弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

医師の配転-内分泌科医が内分泌疾患固有の領域を担当することができなくなるキャリア上の不利益は通常甘受すべき程度なのか?

1.配転命令権の濫用

 昨日、医師のような特殊な技能が必要となる専門職は、黙示的な職種限定契約が成立し得るという話をしました。

 ただ、黙示的な職種限定契約は、「黙示的」であるがゆえに、その内容が必ずしも一義的ではありません。そのため、昨日お話したとおり、

「従前の職務と全く関連しない職務へと一方的に変更されないことは格別、従前の職務と密接に関連し、あるいはその一部となる職務についても、一切の変更や限定を許さない旨の職種限定合意があったなどとは認められない」(東京地判令5.2.16労働経済判例速報2529-21 東京女子医科大学事件)

などという理屈のもと、医師であったとしても、黙示的職種限定契約で不本意な配転に対抗することができないことがあります。

 しかし、職種限定合意の抗弁が認められなかったとしても、配転命令権の行使に対しては、権利濫用を主張できる可能性があります。

 最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件は、配転命令が権利濫用として無効になる場合として、

① 業務上の必要性がない場合、

② 業務上の必要性があっても、他の不当な動機・目的のもとでなされたとき、

③ 業務上の必要性があっても、著しい不利益を受ける場合

の三類型を掲げています。

 このうち、近時の裁判例の中には、三番目の類型との関係で、キャリア形成上の不利益を配転命令権の効力を否定する理由として指摘するものが現れています)名古屋高判令3.1.20労働判例1240-5 安藤運輸事件等参照)。

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 それでは、昨日ご紹介した事案のように、内分泌科医が高血圧分野・高血圧内科への配転を命じられた場合、キャリア形成上の不利益を主張して、権利濫用の抗弁を主張することはできないのでしょうか?

 東京地判令5.2.16労働経済判例速報2529-21 東京女子医科大学事件は、この不利益性との関係でも、興味深い判断をしています。

2.東京女子医科大学事件

 本件で被告になったのは、東京女子医科大学や同大学病院を設置する学校法人(被告法人)と、その理事長(被告乙山)、常務理事(被告丙川)の三名です。

 原告になったのは、被告と労働契約を締結した医師の方です。

 原告は、

内分泌内科学講座の教授・講座主任から内科学口座高血圧学分野の教授・基幹分野長とする旨の配点命令(本件配転1)

高血圧・内分泌内科の診療部長から高血圧内科への診療部長とする旨の配転命令(本件配転2)

を受けました(本件各配点命令)。

 これに対し、原告の方は、黙示の職種限定合意のほか、配転命令権の濫用を主張し、各配点先で勤務する労働契約上の義務がないことの確認等を求めて被告らを提訴しました。

 裁判所は、黙示の職種限定合意の成立を否定したほか、権利濫用の抗弁も排斥し、原告の請求を棄却しました。配転命令権の権利濫用性の不利益性についての判示部分は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

「原告は、本件各配転命令により、原告の主たる研究、診療等の対象である内分泌から排除され、キャリアの維持形成上、著しい不利益を受ける旨を主張し、これに添う供述等をするところ、確かに、原告が作成した集計表によれば、原告の従前の著書、論文等のうち、高血圧でなく内分泌と分類されたものが7~9割程度を占め、高血圧・内分泌内科の入院患者、外来症例数のうち、内分泌疾患の占める割合が9割程度を占めている。」

「しかしながら、内分泌疾患の一つに高血圧があり(原発性アルドスチロン症等の内分泌性高血圧である。)、レニンなど内分泌に関わるホルモンが高血圧の原因となること・・・などからすれば、内分泌と高血圧の双方に関わる領域も当然に存するというべきである。そして、被告らは、本訴訟の当初から、各配転後も、原告が高血圧を引き起こす内分泌疾患を担当することに変更はない旨説明しており、本件各配転後の実際の経過をみても、本件大学が令和3年7月7日に原告に送信した講義変更案には、原告の担当する新規設置講義枠として内分泌性高血圧を含む『二次性高血圧の鑑別』『高血圧症の診断、鑑別、検査、治療』等が設けられ、同年度後期にこれらの講義が一部実施されている・・・。そして、令和4年度には、上記新規設置講義枠記載の講義に加え、原告によれば全て内分泌に関する内容であるとされる従前の内分泌内科学講座の講義とほぼ同じ『高血圧と液性調節 レニンーアンジオテンシン系(原発性アルドステロン症を含む)』等の講義が高血圧学分野教員により実施され・・・、さらに、診療面でも、本件配転2後の高血圧内科において、原発性アルドステロン症等の内分泌性高血圧の疾患が相当数取り扱われている・・・。これらに照らすと、本件各配転命令によって、原告の担当職務から内分泌と高血圧の双方に関わる上記領域が当然に除かれるものとはいえない。」

「それにもかかわらず、原告作成の上記集計表ではレニンや原発性アルドステロン症などの上記双方に関わる領域について、内分泌のみに分類して高血圧にかうんとしていないのである・・・から、これらの多寡を比較しても、本件各配転命令による原告の担当職務の変化やその不利益の程度が明らかとなるものではない。原告は、客観的な指標である厚生労働省のDPC・・・上、原発性アルドステロン症等も内分泌疾患として分類されているなどと主張するが、本件各配転後の原告の担当職務が上記の分類に依拠したものでない以上、失当というほかない。」

「そして、被告らによると、原告の研究のうち、高血圧に関係しない内分泌関連は、著書15編のうち5編(33.3%)、原著論文69編のうち12編(17.4%)にすぎないなどとされている・・・上、原告作成の著書等の集計表・・・上も、高血圧及びその原因となるレニン等金いを合計するだけで、全体の4~6割程度に及ぶ。また、診療面でも、証拠・・・によると、本件病院が公表した令和元年度病院指標(同年度において本件病院を退院した患者について集計したもの)において、『内分泌内科』で1、2番を占める省令は、二次性高血圧のうち副腎から過剰に分泌されるホルモンにより血圧が上昇する病気(原発性アルドステロン症、褐色細胞腫、副腎性クッシング症候群等)であるなどと指摘されており、この指摘は、原告作成の集計表・・・や被告ホームページ上に掲載された診療実績・・・とも整合する。さらに、外来患者に関しても、上記診療実績や被告法人作成の集計表・・・上、その多くを高血圧症(本態性高血圧症を含む。)が占めている。原告は、被告法人作成の上記集計表について、主病名登録数のみを対象とすることを論難するが、少なくとも外来患者の相当数が高血圧症を有することは左右されない。」

「以上によれば、原告の従前の研究、診療等の大部分が、高血圧に関連しない内分泌又は内分泌疾患の領域であったとはいえず、むしろ、高血圧に関連する領域にも原告は相応に従事していたことが推認される。このことは、原告が、被告法人勤務中に日本高血圧学会指導医の資格を取得したのみならず、本件各配転当時、同学会の理事を務めており、令和7年には同学会総会の会長を務める予定であることなど・・・からも裏付けられる。」

「これらに加え、そもそも、原告は、上記・・・のとおり、高血圧と内分泌疾患の双方に専門的知見を有する医師として採用されており、本件契約上も、元々、高血圧について相応に研究、診療等に従事することが求められていたことにも照らすと、本件各配転命令によって、内分泌又は内分泌疾患固有の領域を担当できなくなる原告のキャリア上の不利益が通常甘受すべき程度を著しく超えるとまでいうことはできない。

3.結論として否定されてはいるが、かなり丁寧な認定がされている

 本件では結論として「通常甘受すべき程度を著しく超えるとまでいうことはできない」と判断されています。

 ただ、その理由は比較的詳細に説示されており、キャリア形成上の不利益の有無、程度に関して、かなり意を払っていることが窺われます。

 キャリア形成上の不利益と配転の可否の問題は、個人的に関心を持っている領域の一つであり、今後とも、裁判例の動向を注視して行きたいと思います。