弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

期間が短くても代償措置のない広範囲な競業禁止が無効になるとされた例

1.競業禁止

 一般論として、使用者と労働者との間で交わされる競業禁止契約(同業他社に転職したり、同業を自ら営まないとする契約)は、そう簡単には有効になりません。

 東京地裁労働部の裁判官らによる著作にも、「多くの裁判例は、①退職時の労働者の地位・役職、②禁止される競業行為の内容、③競業禁止の期間の長さ・場所的範囲の大小、④競業禁止に対する代償措置の有無・内容等を考慮し、合理的な範囲でのみ競業禁止の効力を認めている・・・。なお、最近の裁判例は、制限の期間、範囲を必要最小限にとどめることや、一定の代償措置を求めるなど、厳しい態度をとる傾向にある」と記述されています。(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕595頁参照)。

 このような状況の中、一部企業の間で、誓約の範囲を抑え込むことにより、代償措置を講じないまま競業を禁止しようとする試みがなされています。例えば、競業禁止の期間を6か月と比較的短期間に留めるといったようにです。

 それでは、こうしたアプローチによる代償措置のない競業禁止の効力は、裁判上、どのように理解されるのでしょうか? この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令5.6.16労働判例ジャーナル143-48 創育事件です。

2.創育事件

 本件で原告になったのは、教育関係の出版事業等を目的とする株式会社です。元従業員であるB、C、Dを被告として、競業避止義務違反を理由とする損害賠償や、在職中に知り得た顧客との取引の差止め等を請求する訴えを提起しました。

 原告が請求の根拠にしたのは、

被告Cが署名した誓約書に記載されている「私は、会社退職後6ヶ月間は、日本国内において会社と競業する業務を行わず、会社に在職中に知り得た機密情報又は業務遂行上知り得た特別の技術的機密を利用して、会社と競合的あるいは競業的行為を行いません。」との定め(本件誓約事項)、

「従業員のうち役職者、又は企画の職務に従事していた者が退職し、又は解雇された場合は、会社の承認を得ずに離職後6ヵ月間は日本国内において会社と競業する業務を行ってはならない」とする就業規則の定め(本件規定1)、

「会社在職中に知り得た顧客と離職後1年間は取引をしてはならない」とする就業規則の定め(本件規定2)

の三つです。

 本件誓約事項、本件各規定(本件規定1及び本件規定2)の効力は、当然、被告らによって争われましたが、この問題について、裁判所は、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「本件規定1は、原告の従業員のうち役職者等が原告退職後に原告と競業する業務を行ってはならないという内容、本件誓約事項は、被告Cが原告退職後に原告と競業する業務を行わず、在職中に知り得た機密情報又は業務遂行上知り得た特別の技術的機密を利用して原告と競業的又は競合的行為を行わないことを誓約する内容、本件規定2は、役職者等が原告退職後に会社在職中に知り得た顧客と取引をしてはならないという内容になっている。」

「労働者は、職業選択の自由や営業の自由を保障されているから、退職後の転職や営業を一定の範囲で禁止する本件各規定及び本件誓約事項は、その目的、在職中の職位、職務内容、制限の範囲、代償措置の有無等に照らし、競業や取引を禁止することに合理性があると認められないときは、公序良俗に反するものとして無効であると解される。」

「本件各規定の目的について、原告は、顧客情報やノウハウ等の秘密情報並びに顧客との取引関係及び人的関係である旨主張する(本件誓約事項も同じ目的を主張する趣旨と解される。)。」

「原告が平成17年の設立時から学力テスト事業を行っており、主に神奈川県下の公立中学校と継続的な取引を行い、顧客の開拓や維持に相応の労力等をかけていると考えられること、学力テスト事業の顧客である公立中学校の数に限りがあることからすれば、原告の顧客との取引関係を維持する必要性が認められ、原告の顧客との取引関係を維持するため、従業員に対し、原告在職中に知り得た原告の顧客と取引(原告と競業する学力テスト事業の取引)を行うことを禁止する必要性があると認められる。」

「また、原告の顧客を維持するため、原告の顧客である公立中学校がいずれであるかなどの顧客情報は原告にとって保護すべき理由が一定程度あるほか、原告の学力テスト事業には、学力テストの内容や統計データ等の一定のノウハウがあると考えられ、原告のノウハウ等を保護すべき一定の正当性があると認められる。もっとも、公立中学校の名称等は一般に明らかになっており、顧客情報自体が秘密情報として高い価値を有するとまでは認められず、また、原告のノウハウが入手困難で高い独創性や価値を有することを認めるに足りる的確な証拠はない(なお、原告のF支店の営業担当者であったGは、原告の他社と違うノウハウがどのような点にあるか分からない旨述べている。・・・)。原告は、シンクアンドクエストが原告の学力テストの個人成績表、成績処理システムを利用している旨主張し、その旨の証拠・・・を提出するが、これらをもって原告に独創性や価値の高いノウハウがあるとまでは直ちに認められない。そうすると、原告の顧客との取引の禁止に加え、競業を禁止する義務を課す利益が大きいとまでは直ちに認められない。

「被告らはいずれもF支店の営業担当者であり、営業担当者として、原告の従業員としての勤務を通じ、原告の顧客と信頼関係を形成することが想定されていたといえるから、顧客との取引関係を維持するため、原告在職中に知り得た顧客との取引を禁止する必要性は高いといえる。」

「他方、被告らは、神奈川県内の顧客情報や、営業担当者として学力テストの内容等のノウハウに関して一定の認識を有していたと認められるものの、被告らの職位は高くなく、また、係長や課長の役職の付された被告C及び被告Dについて役職に応じた権限を有していたとまでは認められず、被告らが高度なノウハウ等を認識していたとまでは認められない。この点、本件各規定は対象者を役職者等としているものの、『役職者』の文言、本件就業規則に『役職者』の定義が置かれておらず、係長以上の者に役職手当の支払がされていたこと(本件賃金規程8条)などからすれば、本件各規定の『役職者』とは、原告において係長以上の役職を有する者と認めるのが相当であり、本件各規定の対象者の範囲が狭いとまではいえない(上記のとおり、係長や課長の役職であっても高度なノウハウ等を認識していたとまでは認められないことからすれば、係長以上の役職にある『役職者』に該当することをもって、競業する業務を行うことを禁止する必要性が高いとは直ちにいえない。)。」

「本件規定2の顧客との取引禁止期間は1年間と本件規定1及び本件誓約事項より長いものの、長期とまではいえず、原告在職中に知り得た原告の顧客と競業する取引を行うことを禁止するものであるから、従業員に対する制約が大きいとまではいえない。他方、本件規定1及び本件誓約事項における競業禁止の期間は6か月と比較的短いといえるが禁止の範囲が日本国内と特に制限されておらず、競業する業務を行うことができない点で、従業員に対する制約が大きいといえる。

被告らは、原告から競業避止義務を負うことの代償措置を受けたと認められない上(被告らが受給していた手当が競業避止義務を負うことの代償措置であるとは認められない。)、賃金が特に高額であるとはいえず、令和元年5月以降、それまで支給されていた会場出勤の手当の支給を受けなくなり、令和元年夏及び令和2年夏は賞与を支給されないなどの状況にあった。

「このように、本件規定2について、営業担当者である被告らについて原告の顧客との取引を禁止する必要性が大きい上、従業員に対する制約が大きいとまではいえないことからすれば、被告らが代償措置を受けていないことを考慮しても、原告在職中に知り得た原告の顧客との取引を禁止することに合理性があると認められないとはいえず、本件規定2が公序良俗に反し無効であるとまではいえない。」

他方、原告において顧客との取引やノウハウ等を保護する観点から従業員に競業を禁止する義務を課すことの正当性があるとはいえるものの、ノウハウ等が高度であったことまでは認められず、競業禁止による制約が大きく、被告らが代償措置を受けていないことなどからすれば、被告らが原告と競業する業務を行うことを禁止する旨の本件規定1及び被告Cが原告と競業する業務を行うことを禁止する旨の本件誓約事項は、合理性があると認められず、公序良俗に反し無効というべきである。また、本件誓約事項は、〔ア〕会社と競業する業務を行わないほか、〔イ〕原告在職中に知り得た機密情報又は業務遂行上知り得た特別の技術的機密を利用して、競合的あるいは競業的行為を行わない旨が定められているところ、〔イ〕は、機密情報や技術的機密を利用する場合との限定があるものの、その文言や、〔ア〕と〔イ〕を別に規定していることからすれば、〔イ〕の『競合的あるいは競業的行為』とは、〔ア〕の『競業する業務』より広い意味を指すものと解される上、その内容も明確であるとはいえないこと、上記で検討した事情からすれば、〔イ〕の部分についても、合理性があると認められず、公序良俗に反し無効というべきである。

3.比較的短期間(6か月)でも広範な競業の禁止はダメ

 以上のとおり、裁判所は、比較的短期間(6か月)であっても、それほど高い必要性もないのに広範に競業を禁止することは許されないと判示しました。

 禁止期間を狭めることで、代償措置なしの広範な競業禁止の効力を維持しようとするアプローチが否定された例として、実務上参考になります。