弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

医師の配転-内科間の配転(循環器内科部長→健診部長)は許されるのか?

1.職種限定合意

 職種限定合意とは「労働契約において、労働者を一定の職種に限定して配置する(したがって、当該職種以外の職種には一切就かせない)旨の使用者と労働者との合意」をいいます(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、改訂版、令3〕290頁参照)。

 一般論として、配転命令には、使用者の側に広範な裁量が認められます。最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件によると、配転命令が権利濫用として無効になるのは、

① 業務上の必要性がない場合、

② 業務上の必要性があっても、他の不当な動機・目的のもとでなされたとき、

③ 業務上の必要性があっても、著しい不利益を受ける場合

の三類型に限られています。業務上の必要性が広く認められていることもあり、いずれの類型を立証することも容易ではありません。

 しかし、職種限定合意の存在を立証することができれば、権利濫用を立証できなかったとしても、配転命令の効力を否定することができます。

 職種限定合意で重要なのは、黙示的に合意が成立していると解される場合があることです。例えば、「医師、看護師、自動車運転手など特殊の技術、技能、資格が必要な職種の場合、使用者と労働者との間に明示又は黙示の職種限定の合意が成立し得る」とされています(前掲文献291頁参照)。

 東亜ペイント事件の枠組みでは配転の効力を争うこと難しいため、どのような場合に黙示の職種限定合意が認められるのかは、労働事件を取り扱う弁護士にとって、重要な関心事となっています。

 こうした状況のもと、近時公刊された判例集に、黙示の職種限定合意が認められる典型とされる医師に対する配転命令の可否が問題となった裁判例が掲載されていました。東京地判令3.5.27労働判例ジャーナル114-1 日本赤十字社(成田赤十字病院)事件です。

 この事件の特徴は、循環器内科部長から健診部長にといったように、医師という職種の中での異動が問題になったことにあります。

2.日本赤十字病院(成田赤十字病院)事件

 本件で被告になったのは、成田赤十字病院(本件病院)を設置する日本赤十字社法に基づいて設立された法人です。

 原告になったのは、大学医学部の循環器内科の医局に所属していた医師の方です。複数の病院で勤務した後、平成12年4月1日、被告との間で労働契約を締結し、循環器内科の医師としての勤務を開始しました。その後、平成19年4月には、本件病院の循環器内科部長に昇任しました。このように循環器内科医としてのキャリアを積んでいたところ、令和元年5月9日、本件病院院長から、同年10月1日付けで人間ドック及び生活習慣病予防健診等を所管する健診部長(健康管理センター長)への異動を内示されました。本件は、この内示通りに行われた同日付けの異動命令(本件命令)の効力が問題になった事件です。

 原告は本件命令の効力を否定するにあたり、職種を循環器内科医の業務に限定する旨の合意があったと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件労働契約において、契約書は作成されず、採用時に作成された書面は本件病院の院長作成名義に係る人事異動通知書のみであるところ、これには、給与の号俸以外に、『日本赤十字社職員に採用する。成田赤十字病院内科医師に任命する。』との記載があるにとどまる・・・。この記載は、被告が原告を被告の職員として採用し、被告が運営する本件病院における内科医として勤務することを命じる趣旨と解されるから、原告の職種を内科医の業務と限定するものと理解できるが、これをさらに循環器内科医の業務に限定するものとはいえない。

「そして、本件病院の常勤の医師は、本件病院から千葉大学の各診療科の医局に対し、当該診療科を専門分野とする医師の紹介を依頼し、当該医局の紹介を受けて、被告が採用した医師がほとんどであり・・・、第三次救急医療機関として高度な医療を提供する本件病院では、いずれも、基本的には当該医師の専門分野の診療科部に配置し、その診療に従事させていたという事実があるものの・・・、本件病院は、700床以上の病床数を保有し、54の診療科部を擁する診療部門のほか、医療技術部門及び医療社会事業部門などの診療科部門以外の部門もあり、かつ、約160名の常勤の医師が勤務していたのであるから・・・、本件病院の事業遂行のためには、約160名の常勤医を適正に配置することにより、診療科部門以外の部門も含めて適切に運営することが要請されており、医師に対し、専門分野の診療科部以外の部署に異動を命じる一定の必要性があったといえる。そして、これまで実際に、複数の医師に対し、それぞれの専門分野である診療科部から、リハビリテーション科部、緩和診療科部、検査部、健診部及び医療社会事業部の各部長職などに専門分野を超えた異動を命じて異動させた実例もあった・・・。」

「そうすると、本件病院においては、本件病院の診療科部以外の部門を含めてその事業を適切に運営するため、医師に対し、時として、専門分野の診療科部以外の部署へ異動を命じる必要があり、かつ、現に専門分野の診療科部以外の部署へ異動を命じている現状において、医師から異動についての同意が得られないおそれがあり、その場合には本件病院の事業遂行に支障を来す可能性があることに鑑みれば、被告において、本件病院の医師と労働契約を締結する際、人事異動通知書に記載された以外の職種限定を行う意図があるとは認め難いといえるし、また、その意図を示す行為も見当たらない。したがって、被告が、本件病院の医師との労働契約締結に際し、人事異動通知書に記載した以外の職種限定を行う旨を明示又は黙示に表示していたと解することはできない。原告の人事異動通知書に、内科医以外の職種が一切記載されていないこと・・・、及び、本件就業規則において、医師の異動につき特別な制約が設けられていないこと・・・も、これに沿うものといえる。」

以上から、本件労働契約において、原告の職種を循環器内科医の業務に限定する合意があったとは認められない。

原告は、医師の業務は分野ごとの専門性が高く、基本的に、本件病院で医師を専門分野以外の診療科部へ異動させることはない旨のC院長の証言・・・、本件病院のほとんどの医師は、千葉大学の各診療科の医局に対し、当該診療科を専門分野とする医師の紹介を依頼して、紹介を受けた医師を採用し、専門分野の診療科部での診療を担当していた事実・・・、本件医院の医師を募集する際にも、具体的な診療科を挙げた上、専門的な研修である後期研修の修了又は学会認定医の資格取得など、一定の専門分野を有することを応募資格としていた事実・・・、本件病院が千葉大学の循環器内科の医局に医師の紹介を依頼し、前記医局が、既に循環器内科医として10年程度のキャリアを有していた原告を紹介し、採用に至ったという原告の採用の経緯・・・、原告は、本件病院では本件命令まで一貫して循環器内科分野の業務を担当していた事実・・・といった各事実から、原告と被告との間で職種を循環器内科医の業務に限定する合意が存在していたことが推認されると主張する。

しかし、前記各事実は、高度な医療を提供する第三次医療機関である本件病院において、各診療科部で一定の水準以上の医療を提供するため、原告も含めて、当該診療科部に適合する専門分野を有する医師を採用し、当該医師を当該診療科部に配置しその専門分野の診療を行わせていたということを意味するにとどまる。本件病院において医師の専門性を発揮させる必要性がある場合がほとんどであるということと、専門性のある医師に対しても、時として、本件病院の事業遂行のため、専門分野以外の部署への異動を命じる必要性があり、被告において、その人事権を保持、留保していたということとは、何ら矛盾するものではない。

したがって、前記の各事情は、上記・・・の結論を左右するものではない。

3.原告の主張はもっともではないかと思われるが・・・

 医師の専門が細分化していることを考えると、内科医という雑駁な括りのもとで、循環器内科医として長年に渡ってキャリアを積み重ねてきた方に対し、健診部長への異動を命じることは、あまりにも酷であり、個人的には黙示的な職種限定合意の成立が認められて然るべき事案であったように思われます。

 しかし、裁判所は、職種限定合意の効力を否定しました。判断の妥当性に疑問符はつくものの、こうした裁判例が存在することには、留意しておく必要があります。