1.相手の性的指向・性自認に関する侮辱的な言動
令和2年厚生労働省告示第5号『事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針』は、パワーハラスメントの典型例を示しています。
その中の一つに、
「精神的な攻撃」
があり、これは、
「人格を否定するような言動を行うこと。相手の性的指向・性自認に関する侮辱的な言動を行うことを含む」
と理解されています。
職場におけるハラスメントの防止のために(セクシュアルハラスメント/妊娠・出産等、育児・介護休業等に関するハラスメント/パワーハラスメント|厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf
しかし、具体的にどのような言動が「性的嗜好・性自認に関する侮辱的な言動」に該当するのかは、必ずしも明確ではありません。
以前、性同一性障害の方に対する、
「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか」ないし、
「なかなか手術を受けないんだったら、服装を男のものに戻したらどうか」
との発言に違法性が認められた裁判例を紹介しました。
性的指向、性自認に対する侮辱的な言動の実例 - 弁護士 師子角允彬のブログ
これは「性的嗜好・性自認に関する侮辱的な言動」の実例を示した数少ない裁判例の一つとして知られていましたが、近時公刊された判例集にも、性自認に関する言動が問題視された裁判例が掲載されていました。名古屋地判令7.6.25労働判例ジャーナル163-24 損害賠償請求事件です。
2.損害賠償請求事件
本件で原告になったのは、トランスジェンダー当事者(男性⇒女性に性別変更)の市議会議員の方です。
同僚の市議会議員から懇親会の席上で「おっさん」と揶揄されたことを受け、社会的評価及び名誉感情を侵害されたと主張し、当該市議会議員を被告として損害賠償を請求する訴訟を提起したのが本件です。
本件の裁判所は、社会的評価の低下こそ否定したものの、次のとおり述べて、被告市議会議員の発言を違法に原告の名誉感情を侵害するものと認めました。
(裁判所の判断)
・本件懇親会における被告の言動
「被告は、本件懇親会における被告の言動に係る原告の主張を否認するが、この点に関する被告の主張をみると、以下のア~エの事実は、争いがないものということができ、原告の主張との実質的な相違はない。」
「ア 被告が、原告がパソコンのキーボードを操作していた際につまようじを使用していたこと等を取上げて、原告が、『おっさん』である、又は『おっさん』のようであるとの発言をしたこと」
「イ 被告が、原告及び被告が所属していた会派の議員にも同様に思っている者がいるとの発言をしたこと」
「ウ 被告が、これらの発言を、複数回にわたり、複数の者に対して行ったこと」
「エ 原告が、被告によるこれらの発言が聞こえる場所におり、被告が、そのことを認識していたこと」
・被告の言動の不法行為該当性
「被告が行った前記・・・の言動は、女性である原告を中高年の男性のようであると指摘するものである上、それにとどまらず、『おっさん』という語を用いていたことからすれば、発言を聞いた一般人において、トランスジェンダー当事者である原告を揶揄するものと受け止めるものであったといえる。トランスジェンダー当事者である原告が『おっさん』という語により揶揄されること自体、原告の名誉感情を損なうものであるといえる。」
「そして、前提事実、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、本件懇親会は、ホテルにあるレストランの個室で行われた飲酒を伴うものであり、市議会議員らを中心とする15名程度の出席者が自席を離れて談笑する中で、前記・・・の言動があったと認められる。これらの事実に加え、前記・・・のとおり、被告が複数回にわたり複数の者に対して同アの発言を行い、その際、同じ会派の議員の中に同様の印象を持っている議員が他にもいる旨の発言までも行ったことがあったこと、原告にも被告の発言が聞こえる状況であったことからすると、原告は、被告が行った前記・・・の言動により、少なくない人数が聞く前で、『おっさん』という語により揶揄され、多大な不快感を抱いたものと認められる。」
「そうすると、被告が行った前記・・・の言動は、社会的に許容し得る限度を超える侮辱に当たるものといわざるを得ず、原告の名誉感情を違法に侵害するものといえる。また、前記・・・の事実に加え、被告は原告がトランスジェンダー当事者であることを十分に認識していたこと・・・からすれば、被告の言動が懇親会の席でのいわば軽口としてされたものであったとしても、上記の法益侵害につき、被告には少なくとも過失があったといえる。したがって、被告が行った前記・・・の言動は、原告に対する不法行為に該当するというべきである。」
「他方、被告の発言の内容が原告の非違行為をとがめるようなものではないこと等からすると、被告が行った前記・・・の言動が原告の社会的評価を低下させるものということはできない。」
3.女性を「おっさん」と評した場合と同じ評価になる
本件では下記のような事実が前提とされています。
「原告(昭和29年生まれ)は、出生時の性別は男性であったが、性同一性障害との診断に基づいて、令和3年に性別適合手術を受けるなどし、その後、性同一性障害特例法に基づく性別変更の審判により、法律上の性別を女性に変更した。」
問題の懇親会は令和6年1月に実施されており、「おっさん」との揶揄は性別変更審判の後に行われたものになります。
当たり前ですが、性別変更の審判を経ている以上、原告の方は、法的には紛れもない女性です。女性に対して「おっさん」と言えば、(別に言われたからといって社会的な評価が低下するとは思えませんが)、それが侮辱に該当することは明らかです。
トランスジェンダーというと何か特別なものであるかのように思いがちですが、「女性/男性に対して言うことが許される言動なのか」という観点は有益な視点になります。おそらく多くの人は、女性に対して「おっさん」と揶揄することが適切とは思わないはずです。
本件は同じ立場にある市議会議員の間でのトラブルであり、パワーハラスメントには該当しませんが、「性自認に関する侮辱的な言動」が何なのかを示した裁判例として、実務上参考になります。