弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

他の従業員から出された退職を求める嘆願書を示し、席を離れた場所に移動させると告げての退職勧奨の適法性

1.退職勧奨の限界

 退職勧奨を行うことは、基本的に自由であるとされています。ただ、「社会的相当性を逸脱した態様での半強制的ないし執拗な退職勧奨行為が行われた場合には、労働者は使用者に対し不法行為として損害賠償を請求することができる」とされています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕540頁参照)。

 それでは、「社会的相当性を逸脱した態様」での退職勧奨とは、具体的には、どのような行為をいうのでしょうか?

 この問題に関しては、多数の裁判例が集積されています。ただ、私の感覚では、裁判所に違法性を認めてもらうためのハードルは、総じて高いように思われます。そのことは、昨日紹介した、東京地判令3.2.26労働判例ジャーナル112-64 清流出版事件からも読み取ることができます。

2.清流出版事件

 本件で被告になったのは、雑誌、書籍その他印刷物の制作及び販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期限の定めのない雇用契約を締結していた方です。被告から退職勧奨(本件退職勧奨)を受けた後、服務規律違反を理由に普通解雇されました。こうした経過を受け、地位確認や賃金の支払を求めるとともに、本件退職勧奨は度を超えているとして損害賠償を求める訴えを提起しました。

 本件退職勧奨は、次のような行為であったと認定されています。

「C(被告代表者 括弧内筆者)及びB(所属長 括弧内筆者)は、上記同日、原告に対し、本件退職勧奨を行った。」

「C及びBは、本件退職勧奨に当たり、本件黒塗り嘆願書を原告に交付した上で、原告に対し、5人の従業員から本件嘆願書が被告に提出されたこと、退職金には便宜を図ること、本件退職勧奨に応じない場合は原告の席を他の従業員から離した場所に移すことなどを伝えて、約40分間、退職に応じるように終始穏やかな言葉遣いで繰り返し促した。これに対し、原告は、退職に応じない旨を繰り返し伝えた。」

 ここでいう「本件嘆願書」というのは、「原告の退職を求める旨の嘆願書」のことです。本件では、他の従業員から原告の退職を求める嘆願書が提出されており、被告はこれを示しながら退職勧奨を行いました。

 こうした態様での退職勧奨について、裁判所は、次のとおり述べて、不法行為の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告が本件黒塗り嘆願書(本件嘆願書のうち退職を求める理由と作成者を黒塗りにしたもの 括弧内筆者)のみを示した点、本件退職勧奨に応じない場合に原告の席を他の従業員の席から離すことを告げた点等から、本件退職勧奨が社会的相当性を逸脱した手段や方法により行われたとして不法行為に当たると主張する。」

「しかしながら、本件退職勧奨は、1度きりの40分程度のものであり、その中で退職に応じない意思を明らかにする原告に対して一定程度繰り返して退職に応じるよう促すものではあるが、CやBの言動も終始穏やかなものであった・・・。また、本件黒塗り嘆願書のみを示した点についても、被告としては、従業員から本件嘆願書が提出されたことを原告に一定の根拠をもって説明する必要があった一方で、同従業員の保護も図る必要があったと理解でき、本件黒塗り嘆願書のみを示すことにより本件嘆願書について殊更に虚偽の説明を行ったといったような事情も見受けられないことからすれば、必ずしも不相当な方法であったとまではいい難い。もっとも、本件退職勧奨に応じない場合に、原告の席を他の従業員の席から離れた場所に移動させることを原告に告げた点・・・については、現実に5人の従業員から本件嘆願書が提出されており、職場における人間関係の調整に配慮する必要がある状況であったとはいえる点を考慮しても不適切な感は否めないが、以上に指摘した本件退職勧奨の態様も併せて考えると、この一事をもって退職についての原告の自由な意思決定を阻害するような不当な態様により本件退職勧奨が行われたとはいい難い。

したがって、本件退職勧奨が不法行為に当たるとはいえない。

3.嘆願書を見せる必要、席を話すと告げる必要があったのか?

 本件嘆願書を被告が入手した経緯は分かりません。仮に、退職勧奨に用いる目的で従業員に提出を示唆したとすれば、そうした労働者の分断を生じさせるような手法の正当性には疑問を覚えます。原告の同僚の労働者らが自発的に提出したものだったとしても、殊更に嘆願書を示すことが労働者の尊厳を傷つけることは否めないのではないかと思います。

 また、対話を促すことではなく、席を離すことで同僚間のトラブルを解決しようとしたことも、それを告知して退職を促すことも、端的に不適切だと思います。

 ここまでのことが行われても、裁判所は退職勧奨に不法行為の成立を認めませんでした。おそらく、尊厳を害するような態様ではあっても、終始穏やかな言動で、意思決定の自由が阻害されたわけではない以上、未だ違法とはいえないと判断したのだと思われます。しかし、単に強要行為がなければ不問にしていいのかといえば、そういう問題ではないように思われます。

 裁判所が退職勧奨に不法行為を認めるハードルは、個人的には、もう少し低められてよいのではないかと思います。