可とされてしまうという悩みは、大抵の場合「他の同僚は残業させてもらえているのに」という状況のもとで発生します。そのため、実務的な観点からすると、本裁判例は、残業させてもらえない/残業を申請しても不許可とされてしまうことが問題になる事案の多くで、先例としての価値を発揮する可能性があります。

 後に続く裁判例が現れるのか、今後の動向が注目されます。