弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

導入に失敗して基本給化した固定残業代は、一方的には減らされない

1.固定残業代の導入の失敗

 適法要件を満たさない固定残業代は、残業代の支払としての効力を持ちません。その結果どうなるかと言うと、労働者は固定残業代部分も含めた金額を前提に時間単価を計算し、改めて使用者に残業代を請求できることになります。

 これは使用者にとっては相当なダメージになります。そのため、固定残業代の導入が不適法で無効だと理解される場合、使用者としては固定残業代の導入そのものを撤回したいという発想になります。

 しかし、こうした経緯から固定残業代部分の賃金を減らすことは許されるのでしょうか。無効なものなのだから仕切り直しを認めてもいいように思われる反面、一旦既得権として得られた賃金を一方的に減らされるというのはおかしなことであるようにも思われます。

 この問題を考えるうえで、参考になりそうな裁判例が公刊物に掲載されていました。大阪地判令元.7.16労働判例ジャーナル92-20メディカルマネージメントコンサルタンツ事件です。

2.メディカルマネージメントコンサルタンツ事件

(1)事案の概要

 この事件で被告になったのは、病医院及び一般企業の会計業務及び経営コンサルタント業務等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告で税務会計補助業務を担当していた従業員の方です。

 試用期間中、原告の基本給は18万円でした。これが試用期間経過後に20万円に上げられました。

 しかし、基本給が引き上げられてから約7か月後、原告は基本給を2万円引き下げられました。残業代の趣旨で2万円を引き上げたけれども、残業が少ないから減らしたとのことでした。

 基本給2万円の引き上げが有効な固定残業代の導入と認められるのかを含め、このようなことが果たして許されるのかが争われたのが本件です。

(2)裁判所の判断

 裁判所は次のとおり述べて、2万円部分の固定残業代としての有効性を否定したうえ、一方的な基本給の引き下げは許されないと判示しました。

(判決要旨)

-2万円部分の固定残業代としての有効性について-

「平成27年9月分までの原告の給与支払明細書には、基本給が18万円である旨記載され、試用期間が経過した平成27年10月分以降の原告の給与支払明細書には、基本給が20万円である旨記載されていることが認められる。そして、被告代表者は、平成27年10月分からの基本給の増額について、原告に対し、『仕事も慣れてきたみたいで、試用期間も終了して、残業もやってもらわなきゃいけなくなる可能性も大ということから、一応本人には、残業していただくことになるから、それを込みで、残業代も込みで2万円増額しますという臨時昇給の旨を申し渡し』たと供述するところ(被告代表者)、同供述によれば、当該2万円の増額は、残業代込みでの臨時昇給であると認められる。そうすると、平成27年10月分からの基本給の増額分には、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とが混在していることになるから、上記基本給の2万円の増額全部が残業代見合いのものであると認めることはできないし、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することもできないから、上記増額のうち一部が残業代見合いのものであると認めることもできない。
「よって、平成27年10月分からの基本給2万円の増額分は、残業代であるとみることはできず、給与支払明細書記載のとおり、基本給であるとみるほかない。

-2万円部分の引き下げの有効性について-
「被告は、原告に対し、平成28年10月分以降、基本給を2万円減額して支給していること(本件賃金減額)、これに対し、原告は、被告代表者に対し、抗議を行ったこと、以上の事実が認められる。被告は、原告に対し、残業する必要はない旨伝えた上で、残業代分である2万円を減額して支給した旨主張するが・・・、平成27年10月分からの基本給2万円の増額分は基本給とみるほかないから、本件賃金減額は、原告の同意なく行われた労働契約の内容の不利益変更であり、無効というべきである(労働契約法8条)。

3.使用者側のミスは安易に救済されない

 固定残業代の有効性が否定されたのは、残業代の趣旨とそうではない趣旨の部分とが混在していると理解されたところ、残業代の部分をきちんと判別することができなかったからです。

 判別可能性は、最高裁が定立している固定残業代の有効要件です(最二小判平6.6.13労働判例653-12 高知県観光事件、最一小判平24.3.8労働判例1060-5 テックジャパン事件、最二小判平29.7.7労働判例1168-49 医療法人社団康心会事件)。判別可能性が有効要件であるのは、判別可能性がなければ、労働基準法37条に基づいて計算された額以上の金額がきちんと支払われているかを検証できないからです。

 本件では判別可能性がないことを理由に、固定残業代の有効性が否定されました。有効性が否定された固定残業代は全額が基本給に組み込まれました。

 そして、一旦基本給に組み込まれた以上、これを減らすことは労働条件の不利益変更であり、一方的に行うことは許されないと判断されました。

 固定残業代に関しては、日本全国で争いが頻発しています。法の趣旨に従ってきちんと運用する場合、使用者にとっては損にしかなりません。予定された時間以下の残業しかなくても満額を支払わなければならない反面、固定残業代で賄えない部分が出てきた場合その分はきちんと精算しなければならないからです。

 こうした実体が周知されてきたせいか、近時、固定残業代をなくすという方向に制度を改めようとする会社も散見されます(そういう相談実例にあたりました)。しかし、導入時にエラーがある場合、労働者の側は、こうした動きに対抗して行くことが可能です。

 固定残業代に振り回されてお困りの方がおられましたら、ぜひ、一度ご相談頂ければと思います。