弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

他に無期限の自宅待機命令を受けた者がいないことなどから、自宅待機命令中の賃金を支払う義務があるとされた例

1.顧客からの苦情を理由とする自宅待機命令(労務提供の受領拒絶)

 接客業や営業職の方に対し、顧客から苦情が出ていることを理由に会社から自宅待機が命じられることがあります。

 自宅待機が命じられても、賃金が支払われる場合には、直ちに生活が脅かされることはありません。しかし、賃金が支払われない場合、労働者は在職しているにもかかわらず、解雇されたのと同じような不利益を受けることになります。自宅待機の期限が明確にされていない場合、解雇との境目は一層曖昧になります。

 自宅待機命令は、自宅待機を業務として命令しているものとして理解した場合、賃金の支払を免れる余地はありません。指示通りに自宅の待機という労務を提供していることになるからです。

 しかし、正当な理由に基づいて労務提供の受領を拒絶しているという考え方をとると、受領拒絶が使用者の責めに帰すべき事由に起因するといえるのかが問題になります。

 近時公刊された判例集にも、自宅待機命令期間中の賃金の支払義務の存否が争われた裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令7.4.30労働経済判例速報2596-32 Y社事件です。

2.Y社事件

 本件で被告になったのは、理容室を設置している株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期間定めのない労働契約を締結し、理容師として働いていた方です。

 雇用契約時に労働条件通知書(労働条件明示書面)も雇用契約書も作成されていなかったため、原告と被告との間には賃金額に認識の相違がありました(原告は月額35万円と主張、被告は月額33万円と主張)。

 このような背景のもと、被告は客とのトラブルを生じさせたとして、原告に無期限の自宅待機命令を下しました。その後、店舗への出勤命令を発令しましたが、原告は書面による労働条件の明確化を求め出勤には応じませんでした。原告は出勤せず、被告は労働条件明示書面を交付しないというい状態のまま事態が膠着した後、被告は、出勤命令拒否、理容師免許不提示、氏名の漢字表記の教示拒否、勤務態度不良を理由に原告を解雇しました。これに対し、自宅待機期間中の賃金や、地位確認等を請求して原告の方が出訴したのが本件です。

 本日、注目したいのは、自宅待機期間中の賃金支払義務の存否に係る判断です。

 裁判所は、次のとおり述べて、自宅待機期間中の賃金を支払うよう被告に命じました。

(裁判所の判断)

「原告は、本件自宅待機命令によって労務を提供できなかったのであり、民法536条2項により、この間に対応する賃金請求権を有する旨主張する。」

「そこで検討するに、本件自宅待機命令は、令和3年12月23日に原告の施術内容について客が苦情を述べたことを契機として発せられたものであるが・・・、同日以前に原告が客から苦情を受けたとはうかがわれない・・・。そして、原告に限らず、被告の従業員において客から施術内容について苦情を受けることはあり・・・、これまで原告以外に無期限の自宅待機を命ぜられた者はいないこと・・・を踏まえれば、単発の上記出来事を契機に、本件自宅待機命令を発し、期限を定めずに原告を就労させないこととする合理的な理由及び必要性があったと認めることはできない。

そうであるとすれば、本件自宅待機命令は被告の業務上の都合により発せられたものというべきであり、原告は、これによって労務を提供することができなかったのであるから、民法536条2項により、これに対応する期間である令和3年12月23日から令和4年2月6日までの期間につき賃金請求権を有することとなる。

「そして、その金額は、既に令和3年12月分の給与として支払われた分を控除すれば、合計29万4736円(=1万0526.31円/日×28日)となるところ(乙5)、被告は、令和4年3月23日、原告に対し、その6割に相当する17万6842円の支払をしている・・・。したがって、上記賃金請求権につき、合計11万7894円(=29万4736円-17万6842円)が未払となる。」

「本件自宅待機命令に対応する期間の賃金請求権の有無につき、被告は、原告が客とトラブルを発生させ、罵声を浴びせたことから、本件自宅待機命令を発したものであり、その後も、原告が理容師免許を提示せず、氏名の漢字も明らかにしなかったことからすれば、原告が労務を提供することができなかったことについて、債権者である被告の責めに帰すべき事由はない旨主張する。」

「まず、客とのトラブル、すなわち、令和3年12月23日に客が原告の施術内容に苦情を述べたことに関し、原告が当該客に罵声を浴びせたという事実については、原告がこれを否定する供述をしており・・・、他にこれを認めるに足りる的確な証拠もないことから認定することができない。そして、同日の出来事である客とのトラブルが原告を就労させないこととする合理的な理由及び必要性を基礎づけるといえないことは上記・・・のとおりである。」

「また、原告が被告から理容師免許の提示や氏名の漢字を明らかにするよう求められたのは、被告が原告に対し本件出勤命令を発した際であって本件自宅待機命令の解除後であるから・・・、原告がこれらに応じないことが、本件自宅待機命令により原告を就労させないこととする合理的な理由及び必要性を基礎づけるということはできない。」

「したがって、被告の上記主張を採用することはできない。」

3.接客業、営業職は顧客からのクレームからは逃れられない

 本件の裁判所はトラブルの事実自体を否定しつつ、他に無期限の自宅待機命令を受けた者がいないことなどを指摘し、就労をさせないこと(労務提供の受領拒絶)に合理性や必要性を認めることはできないと判示しました。

 接客や営業を担当したことのある方であれば分かるのではないかと思いますが、接客や営業を行う限り顧客からのクレームは不可避的に発生します。確かに、頻度や回数が多ければ問題ですが、一定比率で言いがかりをつけて来るクレーマーが存在することからすると、どれだけ気を付けていたとしても、クレームを一切受けないというのは非現実的です。

 このことは会社も理解しており、通常、多少のクレームがあったところで、接客や営業を担当する労働者に対して無期限の自宅待機命令を下すことはありません。そのようなことをしていては、事業運営に支障が生じるからです。

 その意味で「他に無期限の自宅待機命令を受けた者はいない」という論理は汎用性が高く、クレームを理由とする自宅待機中の賃金を請求して行く場面で、参考になるように思われます。