弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

同業他社で働いてもいいが、顧客を奪ってはならないとする競業避止契約の効力

1.競業避止契約

 会社と労働者との間で、退職後の労働者の競業を禁止する契約が結ばれることがあります(競業避止契約)。競業避止契約の典型は、独立して競業することや、同業他社への就職・転職を制限するものです。

 このタイプの競業避止契約の効力は、大阪地方裁判所判示・横地大輔『大阪民事実務研究 従業員等の競業避止義務等に関する諸論点について(上)(下)』判例タイムズ1387-5、同1388-18等の論文のほか、下記のリンク先でも詳しくまとめられています。

https://www.jil.go.jp/hanrei/conts/10/79.html

 しかし、競業避止契約は、独立や就職・転職を制限する類型のものに限られるわけではありません。競業避止契約の中には、顧客奪取を禁止するだけで、独立して競業したり、同業他社に就職・転職したりすることにまでは干渉しないものもあります。

 一般論としていえば、独立や同業他社への就職・転職を制限する類型よりも、勤務先の顧客を奪取することだけを禁止する類型の方が、労働者の自由への制約の度合いは低いように思われます。それでは、後者のような類型の競業避止契約の効力は、どのように理解されるのでしょうか? この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。福岡高判令2.11.11労働判例1241-70レジェンド元従業員事件です。

2.レジェンド元従業員事件

 本件で原告・被控訴人になったのは、各種保険契約の募集・締結(保険代理店業等)を主たる業務とする株式会社です。

 被告・控訴人になったのは、原告の元従業員で、生命保険及び損害保険の営業や、顧客管理等に従事していた方です。元々、保険代理店を開業していたところ、保険会社からの勧めを受け、平成20年11月、原告に合流して社員になりました。その後、平成29年7月21日に退職届を出し、同年8月31日に原告を退職しました。また、原告の競業会社Fに入社しました。

 退職に先立つ平成28年4月1日、被告の方は、原告に誓約書を提出していました。

 その誓約書には、

第3条(退職後の機密保持)

1項 機密保持については、原告を退職した後においても、自己の為又は当会社と競合する事業者、その他第三者のために使用しないことを約束します。

2項 退職後、同業他社に就職した場合、又は同業他社を起業した場合に、原告の顧客に対して営業活動をしたり、原告の取引を代替したりしないことを約束します。但し、個人情報、機密保持とも期限を定めないものとします。

と書かれていました。

 本件の原告は、この3条2項(本件競業避止特約)に違反し、被告が原告の顧客である病院(本件病院)に見積書を持参して保険契約を締結したなどと主張して、被告に損害賠償を求める訴えを提起しました。

 原審が原告の請求の一部を認めたため、被告が控訴提起したのが本件です。

 本件では、原審と同様、本件競業避止特約の効力が争点の一つになりました。この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、本件競業避止特約の効力を否定しました。結論としても、原告・被控訴人の請求を全部棄却しています。

(裁判所の判断)

「本件競業避止特約は、控訴人が被控訴人を退職した後、同業他社に就職し、または同業他社を起業した場合に、被控訴人の顧客に営業活動をしない義務を無期限で控訴人に課すものである。」

「本件競業避止特約は、その内容からして、被控訴人がその顧客を維持する利益を確保することを目的とすると認められる。被控訴人は、保険代理店業を営む会社であり、顧客の獲得や維持について費用や労力をかけていると認められるから、顧客を維持する利益は一定の保護に値するといえる。」

「しかし、本件競業避止特約によって課されるような退職後の競業避止義務は、労働者の営業の自由を制限するものである。このような退職後の競業避止義務については、労働者と使用者との間で合意が成立していたとしても、その合意どおりの義務を労働者が負うと直ちに認めることはできず、労働者が負う競業避止義務による不利益の程度、使用者の利益の程度、競業避止義務が課される期間、労働者への代償措置の有無等の事情を考慮し、競業避止義務に関する合意が公序良俗に反して無効であると解される場合や、合意の内容を制限的に解釈して初めて有効と解される場合があるというべきである。」

「本件競業避止特約は、控訴人が同業他社に就職することや同業の会社を起業すること自体は禁じていない。」

「しかし、控訴人は、もともと個人事業として保険代理店業を経営していたのであり、その時期に自らが獲得した顧客である控訴人既存顧客の保険契約をAの個人事業に移管し、その後控訴人既存顧客が被控訴人の顧客となっている・・・。そして、証拠・・・によれば、控訴人の自営の代理店業における平成20年3月末日時点の契約件数は776件であり、契約者数は200名を超えていたことが認められる。そうすると、控訴人既存顧客は多数にのぼっており、これらの控訴人既存顧客については、被控訴人の顧客となってからの維持に関して被控訴人も労力や費用をかけたと考えられるものの、顧客の獲得は控訴人が行っており、控訴人既存顧客からの収益については控訴人の貢献が大きかったということができる。そして、本件競業避止特約は、その文言によれば、控訴人が控訴人既存顧客に対しても営業活動を行わない義務を課す内容であり、控訴人がこのとおりの義務を負うとすれば、控訴人が受ける不利益は極めて大きいものである。」

「控訴人が本件競業避止特約に基づく競業避止義務を負うことについて、被控訴人が控訴人に対して金銭の交付等の代償措置を講じたとは認められない。」

「また、認定事実・・・、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、①平成28年1月分から同年12月分までとして控訴人に支給された給与(歩合給)の金額(保険料や税の控除前のもの)は、約29万円から約63万円までの範囲であり、30万円を割ったのは1か月のみである一方、50万円を超えた月が7か月もあったが、平成29年1月分から給与が固定給とされ、1月分から4月分までの給与はいずれも約30万円であって、給与体系の変更前に比べて収入が減少し、5月の労働契約の更改により、5月分から8月分までの給与はいずれも20万円台となり、さらに収入が減少したこと、②控訴人は退職に際して退職金を受領しなかったことが認められる。これらの事実によれば、控訴人が被控訴人に在職中に受領した賃金や報酬が、控訴人が退職後に競業避止義務を負うことの実質的な代償措置であると認めることもできない。」

上記・・・のとおり、控訴人既存顧客からの収益については、控訴人の貢献が大きいにもかかわらず、本件競業避止特約によって控訴人が負う競業避止義務では、控訴人が控訴人既存顧客に対して営業活動を行うことも禁じられており、他方で、控訴人が上記競業避止義務を負うことの代償措置は講じられておらず、控訴人が被控訴人から受領していた賃金や報酬が実質的な代償措置であるということもできない。

こうした事情の下では、本件競業避止特約により、控訴人が、被控訴人退職後に、控訴人既存顧客を含む全ての被控訴人の顧客に対して営業活動を行うことを禁止されたと解することは、公序良俗に反するものであって認められない。そして、本件競業避止特約の内容を限定的に解釈することにより、その限度では公序良俗に反しないものとして有効となると解する余地があるとしても、少なくとも、控訴人が控訴人既存顧客に対して行う営業活動のうち、当該顧客から引き合いを受けて行った営業活動であって、控訴人から控訴人既存顧客に連絡を取って勧誘をしたとは認められないものについては、本件競業避止特約に基づく競業避止義務の対象に含まれないと解するのが相当である。

(中略)

「上記・・・の認定事実によれば、控訴人は被控訴人退職後に被控訴人の顧客であった本件病院に対して保険契約の提案をして、契約に至ったものであるが、本件病院は控訴人既存顧客であり、かつ、控訴人による本件病院に対する営業活動は、控訴人から保険の話を聴くことを希望した本件病院が控訴人に連絡したことを受けて行ったものであって、控訴人から控訴人既存顧客に連絡を取って勧誘をしたとは認められない。」

「したがって、控訴人が被控訴人退職後に本件病院に対して行った営業活動が、本件競業避止特約によって控訴人が負った競業避止義務に違反したと認めることはできない。」

 3.少なくとも顧客からの引き合いを受けて行うことまでは妨げられにくい

 裁判所は、代償措置もなく顧客を奪わないという内容の契約を結ぶことや、顧客からの引き合いを受けて行う営業活動まで制限することに消極的な見解を示しました。

 本件で問題となった顧客が元々被告・控訴人の顧客であったことから、裁判所の判示事項を、どこまで一般化できるのかは、やや不分明です。しかし、少なくとも、同業他社で働くこと自体は可能であるからといって、顧客を奪ってはならないとする契約の効力が無条件で容認されるわけではないというところまでは、言い切っても差支えないように思われます。

 競業の問題は、割とよく相談が寄せられるトラブル類型の一つです。お困りの方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談ください。