弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

転勤を拒んだ場合に地域限定総合職との給与差額の返還を求めることは許されるのか?

1.転勤への拒否感

 働き方が多様化すると共に、転勤を望まない人が増えています。こうした世相を反映してか、勤務地を限定した社員という雇用管理区分を設ける企業も、珍しくなくなりつつあります。

 それでは、このように地域を限定した社員という雇用管理区分を設ける会社が、地域限定のない社員との間に賃金格差を設け、転勤を断った地域限定のない社員に対し、賃金差分の一部を返納させるような仕組みを設けることは許されるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を取り扱った裁判例が掲載されていました。東京地判令4.3.9労働経済判例速報2489-31 ビジネスパートナー事件です。

2.ビジネスパートナー事件

 本件で原告になったのは、リース事業、割賦販売事業等を業とする株式会社です。

 被告になったのは、子会社に出向中の原告の正社員の方です。

 被告では、正社員を、

グローバル総合職

総合職

地域限定総合職

エキスパート総合職

に分け、グローバル総合職、もしくは総合職の正社員が会社が命じる転勤を拒んだ場合には、半年遡って給与差額(グローバル総合職の場合は総合職との給与差額、総合職の場合は地位限定総合職との給与差額)を返還すると共に、翌月1日付けで新たな職群に変更する仕組みがとられていました。

 被告は総合職として基本給月額33万2500円で働いていました。仮に、地域限定総合職であったとしたら、基本給は31万2500円になっていたはずでした。

 本件は、転勤命令を拒否した被告に対し、原告が半年分の給与差額12万円の支払いを求めて提訴した事件です。この事件の被告は、

賃金全額払いの原則違反(労働基準法24条1項本文「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」参照)

就業規則としての不合理性(労働契約法7条本文「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする」参照。合理的な労働条件とはいえないから就業規則に組み込まれている上述の主張は労働契約の内容にならないという主張)

と二つの観点から上述の仕組みの効力を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告会社の仕組みを適法だと判示しました。

(裁判所の判断)

・賃金全額払いの原則(労基法24条1項)について

「賃金全額払いの原則(労基法24条1項)は、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図る趣旨に出たものと解される(最高裁判所昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決参照)。」

「前記前提事実及び認定事実(以下『前提事実等』という。)によれば、本件規定は、総合職として賃金の全額が支払われた後、転勤ができないことが発覚した場合に、就業規則の規定に従って、本来支払われるべきでなかった総合職と地域限定総合職の基本給の差額を半年分遡って返還させるというものであること、その金額も、月額2万円(半年分で12万円)にとどまること、従業員としては、自身の転勤の可否について適時に正確に申告していれば、上記のような返還をしなければならない事態を避けることができることが認められる。」

「これらの事情に照らせば、本件規定は、労働者に過度の負担を強い、その経済生活を脅かす内容とまではいえず、前記賃金全額払いの原則の趣旨に反するとまではいえないから、実質的に同原則に反し無効であるということはできない。

・就業規則としての内容の合理性について

「前提事実等によれば、本件規定は、遅くとも被告が原告に入社する平成27年7月1日までには就業規則として整備されたことが認められるから、これが『合理的な労働条件が定められている就業規則』といえれば、本件規定は原被告間の労働契約の内容を規律するものと解される(労契法7条本文)。」

「そこで検討するに、前記・・・で判示したところに加えて、前提事実等によれば、原告では、原告グループ内における人員の適正配置の観点のほか、金融業という業種を踏まえて、不正を防止するとともに、ゼネラリストを育成するという観点から、原告グループ内でジョブローテーションを行うこととしており、現に広く転勤を行っていること、従業員が自身のライフステージに合わせて職群を選択することで、転勤の範囲を自由に選択、変更できる人事制度を整備する一方、転勤可能者を確保する趣旨から、総合職と地域限定総合職との間に月額2万円の賃金差を設けていること、上記のような制度を前提として、従業員らに自らの転勤の可否について適時に正確な申告を促し、賃金差と転勤可能範囲に関する従業員間の公平を図る趣旨で、本件規定を設けていることが認められる。そして、本件規定の内容については、原告の側で当該従業員の転勤に支障が生じた時期や事情を客観的に確定するのが通常困難であることから、原則として、転勤に支障が生じた時期や事情にかかわらず、一律に半年分の賃金差額を返還させることとしており、仮に転勤に支障が生じた時期が半年以上前であっても、半年分を超える返還は求めていない。」

本件規定を含む上記のような人事制度は、従業員が自身のライフステージに合わせて職群を選択することができるなど、従業員にとってもメリットのある内容といえ、返還を求める金額や適時に正確な申告をしていれば返還を免れることができる点等に鑑みると、労働者に過度の負担を強いるものともいえず、一律に半年分の返還を求める趣旨についても前記のとおり合理的であるから、原告の業種、経営方針等に照らして、合理的な内容というべきである。

「これに対し、被告は、本件規定は、実質的には、従業員に転勤できない事情があった場合には、その事情の如何を問わず一律に労働者に対して金銭賠償をさせるという処分を課すものであって、就業規則として内容の合理性を欠く旨主張する。しかし、本件規定に基づく返還請求は、あくまで就業規則に基づき本来支払われるべきでなかった賃金差額の返還を請求するものであって、労働者に対して金銭賠償をさせるという処分を課すものとはいえない。また、原則として一律に半年分の返還を求める点についても、前記のとおり、原告の側で当該従業員の転勤に支障が生じた時期や事情を客観的に確定するのが通常困難であることを理由とする合理的な措置といえるし、転勤に支障が生じた時期が半年以上前であっても半年分を超える返還は求めておらず、必ずしも従業員に不利な内容とはいえないから、上記の点を不合理ということはできない。よって、被告の前記主張は採用することができない。」

3.賠償予定の禁止をより明確に主張しても良かったのではないか?

 以上のとおり、裁判所は、原告会社の仕組みを違法ではないと判示しました。

 しかし、労働基準法16条は、

「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」

と規定しています(賠償予定の禁止)。

 本件ではこの規定の解釈をめぐって正面から論陣が張られているわけではなさそうです。しかし、原告会社の上記仕組みは、賠償予約でなければ何なのだという気がします。転勤命令の不履行(労働契約の不履行)について、違約金を定めていることそのものにしか見えないからです。

 この判決も賠償予定の禁止との関係を若干気にしていた節はあるものの、労働基準法16条との関係は明確に判示していません。

 今回、原告会社の採用している仕組みは一応適法有効とはされましたが、それは、あくまでも賃金全額払いの原則と、就業規則の合理性の問題であって、賠償予定の禁止との関係を判示したものではありません。賠償予約の禁止に触れると明確に主張していれば結論が変わっていた可能性も否定できず、本裁判例の射程を評価するうえでは、このことに留意しておく必要があるように思われます。