弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

適切に処遇されない定年後再雇用者が退職して競業しても、それは自由競争の範囲内であるとされた例

1.競業避止義務

 労働契約の終了後については、「信義則に基づく競業避止義務は消滅し、就業規則や労働契約等の特別の定めがある場合に限り、それらの約定に基づいて競業避止義務が認められうる」と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕914頁参照)。

 しかし、競業行為も「悪質な手段、態様で行われた場合には、これらの行為を禁止する契約上の根拠がないときでも、使用者の営業の利益を侵害する不法行為として損害賠償責任が課されることがある」とされています(前掲『詳解 労働法』917頁参照)。

 要するに、競業避止契約を交わしていない労働者は、退職した後、原則として自由に競業することができます。ただし、自由競争の枠を逸脱しているといえるような手段、態様で行われた場合には、例外的に損害賠償責任を負うことがあります。

 この退職後の競業行為との関係で、近時公刊された判例集に目を引く裁判例が掲載されていました。東京地判令4.11.25労働判例ジャーナル136-44 Yデザイン事件です。目を引かれたのは、定年後再雇用で適切に処遇されていないことが、競業行為の違法性を否定する根拠の一つとして指摘されているところです。

2.Yデザイン事件

 本件で原告になったのは、広告宣伝の企画・制作等を目的とする株式会社です。

 被告になったのは、

原告と雇用契約を締結した後、定年後再雇用契約を締結し、その後、被告を退職した方2名(被告B、被告C)と、

被告Bが代表取締役を務める新聞、雑誌、広告の企画及び制作等を目的とする株式会社(被告会社)

です。

 在職中及び退職後に被告らが競業行為を行い、原告の顧客との取引を奪取したなどと主張し、原告が被告に損害賠償を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では幾つかの論点が扱われていますが、その中の一つに、退職後の競業行為の不法行為該当性がありました。裁判所は、退職後の競業を禁止する合意が存在しないことを前提に、次のとおり述べて、退職後の競業行為の違法性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告両名は、合意に基づき退職後の競業避止義務を負うことはなく、競業行為をすること自体は直ちに違法とはいえないが、競業行為が社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものと評価できる場合は、不法行為に該当するというべきであるから、以下、この点について検討する。」

「前記認定事実・・・のとおり、被告Bは、原告を退職する前に被告会社を設立し、退職前からタグ・ホイヤー業務を被告会社の業務として受注して、同じく同業務を担当していた被告Cと同時に原告を退職し、退職後は被告Cと共に競業行為を行い、タグ・ホイヤー業務を継続して受注しているところ、まず、被告Bが退職前に原告に対して何ら報告をすることなく、タグ・ホイヤー業務を受注した点は不適切であったということができる(これが債務不履行に該当することは前記・・・のとおりである。)。」

「もっとも、原告は、被告両名から退職の意向を伝えられていたにもかかわらず、被告両名に対し、退職後も2年間は競業避止義務を負うなどと法的根拠のない主張をするのみで、タグ・ホイヤー業務の後任者や引継ぎについて何らの指示もしていなかったという状況において、被告Bは、自身の在職中には完成することができない案件についてのみ、LVMH社の求めに応じて受注しているのであるから、被告Bの競業行為は、原告を積極的に欺いたり、LVMH社に対する不当な働きかけを行ったりしたものとはいえず、悪質なものとまでは評価できない。」

「また、被告両名が同時期に退職し、共同して競業行為を行っている点について検討すると、被告両名は、定年後に期間1年の有期雇用となり、給与が減少する一方で、業務量は変わらず、原告から複数回にわたり退職勧奨を受けているという状況に置かれていたのであるから、原告を退職した上、これまでの経験を活かして広告業に従事することとした経緯について何ら非難し得る点はないし、原告としても、被告両名の退職は十分想定し得ることであったといえるのであるから、被告両名が意思を通じて、あるいは被告Bが被告Cに働きかけて同時期に退職して競業行為を行ったとしても、自由競争の観点から不当であるということはできない。

「さらに、被告両名が退職した後、結果としてLVMH社は被告会社と取引を開始する一方、原告とは一切取引をしなくなった要因等について検討すると、LVMH社は、被告Bと10年以上にわたりタグ・ホイヤー業務を行っているのであるから、被告Bを信頼して同人が設立した会社に対して業務を受注することは何ら不自然ではないし、被告BがLVMH社の担当者に対して原告の信用をおとしめたりするなどの不当な営業活動を行ったことも認められない。他方、原告は、被告両名の退職が十分想定し得ることであったにもかかわらず、被告両名のみにタグ・ホイヤー業務を行わせていたこともあり、原告には、被告両名が退職した後、直ちにタグ・ホイヤー業務を行うことができる従業員はいなかった上、原告は、被告両名から退職の意向を伝えられた後も、引継ぎの指示や後任者の選定等タグ・ホイヤー業務を継続して受注するための措置を何ら講じていない。そして、LVMH社の担当者であるEから、後任を用意して今まで通りのクオリティーで仕事ができ得るのであれば原告との仕事を続けることは問題ない旨言われていたにもかかわらず、後任者を選定せずにLVMH社との取引を自ら断念している。そうすると、LVMH社が被告会社と取引を開始する一方、原告とは一切取引をしなくなった要因は、被告両名が退職したこと自体によりタグ・ホイヤー業務を遂行する能力が低下したことや、被告両名に引継ぎ等を求めたり後任者を選定したりせずに自らLVMH社との取引を放棄した原告の対応によるところが大きいと考えるべきであり、原告がLVMH社との取引を失ったのは自由競争の結果によるものと評価するのが相当である。

以上によれば、被告らの競業行為は、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものということはできない。

3.定年後再雇用をめぐるトラブル

 定年後再雇用者の処遇は、定年前に比してかなり落ちるのが普通です。

 これにあわせ業務負荷が低減している場合はまだ理屈がつくのですが、中には処遇を切り下げた定年後再雇用者に対し、定年前と同様の仕事を割り振っている企業もあります。このような場合、労働者の不満が溜まりがちで、しばしば独立・競業の原因となっています。

 定年後再雇用による処遇の切り下げから派生する紛争は少なくありません。本件の判示は独立と競業に関連する問題に対応するにあたり、実務上参考になります。