弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

資格取得の「報奨金」、退職して返せと言われた時の思考手順・検討のポイント

1.資格取得の報奨金、退職して返せと言われたら・・・

 ネット上に、

「資格取得でもらった報奨金『30万円』、退職したら返金しないとダメ?」

という記事が掲載されています。

https://www.bengo4.com/c_5/n_10051/

 記事は、

「退職しようとしたら、資格取得報奨金の返還を求められました」

「ある人は、会社が奨励していた資格を取得し、30万円の報奨金をもらいました。その資格は『職務内容と密接に関連する資格』『会社が行う事業を実施するにあたり必須の国家資格』だったといいます。資格取得のため、自己負担して予備校に通って取得しました。」

という設例のもと、

「このような場合、報奨金は返金しなければいけないのでしょうか。」

と問題提起しています。

 これに対し、回答者となっている弁護士の方は、

「会社がいったん支払った報奨金につき、一定期間内に転職する場合などにその額を返還させる旨の合意をすることは、『違約金』や『損害賠償額の予定』の禁止を定めた労働基準法16条に抵触する可能性があります。」

「同条に抵触する場合、報奨金の返還に関する合意は無効となるため、これを返還する必要はありません」

と議論を進めています。

 しかし、本件のような相談の場合、いきなり労働基準法16条の解釈論に入って行くことは、思考の手順として少し違和感を覚えます。

2.最初に検討しなければならないのは、返金請求の法的根拠ではないか?

 報奨金は法律用語ではないため、法的な定義が定められているわけではありません。

 しかし、辞書的な意味では、

「勤勉、勤労をたたえ、さらなる努力を奨励する意味合いで贈られる金品。『寸志』などとして贈られることも多い。」

という言葉として用いられます。

https://www.weblio.jp/content/%E5%A0%B1%E5%A5%A8%E9%87%91

 一旦もらってしまったお金は、返す必要がないのが原則です(民法550条)。

※ 民法550条

「書面によらない贈与は、各当事者が撤回することができる。ただし、履行の終わった部分については、この限りでない。」(あげる前であればともかく、一旦、あげてしまったお金は、後々返せということはできない。括弧内筆者)

 回答者の方は、

「会社がいったん支払った報奨金につき、一定期間内に転職する場合などにその額を返還させる旨の合意をすることは・・・」

と、あたかも合意があることを前提としたような回答をしているように読めます。

 しかし、本件のような事案の場合、先ず検討しなければならないのは、贈られた金を返せという会社側の請求について、合意ないし合意に代わるだけの法的な根拠が認められるかではないかと思います。

 具体的に言うと、

① 報奨金をもらうにあたり(あるいはもらった後)、一定期間内に退職する場合、報奨金を返すと会社側と約束した事実があるのかどうか、

② 報奨金制度の建付けとして、一定期間内に退職したら報奨金を返す義務が発生する根拠となる規定が存在するのかどうか、

を検討することになると思います。

 ①のような合意も、②のような根拠規定も存在しない場合、そもそも報奨金を返せと言う法的根拠が欠けるため、そのことを指摘すれば、労働基準法16条の解釈を展開するまでもなく、会社側の請求を排斥できるのではないかと思います。

 労働基準法16条の解釈論を展開するのは、論理的にはその後になるのではないかと思われます。

3.資格取得・報奨金の経過から退職するまでの年限をどうみるのか?

 もう一つ、回答者に欠けていると思われるのは、資格取得・報奨金の経過から退職するまでの年限についての言及がないところです。

 労働基準法16条は、しばしば修学費用や留学費用の貸付、立替に関連して問題となります。もう少し具体的に言うと、公表されている紛争実例としては、修学費用や留学費用を貸付け、一定期間働けば返さなくていいものの、その期間経過前に辞めるなら返してくれという約定の効力が争われるものが多いように思われます。

https://www.jil.go.jp/hanrei/conts/02/09.html

 ここでいう「一定期間」に関し、(定めがないのは論外として)極端な期間設定がされていた場合、退職の自由を不当に制限するものとして、労働基準法16条違反が認められやすくなります。

 この「一定期間」の理解について、労働基準法14条に言及したうえ、

「事実上の制限となる期間が3年(特定の一部の職種については5年)を超えるか否かを基準として重視すべきである」

とした裁判例に、広島高判平29.9.6労働判例1202-163医療法人杏祐会元看護師ほか事件があります。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/08/18/005836

 また、国家公務員の留学費用に関しては、国家公務員の留学費用の償還に関する法律第3条により、留学の終了から5年経過する前に辞めた場合、逓減的に留学費用の返還義務が発生してくるという建付けになっています。

 本件の「報奨金」は資格取得に必要な学費を修学中に支給する仕組みではないため、その法的性質を推察しにくいところはあるものの、修学費用の実費支弁的な性格を持っていたとしても、資格取得・報奨金の受給から退職の意思表示をするまでの間に3~5年以上経過していれば、それほど心配する必要はない(労働基準法16条を根拠に会社からの請求を拒みやすい)と回答しても良かったのではないかと思います。

 設例には記載されていませんが、法律相談の実務では必ず報奨金を受給したのが何時か(使用者が投下資本を回収するのに十分な時間が経過しているのか)は聞くでしょうし、一般の方向けの情報提供としては、「一定期間」の目安についての言及もあって良かったのではないかと思います。