弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

それでいいのか、配転命令無効仮処分

1.配転命令無効仮処分

 労働者の権利を侵害している可能性のある行為がなされても、訴訟でその当否の判断が示されるまでには、かなり長い時間がかかるのが通例です。その間、権利の実現を保全しておくための手続として「民事保全」という仕組みがあります。

 民事保全によって裁判所に仮の措置を命じてもらうためには、

被保全権利の存在、

保全の必要性、

を疎明しなければなりません。

 この「保全の必要性」は、難解な概念で、裁判所が命令を出したとしても、会社側がそれに従う見込みが乏しい場合、否定されてしまうことがあります。近時公刊された判例集に掲載されていた、大阪地決令3.9.30労働判例ジャーナル119-60 大阪市食肉市場事件も、そうした事案の一つです。

2.大阪市食肉市場事件

 本件は配転先における就労義務がないことの確認を求める仮処分事件です。

 本件で債務者とされたのは、家畜全般の食肉及び輸入肉の荷受、売買、あっせん等を業とする株式会社です。

 債権者となったのは、債務者の正社員として、小動物営業部で競り業務全般に従事していた方ほか3名です。令和3年4月1日付けで行われた荷受業務課への配転命令が無効であるとして、荷受業務課における就労義務がないことを仮に定めるよう求め、本申立を行いました。

 手続において、裁判所は、次のとおり述べて保全の必要性を否定し、債権者の申立てを不適法却下しました。

(裁判所の判断)

「本件申立ては、債権者らが、債務者との間で、荷受業務課における就労義務を負わないとの法律関係を本案判決確定まで暫定的に定めることを求めるものであり、仮の地位を定める仮処分命令の申立てに当たる。」

「仮の地位を定める仮処分命令は、『争いがあ』権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするとき」に発することができる(民事保全法23条2項)。本件申立てのように、労働者が使用者から、一定の事業所内における複数の部署のうち、ある部署から別の部署に配置転換を命じられ、これによって人格権及び団結権が侵害された旨が主張されている場合において、労働者が、使用者に対し、配置転換先の部署における就労義務の不存在という法律関係を仮に定めることを求める仮処分については、使用者が労働者を当該部署において就労させないという事実状態を実現する保全執行を行うことは不可能であるから、仮処分命令について債務者による任意の履行を期待することができないときは、これを発令しても、本案判決を待つ状態に変わりがないこととなり、『債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避ける』という目的を達することができない。したがって、このような場合には、保全の必要性を認めることができないというべきである。」

(中略)

「前記疎明事実によれば、本件配転命令は、債権者ら4名についてのみ行われたものではなく、債務者の組織体制の変更と合わせて、経営全般に関わる措置の一つとして行われたものであること・・・及び債権者らの属する本件組合と債務者は、令和2年12月以降、大阪府労働委員会の救済命令手続において係争中であり、令和3年4月に行われた本件配転命令に関しても、その発効前から救済命令等の申立てが行われたが、債務者はこれを見直す動きを見せていないこと・・・が一応認められる。」

このように本件配転命令が債務者の組織及び経営全般に関わる事項であることに加え、これまでの本件組合と債務者との間の係争の経緯を踏まえれば、本件申立てに係る仮処分命令を発令しても、債務者が、確定判決を経ない段階で、本件配転命令を暫定的に撤回し、任意の履行を行うことを期待することはできないというほかない。

すると、本件申立てについては、たとえ仮処分命令を発したとしても、本案訴訟の確定までの間、債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるとの目的を達し得ないから、保全の必要性を認めることができない。

(中略)

「以上によれば、債権者らの本件申立てには理由がないから、これらを却下することとし、主文のとおり決定する。」

3.その判断でいいのか?

 裁判所の命令に従わないことを表明すれば保全の必要性がなくなるとの立論は、裁判所自身がゴネ得を許容することにほかなりません。裁判所の命令に従う遵法意識の高い会社には仮処分命令が出るのに対し、遵法意識の低い会社には仮処分命令が出されないという帰結には、背理としか言いようがありません。

 本裁判例の意義を評価するにあたっては、被保全権利の疎明が不十分な事案であったことも考慮する必要があります。とはいえ、裁判所を舐め切った当事者が得をする仕組みの妥当性に関しては、議論があっても良いのではないかと思われます。