弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

謝罪・反省が欠けている労働者への懲戒解雇が否定された例

1.改善可能性

 解雇の可否を論じる場面で、しばしば改善可能性という概念が問題になります。この概念は、

改善可能性があるのに解雇することは不当だ/改善可能性がない以上解雇もやむを得ない

といった使われ方をします。

 改善可能性は、規律違反行為を理由とする普通解雇の可否を判断する場面において、かなり重要な要素を構成します。そのことは、佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕396頁に、

「規律違反行為の類型に当たる場合としては、広義では懲戒解雇の事由・・・と同様の行為であり、そのうち典型的な規律違反行為としては、暴行・誹謗、業務妨害行為、業務命令違反、窃盗・横領・収賄等の不正行為等が考えられる。その態様、程度や回数、改善の余地の有無等から、労働契約の継続が困難な状態になっているかにより、解雇の有効性を判断することになる。

と記述されていることからも窺うことができます。

 この改善可能性との関係で、謝罪・反省をするかという問題があります。この問題は、非違行為が成立するのかどうかが微妙な事案において顕在化します。

 非違行為の成立を争う場合、謝罪・反省をすることは筋道が通りません。謝罪・反省をしながら、非違行為が成立しないと主張しても、説得力に欠けることになります。

 他方、謝罪・反省を拒否すると、非違行為が成立すると認められた場合、改善可能性がないと判断され、労働契約の継続が困難であると認定される危険が増すことになります。

 しかし、謝罪・反省が欠如しているからといって、懲戒解雇のような重大な処分が直ちに正当化されるわけではありません。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている東京地判令3.3.18労働判例ジャーナル113-52 神社本庁事件は、そのことを実証する裁判例でもあります。

2.神社本庁事件

 本件で被告になったのは、全国の神社を包括する宗教法人です。

 原告になったのは、P1とP2の2名です。

 このうち原告P1は被告に雇用され、本宗奉賛部長、教化広報部長を経て、参事・総合研究部長の地位にあった方です。

作成した内部告発を内容とする文書(本件文書)が出版社やマスコミに郵送されたほか、インターネットサイトにも掲載されたこと(解雇理由1に係る行為)や、

P13秘書部長が全部長を招集し、本件文書の作成に関与した者がいないかを質した菜や、P14渉外部長が原告P1に動揺の質問をした際に、本件文書への関与を否定し、平成29年4月に本件文書の作成を認めるまで、4箇月間にわたり関与を否定し続けたこと(解雇理由2に係る行為)

などを理由に、懲戒解雇されてしまいました。これに対し、懲戒解雇の無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の被告は、全部で4つの解雇理由を主張しました。これに対し、原告は、いずれも懲戒事由には該当しないという争い方をしました。懲戒事由に該当しないと主張する以上、当然のことながら、謝罪や反省はしないことになります。

 結局、裁判所は、原告が主張した解雇理由1~4のうち、上記解雇理由1の一部と解雇理由2のみは非違行為に該当すると認定しました。ここに謝罪・反省をしなかったことの危険が顕在化しましたが、裁判所は、次のとおり述べて、懲戒解雇の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「解雇理由1に係る行為の一部並びに解雇理由3及び4に係る各行為が、懲戒すべき行為に当たらないことは前記したとおりである。そして、解雇理由1に係る行為のうち懲戒すべき行為と認められる部分(原告P1が、多数人に交付されることを期待して理事2名に本件文書を交付し、もって、多数人に対し、被告のP11部長及びP12課長が原告P2に対しP5職舎売却の責任を負わせようとしていた事実及びP11部長が背任行為に加担した事実を摘示し、P11部長及びP12課長の社会的評価を低下させ、被告の信用を毀損し、被告の組織を乱した行為)及び解雇理由2に係る行為が、解雇に相当するとはいえないことは、前記したとおりである。したがって、本件解雇は、懲戒権の行使が、客観的合理的な理由がなく、社会通念上相当性を欠くものであり無効である(労働契約法15条)。」

被告は、解雇理由1~4について何ら反省や謝罪の態度を示さず、自説に賛同しない者を排除すべきであるとの独善的態度を取っている原告P1を、職員60名の小規模な信仰共同体である被告の組織に留めることは被告の宗教活動を阻害し、被告の信教の自由や宗教的結社の自由が侵害されることとなる旨主張する。確かに、被告の組織は、職員数60名と小規模であるし、原告P1は、解雇理由1~4に係る行為のうち、懲戒すべき行為に当たる部分も含めて、何ら反省する態度を示していないと認められる・・・。

しかし、被告は、全国8万の神社を包括する宗教法人として、これまで庁規を始めとする諸規程により職員を規律してきたものであり、原告P1を被告の職員組織に留めたからといって、被告における信教の自由や宗教的結社の自由を侵害する事態となるとは認め難く、被告が職員60名の小規模な組織であることを考慮しても、原告P1が行った懲戒すべき行為の内容に照らし、原告P1を組織内から排除することが相当であるとは評価できない。

以上から、本件解雇は無効である。

3.過小評価は禁物だが、過大評価もするべきではない

 反省が欠けていても諭旨解雇が認められないとされた事例に、東京地立川支判令2.7.16労働判例ジャーナル106-48PwCあらた有限責任監査法人事件があります。この事件で、裁判所は、

原告が本件ストーカー行為を行ったことについて真に反省していたかが疑わしい点を勘案したとしても、労働者たる地位の喪失につながる本件諭旨免職処分は、重きに失するものであったといわざるを得ない。そうすると、本件諭旨免職処分は、社会通念上相当であるとは認められない場合に当たる。」

と判示し、諭旨免職処分の効力を否定しました。

 確かに、謝罪・反省をしないことにより、改善可能性の欠如を主張される危険を軽視するのは危険なことです。

 しかし、普通解雇であればともかく、制裁としての性質を有する懲戒解雇の場合、基本的には非違行為の性質・内容との均衡が問題になるのであって、謝罪・反省の欠如が処分量定を押し上げるにも限界があります。

 そう考えると、謝罪・反省をしないで改善可能性がないと判断されるリスクを過度に評価して、非違行為の不存在を主張することに抑制的になりすぎるのも、考え物なのだろうと思われます。