弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

基本給は減るものの賃金総額を増やす形での固定残業代の導入は労働条件の「不利益」変更か?

1.就業規則による労働条件の不利益変更

 就業規則の変更による労働条件の不利益変更は、原則的には認められません(労働契約法9条)。

 しかし、これには例外があり、

「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。」

とされています(労働契約法10条)。

 つまり、労働条件の不利益変更に該当する場合であっても、①周知、②合理性の二つの要件が充足される場合、就業規則の変更により労働条件を不利益に変更することが認められています。

 このように就業規則の変更による労働条件の不利益変更には、一定の箍が嵌められています。

 しかし、労働条件の不利益変更といえるのかどうかは、それほど単純な問題ではありません。単純に労働条件を切り下げるだけだと適法性を問題視される可能性が高まるため、労働条件の変更の多くは利益変更とセットで行われるからです。ある部分は不利益に変更されるものの、別の部分では利益に変更するといったようにです。

 このような場合、労働条件の「不利益」変更に該当するのかどうかは、どのように判断されるのでしょうか?

 裁判例の傾向としては、

「実質的な不利益の存在を厳密に問うことなく、外形的な不利益の存在や不利益が生じる可能性があれば、就業規則の合理的変更ルール(10条)の適用を肯定し、実質的な不利益の有無や程度は変更の『合理性』の判断のなかで具体的に考慮する必要がある」

と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕208頁参照)。

 簡単に言えば、「不利益」変更該当性は広くとって、利益変更部分によって不利益変更の程度が緩和されていることは「合理性」審査の枠内で考えていく、といった姿勢がとられています。

 ただ、幾ら間口が広くとられているとはいっても、近時は使用者側の対応も洗練化されており、不利益変更なのかの判断が微妙なケースは増えつつあります。

 このような状況の中、基本給を減らす一方で、賃金総額を増やす形での固定残業代の導入の適否が問題になった裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.3.2労働判例ジャーナル127-44 インターメディア事件です。固定残業代の導入に際して良くある問題を判示した裁判例として参考になるため、ご紹介させて頂きます。

2.インターメディア事件

 本件で被告になったのは、照明、音響、映像、制御システムの企画、設計、施工、管理等の業務を営む株式会社です。

 原告になったのは、被告の元従業員の方です。被告を退職した後、未払割増賃金(残業代)等の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では割増賃金の金額との関係で、原告在職中に導入された固定残業代の効力が問題になりました。

 元々、原告の賃金は、

基本給 18万5000円、

住宅手当 2万0000円

営業手当   5000円

技術手当   5000円、

特別勤務 1万0000円

の合計24万円でしたが、固定残業代(業務手当:時間外勤務手当56時間相当)を導入する就業規則の変更により、

基本給 14万8800円

業務手当 8万3000円

職務手当 3万3200円

の合計26万5000円になりました。

 これが従業員にとって不利益になるものであるのかで、原告・被告双方の見解が対立しました。

 裁判所は、次のとおり述べて、就業規則変更の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告の給与は、平成23年2月の入社当初は、基本給18万5000円、住宅手当2万円、営業手当5000円、技術手当5000円、特別勤務1万円の合計22万5000円、同年5月分以降は、基本給20万円、住宅手当2万円、営業手当5000円、技術手当1万円、特別勤務1万円の合計24万5000円であったところ、本件規定の導入により、平成23年10月分以降は、基本給14万8800円、業務手当8万3000円、職務手当3万3200円の合計26万5000円となったことが認められ、その変更内容は、月額2万円程度の手取り給与の増額と引き換えに、56時間ないし42時間分の割増賃金を別途請求することができなくなり、割増賃金の算定基礎賃金も業務手当分が含まれないことにより減少するという内容であるから、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度は重大であるというべきである。

(中略)

「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによる(労契法10条本文)。」

「そして、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであることを要するものと解すべきである(最高裁判所昭和60年(オ)第104号同63年2月16日第三小法廷判決参照)。」

「これを本件についてみると、前判示のとおり、本件変更は、労働者にとって重要な労働条件である賃金に関する変更であるところ、これにより労働者の受ける不利益の程度は、前記のとおり重大であり、他方で、変更の必要性については、被告において、以前から被告社内においてみなし残業代という考え方があったなどと主張するのみであって・・・、上記のような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性があるものとは認められない。また、変更の内容についても、前判示のとおり、56時間ないし42時間もの長時間の時間外労働につき法の定める割増賃金を請求することができなくなるという、必ずしも合理的とはいい難いものであり、上記不利益に対する代償措置も、月額2万円程度の手取り給与の増額のみであって、十分とはいい難い。さらに、前記のとおり、本件変更は、被告において一方的に決定したものを従業員らにメールで周知したのみであって、本件全証拠を精査しても、本件変更について労働者との間で十分な交渉がされた形跡は認められない。

以上によれば、本件変更は、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的であるとは認められず、原被告間の労働契約の内容を変更する効力は認められない。

3.基本給を固定残業代に振り替えるような労働条件変更は不利益変更であろう

 固定残業代の導入にあたり、基本給を減額して固定残業代に振り替えてトラブルになる例は少なくありません。本件は単純な振替ではなく、手取り給与の増額を伴ったものでしたが、それでも裁判所は労働条件の不利益変更であることを前提に、労働契約不10条を適用し、厳格な合理性審査のもと、就業規則の変更に労働契約の内容を変更する効力は認められないと判示しました。

 固定残業代は随所で紛争を引き起こしている問題の多い仕組みです。多少手取りが増えたとしても、導入を労働条件の不利益変更であるとして争う余地は十分にあります。

 一方的に固定残業代を導入され、釈然としない思いをお抱えの方は、一度、弁護士に相談してみると良いと思います。もちろん、当事務所でも相談をお受けすることは可能です。