1.生命、身体への危険を伴う出勤命令
使用者から生命や身体への危険を伴う業務を命じられた時に、これを断ることができるのかという論点があります。
最三小判昭43.12.24労働判例74-48電電公社千代田丸上告事件は、日韓関係の緊張により出航すると撃沈される可能性があったという事実関係のもと、出航命令に従わなかった乗組員への解雇を無効と判示しました。
しかし、こうした極限的な事案を除き、就労を拒否したり、在宅勤務やテレワークを権利として要求することに対しては、消極的な理解が有力です。
例えば、日本労働研究雑誌2021年4月号(No.729)に掲載されている、
「感染症対策をめぐる労働者の権利と義務(佐賀大学教授 早川智津子)
にも、
「労働者のほうから,就業規則等の根拠なしにテレワークを請求できるかが問題となりうるが,原則として,労働者の就労請求権が認められていないことから,労働者にはテレワークを請求する権利はないと考える 。しかしながら,コロナの蔓延を避けるため,緊急事態宣言下では行政によりテレワークが推奨されているので,使用者側には労働者が一方的に行ったテレワークの受領義務は生じないとしても,そうした労働者を欠勤扱いとすることでの懲戒処分などの不利益取扱いにあたってはこうした事情に鑑み,処分の程度は軽減されてもよいのではないかと考える。」
と記述されています。
日本労働研究雑誌 2021年4月号(No.729)|労働政策研究・研修機構(JILPT)
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2021/04/pdf/029-035.pdf
これは、
労働者にテレワークを求める権利はない、
使用者には、テレワークによる労務を受領する義務もない、
使用者はテレワークを強行した使用者を処分することができる、
ただし、処分量定は軽減されても良いのではないか、
というロジックで、在宅勤務やテレワークの権利性を否定する趣旨に読めます。
このような状況のもと、近時公刊された判例集に、感染症流行時、労働者において出勤せず、在宅勤務とする方針を使用者に伝えたことが違法行為とはいえないと判示された裁判例が掲載されていました。東京高判令6.5.22労働判例1337-22 オフィス・デヴィ・スカルノ元従業員ら事件です。これは、以前、
新型コロナウイルスの流行する海外から会社代表者が帰国するにあたり、従業員が共同で在宅勤務を求めることは許されるのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ
という記事で紹介した地裁判例の控訴審です。
2.オフィス・デヴィ・スカルノ元従業員ら事件
本件で原告(控訴人)になったのは、インドネシア共和国の元大統領夫人であった方です。日本国内を活動拠点としてタレント活動を行うとともに、自身のマネージメント事業等を行うために設立された本件会社(株式会社オフィス・デヴィ・スカルノ)の代表取締役を務めていました。
被告(被控訴人)になったのは、本件会社の元従業員2名(被告乙山、被告丙川)です。
被告乙山は原告のブログやSNSの原稿を作成して公開する業務等に従事していた方で、被告丙川は原告のマネージャー業務に従事していた方です。
娘婿の葬儀のためインドネシア共和国に出国し、原告が帰国してくるにあたり、本件会社の従業員である被告らほかA、B、C、D(被告ら従業員6名)は、対応を協議する話合いを行い、原告の帰国後2週間は在宅での勤務を行う方針(本件方針)を決定しました。
帰国した原告に対し、被告らが、向こう2週間在宅での勤務を認めるよう要望したところ、原告は、
「被告らは、何の根拠もなく原告の娘婿の死因が新型コロナウイルス感染症であると邪推し、娘婿の家族は濃厚接触者又は感染者であり、そのもとに駆け付けた原告も同様であると思い込んだ。そして、被告らは,かかる思い込みを前提に、他の従業員らを招集して、本件話合いの開催を呼びかけ、自らの影響力の強さを利用して、全従業員らの間で、原告の帰国後2週間は原告との接触を拒否する、すなわち本件会社の事務所への出勤を拒否するという、期限付きの共同絶交の合意を主導して形成させた」
「本件会社の全従業員を集めて出勤拒否を提案し、これを出席した者に承諾させるという行為は、職場の秩序を乱す行為であるとともに、原告に対する関係でも、広大な邸宅の清掃、愛犬の世話等の原告の日常生活に関連する業務やマネージメント業務を機能不全に陥らせる、極めて違法性が高い行為であり、原告に対する不法行為に当たる」
などと主張し、被告らに損害賠償を請求する訴えを提起しました。
一審が原告の請求を棄却したことを受け、原告側が控訴したのが本件です。
控訴審裁判所は原審判断を維持し、控訴を棄却しましたが、共同絶交の適否を判断するにあたり、次のような判断を示しました。
(裁判所の判断)
「控訴人は、被控訴人らにおいて、控訴人の娘婿の死因が新型コロナウイルス感染症であり、控訴人もその濃厚接触者又は感染者であると思い込んだ上、自らの影響力の強さを利用して、主導して、他の従業員らに違法な共同絶交の合意を形成させ、出勤を拒否させたと主張する。」
「そこで、まず、本件方針(控訴人の帰国後2週間は在宅勤務を行う旨の方針 括弧内筆者)が控訴人の主張するような違法な共同絶交の合意に当たるかについて検討する。」
「この点、前記認定事実・・・によれば、控訴人がバリ島に出発した令和3年2月4日当時は、政府が我が国における二度目の緊急事態宣言(令和3年1月8日~同年2月7日)を発令した最中であったところ、当時は、令和2年12月に空港検疫で変異株が発見されるなどして、水際対策の強化が問題となり、政府は、令和3年1月14日以降、渡航先を問わず、また、空港検疫の検査結果が陰性であるか否かを問わず、我が国に入国する全ての者に対し、14日間の自宅又は宿泊施設での待機等に関する誓約を求め、誓約に違反した場合には、氏名等を公表され得るとの対応を取っていたことが認められる。すなわち、当時、政府は、海外からの入国者又は帰国者に対しては、変異株を含め、新たな感染拡大のリスクを負っている者と見て、相当に厳格な対応を取っていたということができる。このことを考慮すれば、帰国者の周辺で日常業務に従事する者が、感染拡大を防止する目的で、政府の対応に沿った対応を取ることを合意することが直ちに違法ということはできないというべきである。」
「また、控訴人は、本件方針が、違法な共同絶交の合意であると主張するが、そもそも『共同絶交』とは、集団内において、特定人を仲間外れにしたり、嫌がらせをしたりする目的で、当該特定人との交際を断つことをいうものであるところ、本件方針が、控訴人を仲間外れにしたり、控訴人への嫌がらせを目的としたものではなく、感染拡大防止のためのものであることは明らかである。」
「そして、本件方針の上記のような目的及び内容に加え、本件方針の決定当時、インドネシア共和国では、令和3年1月以降、1日当たりの感染者数が1万人を超えていたこと・・・、PCR検査では、感染していても、日数が経たないと陽性とならない場合があるため・・・、政府の水際対策として、14日間の待機等が義務付けられていたこと、そして、当時、既に被控訴人ら従業員6名に対しては、自宅に帰る旨の控訴人の強い意向が伝えられていたこと・・・を考慮すると、控訴人の自宅と同じ建物内にあって控訴人が行き来する本件会社の事務所に出勤することとなる被控訴人ら従業員6名が、政府の方針に沿って、控訴人が自宅に帰るのであれば、被控訴人ら従業員が出勤しないこととするという本件方針を決定し、これを控訴人に伝えたことが控訴人との関係で違法ということはできない。」
「以上によれば、本件方針は、それ自体違法ということができず、したがって、本件方針の決定過程において、被控訴人らが主導的な役割を果たしていたとしても、そのような違法とはいえない合意を主導的に決定することは、特段の事情がない限り、違法行為とはいえないというべきである。」
「そこでさらに、本件方針の決定過程における被控訴人らの役割についてみると、確かに、①令和3年2月12日午前中に従業員皆で話し合うことを提案したのは被控訴人乙山であること・・・、②被控訴人丙川は、本件話合いより前から、被控訴人乙山に対し、控訴人には本宅(本件建物)には絶対に寄らずに、別宅に直行してもらうのが良いとの提案をし、被控訴人乙山も、この提案に賛同する旨の意見を本件グループLINE上で示していたこと・・・、③本件話合い後、従業員一同で話し合った結果の報告として、本件方針を控訴人に伝えるための文書(本件文書)を起案したのは、被控訴人乙山であること・・・などからすると、本件方針の決定過程において、被控訴人両名が中心的な役割を果たしたということはできる。」
「しかし、Aの証言その他本件全証拠を見ても、本件方針の決定過程において、被控訴人らが自己の意見を押し付けたり、強引に決定したことはうかがわれず(むしろ、Aは、本件話合いは『みんなで話し合ったので(議事進行役は)いませんでした』、控訴人の帰国後、2週間出勤しないという方針(本件方針)について、他の従業員らも、異議を述べる者はおらず、本件方針は話合いで決まった旨証言している・・・、本件グループLINE・・・の全体を通して見ても、発言している者は、皆、帰国後の控訴人との接触を回避する方法を模索していることがうかがわれることなどからすれば、本件方針は、最終的には、被控訴人ら従業員6名が同じ意見であったために成立したものと認められる。」
「以上によれば、本件方針は、その内容において、当時の政府の方針に沿ったものであって、違法な共同絶交の合意ということはできないし、その決定過程において、被控訴人らが中心的な役割を果たしたものの、他の従業員らに対し、意見を押し付けたり、強引に決定したものではなく、最終的には、被控訴人ら従業員6名の総意として成立したものと認められるから、その決定過程における被控訴人らの行為についても違法ということはできない。」
「したがって、被控訴人らにおいて、その影響力の強さを利用して他の従業員らに違法な共同絶交の合意を形成させたという控訴人の主張は採用することができない。」
(中略)
「控訴人は、新型コロナウイルス感染症対策は、全ての企業において経営者が決定するものであるところ、本件方針は、経営者である控訴人の許可も承諾もないのに、被控訴人らが決定したものであって、重大な違法行為であると主張する・・・。」
「確かに、職場における新型コロナ感染症対策は、本来、経営者が決定すべきものであるが、経営者が当時の政府の方針に照らして適切な対応を取らない場合に従業員らが自ら対策を決定することはやむを得ないものである。そして、本件の事実関係に照らせば、被控訴人ら従業員6名が、経営者である控訴人の許可や承諾を得ることなく、本件方針を決定したことは、本件会社との雇用契約の趣旨に反するものではなく、やむを得ないものと認められ、これをもって、控訴人に対する違法行為ということはできない。したがって、控訴人の上記主張は採用することができない。」
「その他、控訴人が種々主張するところを考慮しても、本件方針の内容やその決定過程、当時示されていた政府の方針、本件発言の態様等に照らせば、本件方針が違法であるとか、その申出及び本件発言が違法であるということはできず、控訴人の主張はいずれも採用することができない。」
3.在宅勤務をしたこと自体が問題にされたわけではないが・・・
本件は在宅勤務をしたこと自体に対する判断ではなく、その手前にある申出行為の適法性を扱った事案です。
しかし、
「政府の方針に照らして適切な対応を取らない場合に従業員らが自ら対策を決定することはやむを得ない」
もので、違法行為とはいえないのであれば、使用者が適切な対応を取ることを了承しない場合、従業員らが決定した対策を実行することもまた、やむを得ないもので、違法行為とは言えないのではないかと思います。
裁判所の判断は、就労を拒否できる場面や、在宅勤務やテレワークを権利として要求できる場面を考えるにあたり、実務上参考になります。