弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

バス会社がバス運転士志望者に免許取得のための教習費用相当額を貸付ける仕組みの合法性

1.賠償予約の禁止

 労働基準法16条は、

「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」

と規定しています。

 この条文との関係では、しばしば使用者からの研修費用や就学費用の貸与の効力が問題になります。この種の貸与金は、一定期間使用者のもとで勤務すれば免除されるものの、一定期間内に退職すれば返還が必要になるという仕組みがとられるのが通例です。

 それでは、こうした貸付けは、労働基準法16条に違反しないのでしょうか?

 この問題は抽象的には、

「一たん使用者が特定の費用を与え、一定期間使用者のもとで勤務しない場合は損害賠償としてその額だけ払わせるという損害賠償予定の契約と考えられることがあり、その場合は本条違反となる。これに反して、費用の援助が純然たる貸借契約として定められたもの、すなわち、その一般的返還方法が労働契約の履行不履行と無関係に定められ、単に労働した場合は返還義務を免除することが定められているにすぎないと認められる場合は、本条に抵触しない」

と理解されています(厚生労働省労働基準局編『労働基準法 上』〔労務行政、平成22年版、平23〕242頁参照)。

 しかし、両者は必ずしも明確に区別できるわけではなく、貸付金の返済義務の有無が争われる裁判例は少なくありません。近時公刊された判例集に掲載されていた、さいたま地判令5.3.1労働経済判例速報2513-25 東急トランセ事件もそうした裁判例の一つです。

2.東急トランセ事件

 本件で原告になったのは、バスの自動車運送事業等を営む株式会社です。

 被告になったのは、原告会社との間で労働契約を締結していた方です。

 原告には、

「大型二種免許を新たに取得してバス運転士として稼働しようと考えている者を対象に、教習所に通って免許を取得するための教習費用や学科試験費用に対応する額を貸付け、教習所に通うための一定期間、有期雇用契約を締結して金員を支払い、免許を取得して正社員として採用された場合、一定期間継続して勤務した場合には貸付金の返還義務を免除する制度(養成制度)」

がありました。

 平成26年12月17日、被告はこの養成制度を利用し、原告との間で「養成サービス・プロバイダー」として有期雇用契約を締結するとともに、下記の内容の消費貸借契約を交わしました(本件消費貸借契約)。なお、貸付金額は合計31万0800円であったとされています。

-弁済期限

被告が原告会社に社員として採用された後、5年未満に退職し、又は解雇されたときは、その退職又は解雇された日

-弁済方法

一括弁済

-利息

定めなし

-養成サービス・プロバイダーが入社後入社後5年以上勤務した場合には、運転免許取得に関わる費用の返還を免除する

 平成27年3月1日、被告は、Q1営業所で運転士としての勤務を開始し、同年12月1日には本採用されました。

 その後、接触事故を起こして非運転職(サービスアシスタント)になったうえ、令和元年8月15日付けで原告会社を退職しました。

 このような事実関係のもと、原告会社が、被告に対し、本件消費貸借契約に基づいて貸付金の返還を求めたのが本件です。

 被告は本件消費貸借契約が労働基準法16条に違反すると主張しましたが、裁判所は、次のとおり述べて、法違反を否定しました。結論としても、原告会社の請求を認容しています。

(裁判所の判断)

「被告は、本件消費貸借契約は、労基法16条に違反し無効である旨主張する。」

「この点、本件においては、前提となる事実・・・のとおり、本件消費貸借契約は、労働契約の履行、不履行とは無関係に定められており、単に労働した場合には返還義務を免除するとされている規定である。加えて、確かに、大型二種免許は、原告会社のバス運転士としての業務に不可欠の資格であるが、国家資格として、被告本人に付与される資格であり、他の業務にも利用できること(なお、被告は、後に交通事故に遭い、資格を生かすことができない旨主張するが、かかる事後的な事情が本件消費貸借契約の有効性に影響を与えるものではない。)、前記・・・のとおり、被告自身も、原告の養成制度を理解した上で本件消費貸借契約を締結したものと認められること、その金額も、31万0800円と被告の月額給与二か月分程度であることなどに照らせば、本件消費貸借契約が、被告の自由意思を不当に拘束し、労働関係の継続を強要するものということはできない。」

「以上によれば、本件消費貸借契約は、原告会社が被告に対して貸付けをしたものとして、本件労働契約とは別に返済すべきものであるが、一定期間労働した場合に、返還義務を免除する特約を付したものと解するのが相当であって、労働契約の不履行に対する違約金ないし損害賠償額の予定であると解釈することはできない。」

3.なぜ労基法16条に反しないといえるのだろうか?

 上述したとおり、裁判所は、労基法16条違反を否定しました。

 しかし、病院経営等を目的とする医療法人が、卒業後一定期間勤務したときは返還義務を免除するとしたうえ、看護専門学校入学者に対して学費等を貸付けた事案では、

「本件貸与契約は、将来原告の経営する病院で就労することを前提として、2年ないし3年以上勤務すれば返還を免除するという合意の下、将来の労働契約の締結及び将来の退職の自由を制限するとともに、看護学校在学中から原告の経営する病院での就労を事実上義務づけるものであり、これに本件貸与契約締結に至る経緯、本件貸与契約が定める返還免除が受けられる就労期間、本件貸与契約に付随して被告A及び被告Dが原告に提出した各誓約書(〈証拠略〉)の内容を合わせ考慮すると、本件貸与契約は、原告が経営する病院への就労を強制する経済的足止め策の一種であるといえる。」

「したがって、・・・本件貸与契約・・・は、労働基準法14条及び16条の法意に反するものとして違法であり、無効というべきである。」

と判示されています(大阪地判平14.11.1労働判例840-32 和幸会(看護学校修学資金貸与)事件)。

 本件が和幸会(看護学校修学資金貸与)事件と実質的に何が異なっているのかは良く分かりません。事案の相違としては本件の貸付金が少額であることくらいであり、業務との関連性についても、拘束期間の長さにしても、違約金の定めそのものではないのかという感を禁じ得ません。

 とはいえ、結論を予想することが難しいことをの傍証として、こうした裁判例が出現したこと自体には留意しておく必要があります。