弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

新型コロナウイルスの流行する海外から会社代表者が帰国するにあたり、従業員が共同で在宅勤務を求めることは許されるのか?

1.感染への不安を抱える従業員

 一昨日、

新型コロナウイルスが蔓延する海外への渡航を阻止するため、有給休暇の時季変更権を行使することができるのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事を書きました。

 この記事の中で紹介した裁判例(札幌地判令5.12.22労働判例ジャーナル144-1 京王プラザホテル札幌事件)は、有給休暇を取得して海外で行われる娘の結婚式に出席しようとした従業員に対し、新型コロナウイルス感染症の流行状況を踏まえ、会社が時季変更権を行使したことを適法だと判示しました。

 それでは、逆に、従業員の側から、新型コロナウイルスの流行する海外に行った代表者に対し、感染への不安を解消するため、何等かの配慮を求めて行くことは許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令5.11.30労働判例1301-5 オフィス・デヴィ・スカルノ元従業員ら事件です。

2.オフィス・デヴィ・スカルノ元従業員ら事件

 本件で原告になったのは、インドネシア共和国の元大統領夫人であった方です。日本国内を活動拠点としてタレント活動を行うとともに、自身のマネージメント事業等を行うために設立された本件会社(株式会社オフィス・デヴィ・スカルノ)の代表取締役を務めていました。

 被告になったのは、本件会社の元従業員2名(被告乙山、被告丙川)です。

 被告乙山は原告のブログやSNSの原稿を作成して公開する業務等に従事していた方で、被告丙川は原告のマネージャー業務に従事していた方です。

 娘婿の葬儀のためインドネシア共和国に出国し、原告が帰国してくるにあたり、本件会社の従業員である被告らほかA、B、C、D(被告ら従業員6名)は、対応を協議する話合いを行い、原告の帰国後2週間は在宅での勤務を行う方針(本件方針)を決定しました。

 帰国した原告に対し、被告らが、向こう2週間在宅での勤務を認めるよう要望したところ、原告は、

「被告らは、何の根拠もなく原告の娘婿の死因が新型コロナウイルス感染症であると邪推し、娘婿の家族は濃厚接触者又は感染者であり、そのもとに駆け付けた原告も同様であると思い込んだ。そして、被告らは,かかる思い込みを前提に、他の従業員らを招集して、本件話合いの開催を呼びかけ、自らの影響力の強さを利用して、全従業員らの間で、原告の帰国後2週間は原告との接触を拒否する、すなわち本件会社の事務所への出勤を拒否するという、期限付きの共同絶交の合意を主導して形成させた」

「本件会社の全従業員を集めて出勤拒否を提案し、これを出席した者に承諾させるという行為は、職場の秩序を乱す行為であるとともに、原告に対する関係でも、広大な邸宅の清掃、愛犬の世話等の原告の日常生活に関連する業務やマネージメント業務を機能不全に陥らせる、極めて違法性が高い行為であり、原告に対する不法行為に当たる」

などと主張し、被告らに損害賠償を請求する訴えを提起しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、不法行為の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告らが自らの影響力の強さを利用し、主導して、他の従業員らに違法な共同絶交の合意を形成させ、出勤を拒否させた旨主張する。」

「しかし、まず本件話合いに至る経緯についてみるに、前記認定事実のとおり、被告乙山は、Aから本件グループLINEにおいてEの出勤拒否を伝えられるとともに、今後の原告への対応をどうすべきかという相談がされたことを受けて、原告の帰国後の対策について皆で話し合うことを提案したものにすぎず・・・、被告らが、他の従業員らに対して在宅勤務ないし出勤拒否の合意を積極的に持ちかけたものとは認められない。なお、原告をタクシーで迎えに行くという案も被告乙山ではなくBが提案したものであること・・・、Eも当初から原告が直接自宅に戻るのであれば出勤しないとの意向を示していたこと・・・、Aも本件話合い以前から帰国した原告と接するのが嫌である旨Bに述べていたこと・・・からすれば、本件話合いの提案以前から、被告ら以外の従業員らも、原告が帰国した場合の新型コロナウイルスへの感染リスクについての不安を有していたものと認められ、これに関し、被告らが他の従業員らに対して違法、不当な働きかけなどをしたことを認めるに足りる証拠はない。」

「そして、本件話合いにおいては、前記認定事実のとおり、被告らだけではなく、Aやその他の従業員も新型コロナウイルスへの感染リスクに対する不安や原告と接触するのが怖い旨の意見を述べ、これを避けるために原告に求める行動について協議されたが、いずれも原告が応じることはないと考えられたため(なお、原告自身、原告本人尋問において、別宅に行ったり、本件建物1階へ降りないという案を承諾することはない旨明言している。)、代替的な案として原告の帰国後2週間は在宅での勤務を行う旨の本件方針が被告ら従業員6名全員の意向により決定されたものであり・・・、本件文書も本件方針を原告に伝える方法として代表して被告乙山が作成したものにすぎず・・・、被告らが本件話合いにおいて他の従業員らの明示又は黙示の意向に反して独断でこれを主導したとは認められない。」

「以上によれば、被告乙山が本件文書を作成したことや本件方針を原告に告げたことを考慮しても、被告らが他の従業員らの意向にかかわらず、本件話合いを主導して本件方針を決定させたと認めることはできないから、原告の上記主張は理由がない。」

「また、本件方針が原告の主張する違法な共同絶交の合意に当たるかについて検討しても、前記認定事実のとおり、本件当日当時、国内においては新型コロナウイルス感染症が第3波と呼ばれる流行期を迎えており、首都圏では緊急事態宣言が発令され、政府は海外からの入国者に対し、渡航先を問わず、また、空港での検査結果が陰性であるか否かを問わず、一律に入国後14日間の自宅待機等を求めていたものであって・・・、国内において広く新型コロナウイルス感染症のまん延防止策を講ずることが要請されていた社会的状況にあったものと認められる。このような当時の社会的状況や、渡航者に対して渡航先及び検査結果を問わない一律の政府の措置が講じられていたことに加え、インドネシア共和国においては令和3年1月以降、1日の感染者は1万人を越えていたこと・・・、感染していても感染から日数が経っていない場合にはPCR検査が陽性とならない場合があることが当時から指摘されていたこと・・・に照らすと、原告が渡航したバリ島における具体的な感染状況や渡航中の原告の感染者との接触の有無、原告の空港でのPCR検査の結果が陰性であるか否かにかかわらず、海外から帰国した原告が新型コロナウイルスに感染している可能性があることを懸念して、原告の自宅と同じ本件建物内にあって原告が自由に行き来する本件会社の事務所に出勤することとなる被告ら従業員6名が、本件方針を決定し、その旨を原告に申し出たこと自体が、直ちに不合理とはいえず、これをもって、原告との関係で社会通念上許されない違法な行為に当たるともいえない。そうすると、このような本件方針を決定したことが原告の主張する違法な共同絶交の合意に当たると評価することはできず、この点からも原告の上記主張は理由がない。」

3.労働者が話しあって経営者に物申しても違法になるわけではない

 労働組合法8条は、

「使用者は、同盟罷業その他の争議行為であつて正当なものによつて損害を受けたことの故をもつて、労働組合又はその組合員に対し賠償を請求することができない。」

と労働組合の争議行為について、損害賠償責任が発生しないことを明記しています。いわゆる民事免責の規定です。

 本件は労働組合が行った行為ではありませんし、責任がないというよりも違法性がないという言い方をしていますが、労働組合の団体交渉・団体行動という形式をとらなかったからといって、労働者が話し合って経営者に物申して行くことで不法行為責任を問われるいわれはないということなのだと思われます。

 感染症への不安について、労働者は、使用者から一方的にコントロールされるだけの存在ではありません。使用者の側に積極的に要求して行くこともできます。それを実証した事案として、本裁判例は参考になります。