弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

新型コロナウイルスが蔓延する海外への渡航を阻止するため、有給休暇の時季変更権を行使することができるのか?

1.有給休暇の時季変更権

 労働基準法39条5項は、

「使用者は、・・・有給休暇を労働者の請求する時季に与えなければならない。ただし、請求された時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季にこれを与えることができる。」

と規定しています。

 要するに、労働者は、基本的に、好きな時(請求する時季)に有給休暇を取得することができます。しかし、「事業の正常な運営を妨げる場合」、使用者は、その時の有給休暇の取得を認めず、時季の変更を求めることができます。

 この「事業の正常な運営を妨げる」かどうかは、

「①当該労働者が属する課・班・係など相当な単位の業務において必要人員を欠くなど業務上の支障が生じるおそれがあること(業務上の支障)に加えて、②人員配置の適切さや代替要員確保の努力など労働者が指定した時季に年休が取得できるよう使用者が状況に応じた配慮を行っていること(使用者の状況に応じた配慮)を考慮して、判断される。」

と判断されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第2版、令3〕753頁参照)。

 それでは、新型コロナウイルスが蔓延する海外への渡航を阻止するため、有給休暇の時季変更権を行使することは許容されるのでしょうか?

 確かに、感染症を持ち帰られて、事業場で感染症が流行するような事態を防ぎたいという使用者側の事情は理解できます。

 しかし、当該労働者が休んだとしても、その間の事業の正常な運営は妨げられない場合にまで感染症を持ち帰られるリスクを理由に有給休暇の取得に干渉することが条文の建付け上可能といえるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が掲載されていました。札幌地判令5.12.22労働判例ジャーナル144-1 京王プラザホテル札幌事件です。

2.京王プラザホテル事件

 本件で被告になったのは、札幌市内においてホテルを運営する株式会社です。

 原告になったのは、被告の宿泊部長として勤務していた方です。

 令和2年3月21日にハワイで行われる娘の結婚式に出席するため、令和2年2月25日、被告に対し、令和2年3月18日~同月25日を有給休暇に指定しました。

 しかし令和2年3月17日、被告は、新型コロナウイルス感染症に関する状況を踏まえ、原告のハワイへの渡航を禁止するため、年次有給休暇の時季変更権を行使しました(本件時季変更権の行使)。これにより娘の結婚式に出席できなくなった原告が、本件時季変更権の行使が違法であったとして、慰謝料等の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の原告は、

「使用者は、労働者の請求した時季に年次有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合には時季変更権の行使をすることができる(労働基準法39条5項ただし書)。事業の正常な運営を妨げるか否かは,当該労働者が属する部署の業務において必要人員を欠くなどの業務上の支障が生じるおそれがあること、人員配置の適切さや代替要員確保の努力等、労働者が指定した時季に年次有給休暇が取得できるよう使用者が状況に応じた配慮を行っていることを考慮して判断すべきである。また、年次有給休暇の利用目的は労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由であるから、代替勤務者を配置することが可能な状況にあるにもかかわらず、休暇の利用目的の如何によってそのための配慮をせずに時季変更権を行使することは、利用目的を考慮して年次休暇を与えないことに等しく許されないものである。」

などと主張し、本件時季変更権の行使の違法性を指摘しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、本件時季変更権の行使は適法だと判示しました。

(裁判所の判断)

「使用者は、原則として、労働者の請求した時季に年次有給休暇を与えなければならないが、当該時季に年次有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季にこれを与えるために時季変更権を行使することができる(労働基準法39条5項)。」

「前記・・・の認定事実によれば、1月ないし3月当時、新型コロナウイルス感染症が世界的に急拡大する中で、北海道においても、道内全ての公立小中学校が休校となり、北海道知事が道独自の緊急事態宣言を発表し、北海道大学が卒業式を中止し、ホテルや飲食店で宿泊や宴会のキャンセルが相次ぐなど、新型コロナウイルス感染症の拡大傾向にあり、人生における重要なイベントであっても中止や自粛をすることが感染拡大を防止するために必要であると社会的に受け止められる状況にあったと認められる。」

「また、前記・・・の認定事実によれば、札幌市内にある国家公務員共済組合連合会斗南病院、イオンモール札幌発寒、札幌三越と丸井今井札幌本店といった多数の者が出入りする施設において、その従業員等が新型コロナウイルスに感染した場合には、当該感染の事実と共に、施設名や当該従業員の属性等が報道されたことや、被告の関連会社が運営する京王プラザホテル(新宿)では、アルバイト従業員が新型コロナウイルスに感染した事実や当該従業員の担当業務の内容や海外旅行歴が報道されたことが認められ、これらの事実等に照らすと、被告の従業員が新型コロナウイルスに感染した場合には、多数の者が出入りするホテルを運営する被告の社会的な責務として、当該感染の事実、当該従業員の属性、海外旅行歴等を公表して報道されていたものと考えられる。」

「そして、前記・・・の認定事実によれば、原告が渡航する予定であったハワイについては、3月17日の本件時季変更権の行使の時点では、感染症危険情報は発出されていなかったものの、これに先立つ同月6日には政府が中華人民共和国と大韓民国からの入国者に対して水際対策としての検疫の強化を発表し、同月11日にはWHOが『パンデミック(世界的大流行)』を表明し,同月13日(現地時間)にはアメリカ合衆国で大統領による国家非常事態宣言を発表したことが認められ、これらの事実等からすれば、同月17日の本件時季変更権の行使の時点でも、近い時期に、アメリカ合衆国からの入国者に対しても水際対策としての検疫の強化がされるなど、一定の行動制限を受け得ることは容易に予想することができたものである。実際、本件時季変更権の行使後において、同月17日(現地時間)にはハワイ州知事がハワイへの渡航と往来を控え、10名以上のイベントの自粛等を要請し、同月21日(現地時間)には同月26日以降にハワイに到着する観光客等全員に対して14日間の隔離を義務付ける措置を実施することを発表している。」

「以上のような新型コロナウイルス感染症の状況の下では、仮に原告がハワイに渡航していた場合、一定の感染対策を講じていたとしても新型コロナウイルスに感染していた現実的危険性はあったというべきであり、実際に原告が新型コロナウイルスに感染し、帰国後に症状等が出た場合には、独自の緊急事態宣言が発出されている北海道において宿泊事業を営んでいる被告としては、その社会的責務から、当該感染の事実と共に、ホテル名、感染者が宿泊部部長であること、感染前にハワイに渡航していたこと等を公表せざるを得ず、これが大々的に報道されていたものと考えられ、宿泊部部長の立場にある原告が、大統領により国家非常事態宣言が既に発せられており、ハワイ州知事によりハワイへの渡航と往来を控え、10名以上のイベントの自粛等の要請がされるような状況の中で、あえてハワイに渡航して新型コロナウイルスに感染したという事実は、人生における重要なイベントであっても中止や自粛をすることが感染拡大を防止するために必要であるといった当時の通常人を基準とした社会的な受け止め方を前提とするならば、たとえ娘の結婚式に出席するためであったことが併せて報道されていたとしても、被告に対する社会的評価の低下をもたらすものであったと認められる。そして、2月ないし3月当時の被告の経営状況が危機的な状況であったことからすると、被告に対する社会的評価の低下は、被告の事業継続に影響しかねないものであったといえる。」

「そうすると、被告が、3月17日の本件時季変更権の行使の時点において、原告に対し、業務命令としてハワイへの渡航を禁じることは、被告の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるものとして合理性があったというべきである。その上で、本件期間の年次有給休暇が専らハワイへの渡航であることを明示していた原告に対して、ハワイへの渡航を禁じた結果として本件時季変更権の行使に至ったものであるから、これをもって違法であるということはできない。

「原告は、年次有給休暇の利用目的は労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由であるから、事業の正常な運営を妨げる場合に当たるか否かの判断に際し、原告がハワイに渡航して娘の結婚式に出席するという年次有給休暇の利用目的を考慮することは許されないなどと主張する。」

「確かに、上記の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるか否かは、客観的に判断すべきであるところ、一般的には、年次有給休暇の利用目的は労働基準法の関知しないところであり、当該利用目的を考慮して年次有給休暇を与えないことは許されないものと解されてきた(最高裁昭和62年7月10日第二小法廷判決・民集41巻5号1229頁参照)。しかしながら、当該解釈は、年次有給休暇の利用目的といった主観的な事情が事業の正常な運営に直接影響を及ぼすものではないとの理解を前提としたものであったから、労働者が利用目的を明示して年次有給休暇の時季指定を行っており、専ら当該利用目的を達するために当該年次有給休暇を取得する場合を前提として、当該利用目的自体から現実的に生じ得る事態等を踏まえて、使用者の事業の正常な運営に直接影響を及ぼすこととなるといった特段の事情があるときには、例外的に、使用者において時季変更権の行使に当たり年次有給休暇の利用目的を考慮することも許されるというべきである。

「これを本件についてみると、原告は、本件期間の年次有給休暇の利用目的としてハワイで行われる娘の結婚式に出席することを明示しており、ハワイに渡航できず、同結婚式にも出席できない場合にはおよそ本件期間に年次有給休暇を取得する必要がなかったものと認められることを前提に、前記・・・の認定説示のとおり、当時の新型コロナウイルス感染症の状況の下では、仮に原告がハワイに渡航し、実際に新型コロナウイルスに感染し、帰国後に症状等が出た場合には、当該感染の事実等が大々的に報道され、被告に対する社会的評価の低下をもたらすことで被告の事業継続に影響しかねないものであったと認められ、上記の特段の事情があると認められるから、本件時季変更権の行使に当たり、原告の本件期間の年次有給休暇の利用目的を考慮することも許されるというべきである。」

3.例外的とはいいえ利用目的を考慮すること許されるのか?

 原告が指摘するとおり、有給休暇の使用方法は労働者の自由です。そのことをとやかく使用者側から非難される理由はありません。しかし、裁判所は、例外的にではあるものの、一定の要件のもと、有給休暇の取得方法に干渉することを許容しました。

 本件が従前裁判所で採用されてきた「事業の正常な運営を妨げる」という要件の理解に適合するのかは甚だ疑問ですが、一歩踏み出した裁判例が出現したことは実務上、覚えておく必要があるように思います。