弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

就業規則かそうでない文書かは、どのように区別されるのか?

1.就業規則の意義

 民間企業で働いている人の多くは「就業規則」という言葉を聞いたことがあるのではないかと思います。

 しかし、何を以って就業規則と言うのかは、実は、それほど良く分かっているわけではありません。例えば、水町勇一郎『労働法』〔東京大学出版会、第3版、令5〕178頁には、次のような記載があります。

「就業規則の定義について定めた法律規定はない。学説上も就業規則の定義そのものについて詳しく論じたものはなく、解釈例規においても就業規則の定義を定めたものは見当たらない。」

 このように実体の分からない概念ではありますが、実務的には、ある文書が就業規則に該当するのか否かは、極めて重要な意味を持ちます。それは、労使間の法律関係に直接的に関わってくるからです。

 例えば、労働契約法7条1項本文は、次のとおり規定しています。

「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。

 ある文書に書かれている内容は、それが就業規則であれば、労働条件として労使を法的に拘束します。他方、就業規則でなければ、それは労働条件にはならないため、書かれている内容に労使が法的に拘束されることはありません。文書に書かれている内容に法的拘束力があるのかどうかは、事件の帰趨を決するほど重要な問題です。

 冒頭でご紹介したとおり、ある文書が就業規則に該当するのかどうかは、実務的に極めて重要な問題であるにもかかわらず、あまり良く分かっていないのが実情です。

 このような状況の中、ある文書が就業規則に該当するのか否かを判断するにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令5.6.9労働判例1306-42 日本HP事件です。

2.日本HP事件

 本件で被告になったのは、パソコンの製造販売及びプリンターの製造販売等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、A事業部のマーケティングマネージャーとして働いていた方です。管理職から非管理職への降格に伴う賃金減額の効力を争い、未払賃金等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 被告はイントラネット上で公開している

「Base Pay」(本件資料1)

「Job Change 時給与変更ガイド」(本件資料2)

「知っ得! よく分かる人事制度!」(本件資料3)

に基づいて本件降格を有効に行うことができると主張しました。本件資料1ないし3の内容は就業規則の一部を構成しているか、仮に形式的に就業規則そのものに該当しないとしても社員給与規程等の細則として労働契約の内容になっているという趣旨です。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、本件資料1~3が就業規則に該当することを否定しました。

(裁判所の判断)

「本件降格は、原告の職務レベルを管理職から非管理職に降格し、これに伴って賃金を減額するものであるところ、会社が労働条件である賃金を、労働者に不利益に変更するには、会社と労働者との合意又は就業規則等の明確な根拠に基づいてなされることが必要と解するのが相当である。」

「本件降給規程2条は、『職務または職務レベルの変更により、給与レンジが下方に位置する新職務に異動した場合は、降給を実施することがある。その場合、新給与は、新職務に対応する給与レンジ内で決定する。』と定めており、職務等の変更に伴い降給があり得る旨が記載されているが、同条が示す、職務又は職務レベルの具体的内容や、給与レンジの額、職務の異動の基準は、社員給与規程及び本件降給規程のいずれにも定められていない。」

「一方、本件資料1は、職務ごとの月例基本給と固定賞与の割合、一般社員の固定賞与の計算方法について定めるとともに、降格を含む職務変更の内容ごとに月例基本給の変換式を列挙しており、その中には管理職から一般職員に変更となる場合の変換式も『変更前の月例基本給×12÷125%÷18』と明記されている。また、本件資料2は、管理職と非管理職との間の職務変更があった場合に、みなし手当及び固定賞与の支給の有無が変更することに伴い給与の変更がされる旨定めるとともに、本件資料1の変換式を参照資料として引用している。」

「しかしながら、社員給与規程及び本件降給規程には本件資料1ないし2への委任規定はなく、本件資料1及び2の内容も、管理職と一般社員の間、営業職と非営業職の間で職務が変更された場合の給与の変更について定めるものであって、本件降給規程2条が示す、職務又は職務レベルの具体的内容、給与レンジの額や職務の異動の基準を定めたものではなく、変換式も変更前の基本給に応じた単一の解を示すものであって、給与レンジ内で新給与を決定するとの本件降給規程の定めとは必ずしも整合しない。また、本件資料3は、『給与体系』の頁以外の内容は明らかではなく、被告も同資料は人事制度を従業員向けに分かりやすく整理した資料とするものである。そして、本件資料1ないし3が被告の就業規則として所轄の労働基準監督署に届け出られたとも認められない。

「以上によれば、本件資料1ないし3は、いずれも就業規則の一部又は本件降給規程の細則であると認めることはできない。」

3.形式的な部分が重要なのか?

 以上のとおり、裁判所は、

委任規定の存否、

内容の比較(整合性)、

労働基準監督署への届出の有無、

といった形式面に着目して、就業規則かどうかを判断しました。

 この判断の方法は、実務上、参考になるように思います。