弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

新型コロナウイルスの流行する海外から会社代表者が帰国するにあたり、従業員が感染の可能性を指摘することは侮辱なのか?

1.感染への不安を抱える従業員

 昨日、

新型コロナウイルスの流行する海外から会社代表者が帰国するにあたり、従業員が共同で在宅勤務を求めることは許されるのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事を書きました。

 この記事の中で紹介した、東京地判令5.11.30労働判例1301-5 オフィス・デヴィ・スカルノ元従業員ら事件は、新型コロナウイルスの流行する海外に行った代表者に対し、感染への不安を解消するため、従業員達が共同して在宅勤務を求めたことについて、不法行為への該当性を否定しました。

 これだけでも目を引く裁判例ですが、オフィス・デヴィ・スカルノ元従業員ら事件の判決は、もう一つ、実務的に意義のある判断を示しています。それは、従業員が代表者に対して感染の可能性を指摘したことについて、侮辱(不法行為)にはあたらないと判示したことです。

2.オフィス・デヴィ・スカルノ元従業員ら事件

 本件で原告になったのは、インドネシア共和国の元大統領夫人であった方です。日本国内を活動拠点としてタレント活動を行うとともに、自身のマネージメント事業等を行うために設立された本件会社(株式会社オフィス・デヴィ・スカルノ)の代表取締役を務めていました。

 被告になったのは、本件会社の元従業員2名(被告乙山、被告丙川)です。

 被告乙山は原告のブログやSNSの原稿を作成して公開する業務等に従事していた方で、被告丙川は原告のマネージャー業務に従事していた方です。

 娘婿の葬儀のためインドネシア共和国に出国し、原告が帰国してくるにあたり、本件会社の従業員である被告らほかA、B、C、D(被告ら従業員6名)は、対応を協議する話合いを行い、原告の帰国後2週間は在宅での勤務を行う方針(本件方針)を決定しました。

 帰国した原告に対し、被告らが、向こう2週間在宅での勤務を認めるよう要望したところ、原告は、

本件会社の事務所への出勤を拒否するという共同絶交の合意を主導して形成させた、

新型コロナウイルスの感染者と決めつけて原告を侮辱した、

と主張し、これらが不法行為に該当するとして、被告らに損害賠償を請求する訴えを提起しました。

 裁判所は、前者の不法行為該当性を否定したうえ、後者についても、次のとおり述べて、不法行為にはあたらないと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告が本件当日夜本件建物に帰宅したところ、被告乙山は、既に本件建物から退出していたA及びDを除く被告丙川、B及びCの同席の下、原告に対し、本件方針を伝え、向こう 2 週間、在宅での勤務を認めるよう要望した・・・。」

原告が、その際、被告乙山に対し、『あなた、何言ってんのよ。私は病原体でもなんでもないわよ』と述べたところ、被告乙山は、『そうでもないですけど』と応答し、原告がその理由を尋ねたところ、被告乙山は『陰性であっても…』と述べた(以下、これらの被告乙山の発言を『本件発言』という。)・・・。

(中略)

「原告は、被告らは原告を何の根拠もなく新型コロナウイルスの感染者又はその濃厚接触者と決め付け、原告を侮辱した旨主張する。」

「人の名誉感情を損なう行為は、社会通念上許される限度を超える侮辱行為であると認められる場合に、その者の人格的利益を侵害するものとして、不法行為が成立するというべきである。」

「これを本件についてみるに、前提事実⑶イ及び前記 1 ⑸のとおり、被告乙山は、被告丙川とともに原告に本件方針を告げるとともに、本件発言をしたものであるところ、これらの言動は、原告の検査結果が陰性であってもなお原告に新型コロナウイルス感染の可能性があることを前提とするもの又は指摘するものといえるが、飽くまで可能性をいうものであって、原告を感染者又はその濃厚接触者と決め付けたものと評価することはできない(本件文書においても、今後陽性になる可能性や空港での移動の際の感染可能性がある旨を指摘するにとどまる。)。したがって、被告らが原告を感染者又はその濃厚接触者であると決め付けた旨の原告の上記主張は、その前提を欠き、理由がない。」

「また、前記 ・・・で説示したとおり、当時の社会的状況等に照らすと、被告らが、帰国した原告に新型コロナウイルス感染の可能性があると懸念すること自体が直ちに不合理とはいえず、このことに加えて、本件方針の申出や本件発言をした経緯、内容等に照らすと、被告らが原告に当該感染の可能性があることを指摘したことが、社会通念上許される限度を超える侮辱行為として原告の人格的利益を侵害するものとは認められない。したがって、原告の上記主張は理由がない。

3.相手が上長であったとしても、感染の可能性を懸念する程度のことは問題ない

 新型コロナウイルスに感染した事実の指摘等をどのように捉えるのかは、かなり微妙な問題です。個人的な感覚としては、感染したとして、だから何だとしか思いませんし、感染した可能性のある人に懸念を表明したところで、それが侮辱になるという感覚はありません。

 ただ、感染した事実・感染した可能性があるのではないかという懸念を表明された方が、少なくとも良い気分にならないことは理解できます。そういう意味では、どのような形態・文言での懸念表明であったとしても適法とは言いにくいように思われます。

 本裁判例は、上長であっても、軽く懸念を表明する程度のことであれば、問題にならないことを示しました。感染のリスクを回避するため労働者が懸念を表明する必要のある場面は日常的に生じ得るものであり、裁判所の判断は実務上参考になります。