1.労働者本人がいないところで言われる揶揄・侮辱
労働者本人がいないところで言われる揶揄や侮辱は、ハラスメント(不法行為)を構成することがあり得るのでしょうか?
当人が知らないのであれば、揶揄や侮辱があったとしても、精神的な苦痛(損害)は発生しないという見方があります。
しかし、当人が知らなかったとしても、経営者が他の労働者と一緒になって当人の悪口で盛り上がっていれば、職場全体に「この人のことは馬鹿にしてもいい」という空気が醸成されることになり、真綿で首を絞められるように職場環境が悪化して行くという考え方も成り立つはずです。
近時公刊された判例集に、この職場で行われる陰口について、不法行為該当性を認めた裁判例が掲載されていました。東京高判令5.10.25労働判例ジャーナル142-22 医療法人社団Bテラス事件です。これは以前、マタハラ(マタニティハラスメント)事件としてご紹介した事件の控訴審です。
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2.医療法人社団Bテラス事件
本件で被告になったのは、
伴場歯科医院(本件歯科医院)の名称で歯科診療所を開設、経営している医療法人(被告法人)、
被告法人の理事長で、本件歯科医院の院長を務める歯科医師(被告c)
の二名です。
原告になったのは、被告法人との間で労働契約を締結し、歯科医師として働いていた方です。
マタニティハラスメントを受けたと主張して損害賠償を請求するとともに、
育児休業明けに労務提供できないのは、被告らが安全配慮義務を履行しないからであると主張して未払賃金の支払い
などを求める訴えを提起したのが本件です。
一審では原告の請求が一部認容されたところ、これに対して双方控訴したのが本件です。
本件で原告がハラスメントとして問題にした行為は多岐に渡りますが、その中の一つに、被告cが控室内で他の従業員(歯科衛生士)と共に原告の悪口に興じていたことがありました。
一審は、
「原告不在の、控室内における会話を、原告が秘密録音したことによって、原告の知るところとなったにすぎないのであって、不法行為は成立しない。」
などと判示しましたが、控訴審は、次のとおり述べて、不法行為の成立を認めました。
(裁判所の判断)
「一審原告は、令和3年1月16日、一審被告cが、一審原告がいない場で他の従業員(歯科衛生士)に対し番号71の「具体的行為」欄記載のとおり一審原告の名誉を毀損し侮辱する内容の発言をしたと主張する。」
「一審原告が依拠する証拠・・・は、一審被告cが院内で一審原告の悪口を言っているのではないかとの疑いを持った一審原告が、その証拠を得ようとして、院内のオープンスペースである控室に秘密裏にボイスレコーダーを設置しておいたところ、偶然一審被告cの会話内容が録音できたことから、その録音内容を反訳して書証として提出した書面であることが認められる・・・。従業員の誰もが利用できる控室に秘密裏に録音機器を設置して他者の会話内容を録音する行為は、他の従業員のプライバシーを含め、第三者の権利・利益を侵害する可能性が大きく、職場内の秩序維持の観点からも相当な証拠収集方法であるとはいえないが、著しく反社会的な手段であるとまではいえないことから、違法収集証拠であることを理由に同証拠の排除を求める一審被告らの申立て自体は理由があるとはいえない(同様に一審被告らが違法収集証拠であると主張する他の証拠についても、著しく反社会的な手段により収集されたものとまでは認められないから、同証拠の排除を求める一審被告らの申立ても理由がない。)。」
「その上で、前記の証拠・・・によれば、一審被告cは、本件歯科医院の控室において歯科衛生士2名と休憩中に同人らと雑談を交わす中で、一審原告のする診療内容や職場における同人の態度について言及するにとどまらず、歯科衛生士2名と一緒になって、一審原告の態度が懲戒に値するとか、子供を産んでも実家や義理の両親の協力は得られないのではないかとか、暇だからパソコンに向かって何かを調べているのは、マタハラを理由に訴訟を提起しようとしているからではないかとか、果ては、一審原告の育ちが悪い、家にお金がないなどと、一審原告を揶揄する会話に及んでいることが認められる。」
「これらの会話は、元々一審原告が耳にすることを前提としたものではないが、院長(理事長)としての一審被告cの地位・立場を考慮すると、他の従業員と一緒になって前記のような一審原告を揶揄する会話に興じることは、客観的にみて、それ自体が一審原告の就業環境を害する行為に当たることは否定し難い。」
「したがって、この点について不法行為の成立を認めるのが相当である。」
3.順当な判断であろう
控訴審は一審とは異なり、経営者が他の従業員と一緒になって行った労働者への陰口について、不法行為の成立を認めました。
経営者がこのような態度をとることは、陰口の対象となった労働者をいじめても良いとお墨付きを与えているようなものであり、極めて不適切だと思います。本人が知らなければ良いのだと言わんばかりの一審の判断を変更し、控訴審が不法行為の成立を認めたことは順当な判断だと思います。
本件はオープンスペースにボイスレコーダーを設置していたところ、偶々原告の悪口に興じている経営者と従業員との会話が記録できたものです。証拠化できたのは偶然の産物であって、証拠収集に成功する場面は限定的だとは思いますが、職場で行われる労働者個人への陰口について不法行為の成立を認めた事案として実務上参考になります。